2026.08.09 / ぶち上げインタビュー
【ぶち上げインタビュー】「好きなことを仕事にするのが、一番強い」——挫折の連続を笑って語る“名古屋のカリスマ”。渡邉翔士さん

Instagramのフォロワーは4,000人超。その大半が、交流会で一人ひとり直接会って、フォローしてもらった数だといいます。
この記事の要点
- 01渡邉さん:きっかけは、「モテる男になりたいな」って、ふと思ったことなんです(笑)。
- 02お客さんとして、その店で一番売上を上げた実績が残って、スタッフ全員が僕を知っているという(笑)。
- 03名古屋には人脈がゼロだったので、交流会に参加しまくって、誰よりも人と会おうと決めました。
※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。
Instagramのフォロワーは4,000人超。その大半が、交流会で一人ひとり直接会って、フォローしてもらった数だといいます。
“名古屋のカリスマ”の名で活動し、飲食店の集客・マーケティング支援や代理店事業を手がける個人事業主、渡邉翔士さん(以下、渡邉さん)。人と会い、人と話すことを何より愛するその姿からは想像もつかないほど、壮絶な過去を歩んできた人物です。
愛知県半田市の自営業の家庭に育ち、厳しい家庭環境の中で「安心できる場所は、家から学校までの15分だけ」という学生時代を過ごします。高卒で就職するも手取りは17万円、家賃7万5,000円。ネットワークビジネスでは人脈とお金のすべてを失い、車の横転事故まで経験。それでも「ここで辞めたら何も残らない」と立ち上がり続け、いまは「全国に経済圏をつくる」という夢を掲げています。
——どん底の連続を、なぜか笑いながら語ってくれた渡邉さん。その歩みと、譲れない価値観について伺いました。
活動名:名古屋のカリスマ
事業:飲食店の集客・マーケティング支援、代理店事業
氏名:渡邉 翔士(わたなべ しょうじ)
1. 現在の活動——“名古屋のカリスマ”という生き方
——まずは、現在の活動について教えてください。
渡邉さん:個人事業主として、代理店ビジネスを軸に活動していて、僕の下にも代理店の方がいます。あとは飲食店さんの集客やマーケティングの支援ですね。イベントで実際に人を集める実績をつくってきたので、自分で人も呼べて、コンサルティングもできるのが理想だと思っています。SNSのフォロワーは、交流会で直接お会いした方に、その場でフォローしてもらって増やしてきました。基本的に、口コミと紹介で仕事がまわっている感じです。
2. 半田市の自営業の家に生まれて——お小遣いは、皿洗いの100円
——どんな幼少期だったのですか?
渡邉さん:大阪で生まれて、3歳のときに両親がお店を継ぐことになって、愛知県の半田市に引っ越しました。5人兄弟の長男です。両親の休みは毎週水曜日と第三木曜日で、休みの日にはテーマパークや温泉、外食に連れて行ってもらっていました。ただ、自営業の家庭あるあるだと思うんですけど、「基本的に自分で働いて稼げ」という考え方の家で。お小遣いはもらえなくて、家の皿洗いや掃除で100円、200円をもらって、ずっと貯めていました。土日は野球をやっていたんですが、グローブもバットも、そうやって貯めたお金で買っていましたね。
3. 中学から変わった家——安心できるのは、通学の15分だけ
——学生時代は、どんな環境だったのでしょうか。
渡邉さん:中学に入った頃から、父親がすごく厳しくなりました。僕は勉強が本当にできないタイプで、順位も最下位のほうで。テストの点数が低いと、殴られたりしていました。門限は20時で、部活が終わったらまっすぐ帰らないと間に合わない。ゲームのコードを隠されて、親がいない間に探し出して遊んで、帰ってくる時間までに1ミリ単位でずれないように戻す、なんてこともやっていました(笑)。バレるたびに、めちゃくちゃ怒られましたけど。
小学校まではクラスの中心にいるような子どもだったんですが、中学・高校では真逆になりました。友達も少なくて、女の子と話すのも大の苦手で。「安心する場所はどこですか?」と聞かれたら、普通は自分の家って答えるじゃないですか。僕には、それがなかったんです。家も居心地が悪いし、部活の監督も厳しい人だったので、家から学校までの自転車の15分だけが、唯一安心できる場所でした。
4. 18歳、逃げるような一人暮らし——手取り17万円、家賃7万5,000円
——高校卒業後は、どうされたのですか?
渡邉さん:とにかく早く家を出たくて、高卒ですぐに一人暮らしを始めて、トヨタ系の会社に就職しました。「トヨタ系なら給料も高いだろう」と思って、家賃7万5,000円の部屋を借りたんです。相場が5万円くらいの地域でですよ。初期費用の40万円は、母から借りました。
ところが蓋を開けてみたら、配属されたのが残業も夜勤もない部署で、手取りが16〜17万円くらい。家賃を払ったら、どれだけ切り詰めても月2万円しか残らない。土日は、ご飯とお味噌汁とキャベツがおかわり無料の定食屋さんで、夜の分まで食べだめしていました(笑)。交通費すらかけたくないから、移動は全部自転車。東海市から名古屋まで片道1〜2時間、往復4時間かけて行って、ウィンドウショッピングだけして帰ってくる。そんな生活でした。
5. 「モテたい」から始まった行動——紙に書いて、美容院に1年通った
——そこから、どうやって動き出したのですか?
渡邉さん:きっかけは、「モテる男になりたいな」って、ふと思ったことなんです(笑)。彼女も欲しかったし、コミュニケーション能力もつけたかった。それで「女性からモテる人はどういう人だろう」を紙に全部書き出したんです。まず取りかかれるのは清潔感だと思って、美容院に通い始めました。そうしたら、その美容院にタイプの子がいて。でも女の子と話すのが苦手だから、連絡先も交換できない。だから週1回、自転車で片道1時間半かけて、1年間通い続けました。お客さんとして、その店で一番売上を上げた実績が残って、スタッフ全員が僕を知っているという(笑)。
結局その子とは、たまたま高校の1個上の先輩がお店にいたご縁でつながって、何回かご飯に行けたんです。そうしたら、その2人が副業でネットワークビジネスをやっていて。ネットワークは絶対に嫌だと思っていたんですけど、「営業はしたい。女の子とは会いたい」で、折れて入りました(笑)。初期費用50万円、クレジットカードの分割払いで。
6. すべてを失った20代前半——LINEの友達が、200人消えた
——ネットワークビジネスは、どうなったのですか?
渡邉さん:入ったら入ったで可能性を感じてしまって、ゴリゴリに声をかけまくりました。地元中に噂が広まって、LINEの友達が200人消えました。人脈が消えて、50万円の借金だけが残って。でも「ここで辞めたら、本当に何も残らない」と思って、逆に振り切ったんです。睡眠3時間で、インスタでつながって、やり取りして、電話して、会う。それをひたすら繰り返しました。
そうしたら今度は、本業がおろそかになってミスを連発して、居場所がなくなって。挙げ句、睡眠不足で車を横転させる自損事故を起こしました。気づいたら、窓の右側に地面があるんですよ。車は廃車。でも僕だけ、奇跡的に無傷でした。それで会社を辞めて、ネットワーク一本で死ぬ気で動いて、多いときは月100万円くらい稼げるようになりました。組織も150人までつくって。
——順調に見えたところから、また転機が来るんですよね。
渡邉さん:22歳のとき、その会社の記念パーティーの場で、突然、事業の実質的な終わりが告げられたんです。何万人も集まっている会場が、悲鳴に包まれて。僕はフルコミッションでやっていたので、収入も仕事も一瞬でゼロです。権利収入のために人生をかけて2年間走ってきたのに、って。しかも僕が誘った子たちは、ほとんどがマイナスのまま終わってしまった。誘った責任があるなと、強く思いました。
7. 学びと転身——「会社ありき」ではなく、自分の足で立つ
——そこから、どう立て直したのですか?
渡邉さん:ネットワークは、結局「会社ありき」なんですよね。自分がどれだけ頑張っても、会社が倒れたら終わりで、誘った人にも迷惑がかかる。だったら実業でやろうと。それと同時に、「集客できる人は何をやっても生きていける。人脈と影響力がある人は強い」と痛感したので、影響力をつけようと思いました。最初はYouTuberのヒカルさんや、コムドットのやまとさんに憧れて、バイトをしながらYouTubeの毎日投稿をやって、登録者は1,000人くらいまでいったんですけど、収益にはつながらなくて。そこで気づいたんです。「インフルエンサーは、オンラインだけじゃない。オフラインで影響力を持てばいい」と。
ちょうどその頃、ネットワーク時代から同じ環境にいた今の代表に声をかけてもらって、実業の世界に入りました。22〜23歳の頃ですね。名古屋には人脈がゼロだったので、交流会に参加しまくって、誰よりも人と会おうと決めました。“名古屋のカリスマ”という名前も、そのときにつけたんです。ヒカルさんのインスタのユーザーネームが「ただのカリスマ」で、インパクトが残る名前を考えて。いじられてもいい、認知されれば何でもいい、と思っていました。
8. 仕事の流儀——相手の背景を考え、一手先を読む
——仕事で大事にしている価値観を教えてください。
渡邉さん:「相手の背景を考える」ことです。もう無意識のレベルでずっと意識しています。仕事ができる人って、かっこいいじゃないですか。じゃあ仕事ができる人はどういう人かというと、相手の困りごとを解決できる人だと思うんです。頼まれごとの一手、二手先まで読んで、相手に考える時間を使わせない。僕、将棋が好きで、先読みするタイプなんですよ。相手の手間をどれだけなくせるかのゲームだと思っています。あとは、準備。準備が9.5割だと思っています。
9. これからの夢——「経済圏」をつくり、潰れる飲食店を救いたい
——今後やっていきたいことを聞かせてください。
渡邉さん:実家が4年前にお店を畳んだんです。飲食店の裏側は小さい頃からずっと見てきたので、畳んでいくお店を救いたい、という想いがあります。コンサルでお金を取りたいわけじゃなくて、集客やマーケティングの部分で力になれたら嬉しい。それと、いつか父親を見返したい、という気持ちもありますね。
もっと大きな夢で言うと、「全国で経済圏をつくりたい」んです。日々、何かしらにお金を払うじゃないですか。その払う先が、全員知人であってほしい。どこかの飲食店に行ったとき、料理が美味しいかどうかよりも、誰がどんな想いで作っているかを知りたい。知り合いの喜ぶ顔が見られるなら、知り合いのところでお金を使いたいんです。まちづくりとか、地域活性化に近いかもしれません。それを飲食以外でも、全国でできたら、僕の理想形です。
10. 若者へのメッセージ——ハマるものを見つけて、全力で時間を使う
——最後に、行動できずにいる人へメッセージをお願いします。
渡邉さん:「好きなことを仕事にする」のが、一番強いと思っています。人が本当に動くのは、ハマったものに対してなんですよ。小さい頃、お金にもならないのに部活に打ち込んでいたのと同じで。だからまず、ハマるものを見つけたほうがいい。見つけたら、それに全力で時間を使ったらいいと思います。僕は単純に、人と会って話すのが好きなんです。それをずっと続けているだけ。そこから仕事につながっていくのが、一番の理想だと思います。
11. 最後に(筆者の感想)
「今のところ、うまくいってる話を一個も聞いてないですね」。取材の途中、思わずそう突っ込んでしまうくらい、渡邉さんの半生は挫折の連続でした。それなのに、話を聞いているこちらが元気になってしまう。どのエピソードも、渡邉さんが笑いながら話してくれるからです。
安心できる場所が通学の15分しかなかった少年が、いまは「人と会うこと」を仕事にして、名古屋中の経営者とつながっている。この変化はきっと、才能ではなく、「ここで辞めたら何も残らない」と振り切り続けた結果なのだと思います。
相手の背景を考える。一手先を読む。準備が9.5割。取材のなかで語られた仕事の流儀は、痛みを知っている人の優しさそのものでした。全員が知り合いの「経済圏」という夢が、名古屋からどこまで広がっていくのか。これからが本当に楽しみです。(取材:2026年7月)
取材・文:木村光志(株式会社One Rep)
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