2026.08.09ぶち上げインタビュー

ぶち上げインタビュー「半年で20キロ、ただ食べずに走って落としました」——拒食症を越えた管理栄養士が、福岡・平尾でたどり着いたピラティス。EMBRIA(エンブリア)ピラティス&パーソナルジム 東口真衣さん

「半年で20キロ、ただ食べずに走って落としました」——拒食症を越えた管理栄養士が、福岡・平尾でたどり着いたピラティス。EMBRIA(エンブリア)ピラティス&パーソナルジム 東口真衣さん

「見た目、最悪な痩せ方だったと思います」。中学時代、半年で20キロ。ただ食べず、ただ走り続けた先に待っていたのは、拒食症だった。

この記事の要点

  • 01遠回りした人生を、いま誰かの近道に変えようとする東口真衣さんに、その原点と現在地、そして見据える未来を伺った。
  • 02私自身が管理栄養士の資格を持っているので、運動だけでなく、栄養面からもサポートできることが強みです。
  • 03中学3年生、中体連が終わったタイミングで「とにかく体重を減らそう」と決めました。

※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。

「見た目、最悪な痩せ方だったと思います」。中学時代、半年で20キロ。ただ食べず、ただ走り続けた先に待っていたのは、拒食症だった。

福岡・平尾。閑静な高級住宅街に、今年1月にオープンしたEMBRIA(エンブリア)ピラティス&パーソナルジムがある。管理栄養士の資格を持ち、トレーナーとして栄養指導と運動指導の両面から女性のボディメイクと健康づくりを支えるのが、代表の東口真衣(まい)さん**だ。

5歳で母を病気で亡くし、父が慣れないながらも用意してくれた、お肉やご飯をたくさん食べて育った少女時代。体重が増えたことで、いじめも経験した。無理な減量で心身を壊した中学時代。しかし、その痛みこそが「健康的に痩せるとは何か」という問いの原点になった。管理栄養士を志し、病院実習、スポーツクラブ、オンライン栄養指導、そしてパーソナルジムへ。会社の都合で"強制的な独立"に放り出され、カツカツの日々を走り抜けた末に、彼女はピラティスにたどり着く。

遠回りした人生を、いま誰かの近道に変えようとする東口真衣さんに、その原点と現在地、そして見据える未来を伺った。以下、東口真衣さん。

【プロフィール】

屋号:EMBRIA(エンブリア)ピラティス&パーソナルジム

氏名:東口真衣

福岡・平尾で出会う「新しい自分」——ピラティス×管理栄養士という掛け算

——まず、エンブリアがどんなスタジオなのか教えてください。

東口真衣さん:ピラティスは東京だけでなく、福岡でもかなりスタジオが増えてきました。その中で、エンブリアではピラティスだけでなく、トレーニングや整体、食事のサポートまで、一人ひとりの目的や身体の状態に合わせて提供しています。私自身が管理栄養士の資格を持っているので、運動だけでなく、栄養面からもサポートできることが強みです。

——平尾という場所を選んだ理由は?

東口真衣さん:平尾は、閑静な高級住宅街という印象のある、落ち着いたエリアです。天神の中心部からは少し離れていますが、静かで過ごしやすく、パーソナルで身体と向き合っていただく場所としても合っていると感じています。ちょうど条件に合う良い物件と出会えたこともあり、この場所に決めました。

「エンブリア」に込めた意味

——スタジオの名前には、どんな想いを込めたんですか?

東口真衣さん:エンブリアっていうのは、"新しい自分を見つける""輝かせる"という意味を込めた造語なんです。そういう人を増やしたいなと思っています。 見せるだけで終わらない、挑戦できる私へ。そんなふうに、一歩を踏み出す女性を増やしたいんです。

5歳で母を亡くして——「お肉とご飯だけは、もりもり食べていました」

——過去のお話から伺います。どんな子ども時代でしたか。

東口真衣さん:私、母を5歳のときに病気で亡くしているんです。4人兄弟の末っ子で、宮崎の出身なんですけど、姉や兄とは歳が離れていて、みんな大学で実家を出てしまいました。 父が、慣れないながらも毎日ご飯を作ってくれていました。お肉を焼いて、ご飯もたくさん用意してくれていて、私もそれを本当によく食べていたんです。その結果、少しずつ体重が増えていきました。

——お母様のことは、覚えていますか。

東口真衣さん:本当に記憶がありません。でも、「なんでうちにはお母さんがいないんだろう」って、すごく悩んだ時期はありました。 ときには、涙することもありましたね。

半年で20キロ——「食べない、走る」の先にあった拒食症

——太っていた自分を変えようと思ったきっかけは?

東口真衣さん:太りすぎて、小学校・中学校ではいじめも受けていました。それがきっかけでダイエットを始めたんです。中学3年生、中体連が終わったタイミングで「とにかく体重を減らそう」と決めました。 やり方は、走る、食べない、をひたすら繰り返すだけでした。半年くらいで20キロ落ちました。

——かなり急激ですね。体は大丈夫だったんですか。

東口真衣さん:それが、拒食症に近い状態になってしまったんです。身長が160センチを少し超えるくらいで、体重は40キロほどまで落ちました 髪の毛も抜けて円形脱毛みたいになったり、生理が止まったり、肌もボロボロでした。周りからも「食べてる?大丈夫?」って心配されるくらい、見た目、最悪な痩せ方でした。

——そこから「栄養」に関心が向かったのでしょうか。

東口真衣さん:はい。こんな変な痩せ方じゃなくて、もっと健康的に痩せたい。そう思ったときに、栄養というものに興味を持ち始めました。 中学・高校くらいから管理栄養士という道を探し始めて、その資格が取れる大学に進もうと決めました。

負けず嫌いで掴んだ、進学校

——高校受験も、かなり頑張ったそうですね。

東口真衣さん:高校は進学校に決めていました。上の三人がたまたま同じ高校だったんです。最初は「このままじゃ入れないよ」って言われるくらいだったんですけど、負けず嫌いなので「やれる」と思って勉強して、受かりました。 あれは、自分にとって小さな成功体験でしたね。

朝5時、泣きながら論文を——一番厳しいゼミを選んだ理由

——大学では、どんな4年間を過ごしましたか。

東口真衣さん:福岡の北九州の大学で、栄養学科に進みました。そこで、学科で一番厳しい先生のゼミに入ったんです。 味の素で研究をされていた、実績のある先生でした。「この人の下でやってみたい」「縁があればその先の道もあるかも」って、自分の実力を試したくて選びました。

——実際、どんな日々だったんですか。

東口真衣さん:とても厳しい環境でした。学校の門が開く朝5時にゼミ室へ行って、みんなで泣きながらシートを作ったり、論文を書いたりしていました。3〜4年生の頃は、ずっとそのような日々でした。

学生ではありましたが、そこで社会に出ることの厳しさや、求められる水準に応える責任を経験できたと思っています。当時は本当にきつかったのですが、最後まで乗り越えられたことは、いまの自分にとって大きな自信になっています。

病院実習で見つけた「予防医学」

——管理栄養士として、どんな仕事を目指したのでしょう。

東口真衣さん:大学の病院実習で患者さんを目の前にしたとき、「ここまでなる前に、もっと予防できなかったのかな」って思ったんです。 入院したり運ばれてきたりする前に、健康をおろそかにしないでいられたら、変わっていたかもしれない。そう感じて、私は予防医学の方に行きたいと思いました。それが、いまのスポーツ業界につながっています。

"強制的な独立"、そしてミスコン——ピラティスにたどり着くまで

——新卒からのキャリアを教えてください。

東口真衣さん:まずはスポーツクラブに入社して、3年ほど栄養指導や運動指導をしていました。ただ、実際にはインストラクターとしての業務が中心で、栄養指導に関わる機会はそれほど多くありませんでした。

管理栄養士として、もっと栄養指導の経験を積みたいという思いが強くなり、コロナ禍にオンラインで栄養指導ができる仕事へ転職しました。特定健診で生活習慣の改善が必要になった方への指導を担当していました。

——そこからトレーナーへ?

東口真衣さん:知り合いにトレーナー育成の学校を教えてもらって、半年通ったんです。解剖学や栄養学を細かく学んで、資格を取って、パーソナルジムに就職しました。 3年ほど働いた頃、会社の経営上、社員としての雇用を継続することが難しいということで、業務委託への切り替えを告げられました。それで、半ば強制的に独立することになったんです。

——望んだ独立ではなかったと。

東口真衣さん:そうなんです。独立しようと思って独立したわけじゃなかったので、何をしたらいいかもわからず困っていました。経営者の会に顔を出したり、会食に行ったり、ひたすら連絡して回ってお客さんを獲得していました。 1年間、結構カツカツの生活で走り続けました。

ミスコン挑戦が開いた、次の扉

——転機になったのは?

東口真衣さん:独立して1年くらいのとき、ミスコンテストに出場したんです。その関係者の方が「ピラティスを立ち上げるトレーナーを探している」と、私を紹介してくださいました。 「一緒に働きませんか」と声をかけてくださった会社があり、そこがピラティスを始めるきっかけになりました。1年ちょっと働いて、今年1月に平尾のスタジオをオープンしました。

——独立するとき、不安はありませんでしたか。

東口真衣さん:もちろん不安はありましたが、最後は勢いでした。やってみて、もしうまくいかなかったら、そのときにまた考えればいい。日本にいれば生活していく方法はあると思って、自分の気持ちを優先して一歩を踏み出しました。

セルフラブ——「自分を愛せる女性が増えれば、日本はもっと元気になる」

——「心から、体も変化していく」というコンセプトに込めた思いは?

東口真衣さん:ミスコンのスピーチで「自分が伝えられることって何だろう」と考えたのがきっかけでした。自分を好きでいる、自分を愛してあげる。それができると、人にも優しくできるし、何かに挑戦するときの自信にもなるんです。 日本人って「自分なんて」と自己を否定してしまう人が多いんです。特に女性の幸福度が世界に比べて低いと言われますよね。だからこそ、自分を愛せる女性が増えたら、日本自体ももっと活性化するんじゃないかと思っています。

——きっかけは、ボディメイクでいいと。

東口真衣さん:はい。ボディメイクで自分を好きになれる、食事が整って健康的になって、メンタルも整う。その上で、自分をしっかり認めてあげられる。 そんな女性が増えるお手伝いをしたい。その意味を込めて、発信しています。

どんな人が、通っているのか

——いまはどんな方が通われていますか。

東口真衣さん:女性が中心で、目的はバラバラですね。ダイエットしたい方もいれば、姿勢を改善したい方、肩こりや腰痛などの不調を改善したい方、体のラインをきれいにボディメイクしたい方もいらっしゃいます。 パーソナルは"人につく"仕事なので、「この先生がいい」と思って来ていただけるのが、結果的にすごく嬉しいんです。

店舗展開はしない——「目の前の一人に、結果を出しきる」

——今後、スタジオをどうしていきたいですか。

東口真衣さん:まずは、今のスタジオに来ていただいているお客様一人ひとりに、しっかり結果を出したいと思っています。

たくさん店舗を増やすことよりも、自分が責任を持って向き合える範囲でお客様をサポートし、「ここに来てよかった」と感じていただけるスタジオをつくっていきたいです。

目の前のお客様にしっかり向き合い、結果を出しきること。それを積み重ねていくことが、今の一番の目標です。

かつての自分へ——「一人で悩むより、誰かに頼っていい」

——かつての自分と同じように、コンプレックスや葛藤を抱える人へ。

東口真衣さん:一人で悩むより、誰かに頼るのが、解決への一番の近道だと思っています。何かしら、プロに頼るのが一番いい。 私自身、いろんな紆余曲折をして、遠回りしてやっとここにたどり着きました。同じように遠回りする人を、減らしたいんです。だから、もし頼れる人がいるなら、ぜひ頼ってほしい。 その中で、もし私についてほしいと思ってくれる方がいたら、いつでもお待ちしています。

5歳で母を亡くし、無理な減量で心身を壊し、望まぬ独立に放り出された——。東口真衣さんの半生は、決して平坦ではない。けれど彼女は、その遠回りのすべてを「誰かの近道」に変えようとしている。福岡・平尾のスタジオでは今日も、一人の女性が、まだ知らない新しい自分と出会っている。

会社概要 屋号:EMBRIA(エンブリア)ピラティス&パーソナルジム

所在地:福岡県福岡市中央区平尾2丁目19-32 1F

オープン:2026年1月

事業内容:パーソナルピラティス指導、管理栄養士による栄養指導・ボディメイクサポート

対象:ダイエット・姿勢改善・不調改善・ボディメイクを希望する方(女性中心)

取材・文:佐藤大遥(株式会社One Rep)

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