2026.06.13ぶち上げインタビュー

ぶち上げインタビュー【トップセールスインタビュー】「当たり前のことを、当たり前にし続ける」元Fリーガーが保険営業の世界で掴んだ、継続という武器。 Exe insurance株式会社 広島支社 ライフコンサルタント 寺本芳希さん

【トップセールスインタビュー】「当たり前のことを、当たり前にし続ける」元Fリーガーが保険営業の世界で掴んだ、継続という武器。 Exe insurance株式会社 広島支社 ライフコンサルタント 寺本芳希さん

生命保険19社・損害保険会社3社を取り扱う乗合代理店、Exe insurance株式会社。全国10支社を構え、「Lifeの“if”をお守りする」を掲げるこの会社の広島支社で、ライフコンサルタントとして活動する、寺本芳希さんの人生に迫る。

この記事の要点

  • 01なぜ、保険営業未経験のアスリートが、わずか数年でトップ1%の景色にたどり着けたのか。
  • 02最初のきっかけは、本当に純粋に「友人に誘われたから」というだけなんですけど(笑)。
  • 03叔母から支援を受けて、スポンサー企業で勤めながら手取り14万円で選手として活動していた中で、「自分の立ち位置が、日本代表という目標に対してどれくらいにあるのか、25歳で判断しよう」と決めていました。

※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。

誰でもできることを、誰よりも。

生命保険19社・損害保険会社3社を取り扱う乗合代理店、Exe insurance株式会社。全国10支社を構え、「Lifeの“if”をお守りする」を掲げるこの会社の広島支社で、ライフコンサルタントとして活動する、寺本芳希さんの人生に迫る。

島根県松江市に生まれ、小学校1年生からボールを蹴り続けた寺本さん。岡山の大学で心理学を学びながら、サッカーからフットサルへと転向し、大学4年時には日本のトップリーグである「Fリーグ」に広島のクラブから参戦。4年間にわたるプロフットサル選手としてのキャリアを、2度の大怪我と向き合いながら駆け抜けた。

25歳で現役を引退し、外資系保険会社を経て、2024年1月にExe insuranceへ。入社2年目、約半年でMDRT(Million Dollar Round Table、世界の保険営業トップ約5%が名を連ねる国際的な称号)を達成。

なぜ、保険営業未経験のアスリートが、わずか数年でトップ1%の景色にたどり着けたのか。その原動力となっている「当たり前を、当たり前にし続ける」という哲学について、じっくりとお話を伺った。

「人と人がつながる、その感情的な価値を大切にしたい」——まず、今のお仕事について

お客様の人生に、長く深く伴走する

——今、どんなお仕事をされているのか、改めて教えてください。

寺本さん:Exe insurance株式会社の広島支社で、ライフコンサルタントとして活動しています。当社は全国に10支社を構える保険代理店で、生命保険19社と損害保険会社3社を取り扱っています。

保険営業というと、どうしても「商品を売る仕事」というイメージを持たれがちなんですよね。でも僕自身は、そうじゃないと思っていて。目の前にいる方、ご縁をいただいたすべての方の人生に、どれだけ貢献できるかが本質だと感じているんです。

だからこそ、大切な人たちを長く、深く担当し続けられる人間でありたい。そして、何かあったときに守り抜ける人間でありたい。日々、その思いを土台にして働いています。

ボールを蹴っていた少年時代——島根・松江の原風景

温かい家庭と、4人兄弟の3番目として生まれた幼少期

——幼少期のお話から伺わせてください。どんな環境で育たれたのでしょうか。

寺本さん:生まれは島根県の松江市で、小学校1年生からサッカーを始めました。最初のきっかけは、本当に純粋に「友人に誘われたから」というだけなんですけど(笑)。そこからもう、ずっとボールを蹴り続けてきた人生ですね。

家庭については、すごく温かかったと思います。男4人兄弟の3番目で、兄弟仲も良かったですし、両親からは愛情を注いでもらって育ててもらったなって、今思い返してもそう感じます。

父が会社のナンバー2や子会社の社長を務めていた関係で、転勤が多い家庭でした。小学校4、5年生のタイミングで、大好きだった松江から安来(やすぎ)に引っ越すことになって。ただ、安来にはサッカーのクラブチームがなかったんですよね。

ヘルメットを片手に、電車で通い続けた日々

——それでも、サッカーは続けたわけですね。

寺本さん:はい。松江のクラブチームに電車で通い続けました。中学校3年間も、完全に自分ひとりで片道30分の電車通い。当時の僕はすごく真面目な性格で、地方の暗黙のルールだった「自転車に乗るときはヘルメット」を絶対に守ろうと(笑)。だから松江駅に置きっぱなしのヘルメットじゃ不安で、電車にヘルメットを持ち込んで、片手にヘルメット、背中にスパイクの入ったリュックみたいな格好で通ってましたね。

今思えば、あの3年間の通学が、当たり前のことを続けるという、今の自分の芯を作ってくれていたのかもしれません。

高校3年生、キャプテンの重圧——メニエール病と、初戦敗退の冬

責任感が強すぎたゆえに、空回りした時期

——学生時代に印象に残っている挫折や困難はありますか?

寺本さん:高校時代の話になるんですけど、僕は3年生のときにキャプテンを務めたんです。島根県では、だいたいベスト4あたりに入るくらいの高校でした。

僕らの学年って、人数が少なくて、正直、突出してうまい選手もいなかったんですね。一方で、ひとつ下の学年には20人以上入ってきて、しかも高校1年生ながらAチームで高3の試合に出るような子もいた。上の世代も、人数もいたしリーダーシップを発揮する存在がいて。

そういう中で、自分たちの代がどこか色が薄いというか……。だから「自分がリーダーとしてやっていかないと」という責任感がすごく強くて。でも、それがゆえに、人の力を借りるのがすごく苦手だったんです。

原因不明のめまい、約1〜2ヶ月間ボールが蹴れない日々

——その責任感は、体にも影響したと伺いました。

寺本さん:そうなんです。高校2年生から3年生になる頃に、メニエール病というめまいの病気を発症しました。若い男性が発症するのは珍しいらしいんですけど、ストレスが原因だろうと言われました。

実際、1ヶ月から2ヶ月ほど、ほぼボールが蹴れない時期もありました。それでもキャプテンとして何かやっていきたいという気持ちだけは強くあって。でも、その思いがどうしても空回りしてしまう。同級生にも、素直に本音を話すことができなくて、本当に苦しかった時期でしたね。

最後の高校サッカー選手権は、初戦敗退で終わりました。しかも、その大会の2週間前に、チーム内で規律に関わる出来事もあって……。なんとか一致団結して臨もうとした矢先の出来事で、キャプテンとしての責任を重く感じたのを覚えています。

ただ、今振り返ると、あの経験があったから今の自分があるとも思うんです。リーダーとして何ができて、何ができなかったか。あの苦しさは、僕にとって大切な学びになっています。

岡山の大学で出会った一体感——サッカーを辞め、フットサルの道へ

心理学を学びたかった理由

——高校卒業後の進路は?

寺本さん:岡山の私立の大学に進学して、心理学部に入りました。選んだ理由は、まさに高校でのキャプテン経験から、「集団における人間の心理を学びたい」と強く思ったからなんです。

大学1年のときは、中国リーグ1部に所属しているサッカー部に入りました。前期リーグはBチームでしたが、後期からトップチームに上がって、全試合フルスタメンで出場させてもらえたんです。

でも、1年生が終わるタイミングで、ふと「ボールを蹴ることに飽きた」という自分に気づいてしまって。この先、プロになるわけでもないのに、ボールを蹴り続けることにどれだけの意味があるんだろうか。そう自分に問いかけたとき、「辞める」という決断をしました。

アメリカ留学、そしてフットサルとの再会

——そこから、フットサルに転向されるまでの経緯は?

寺本さん:サッカー部を辞めてから、アメリカに1ヶ月間、交換留学に行ったんです。海外に触れて日本に帰ってくると、やっぱり「ボールを蹴りたい」って思うんですよね(笑)。サッカー少年ですから。

ちょうど大学にフットサル部があったので、知り合いもほぼいない状況で入部しました。当時は単に「ボールを蹴りたい」だけが理由だったんですけど、今思うと、フットサルの方がサッカーよりも一体感があったから惹かれたんだと思います。

大学2年からフットサル部で活動していく中で、結果的に、どんどんハマっていって。23歳以下の岡山県選抜に選ばれて、全国大会にも出場できた。全国のレベルを目の当たりにしたときに、直感で「日本代表を目指せるな」と思ったんです。

大学3年時には、フットサル部と並行して、当時中国地方で最強だった岡山の社会人チームにも加入しました。半年で結果を出して、ステップアップとして、大学4年のときに広島のFリーグのクラブのセレクションを受けに行って、合格。そこから岡山から広島に通う生活が始まりました。

叔母からの100万円——日本代表への覚悟を決めた、一枚のプレゼン

高校卒業と同時に変わった家庭環境

——Fリーグの舞台に飛び込むにあたって、ご家族からの支援はあったのでしょうか。

寺本さん:この話、少し背景があるんです。先ほど「温かい家庭」とお話ししましたが、僕が高校を卒業する頃に、父が実家のお寺を継ぐためにそれまでの仕事を辞めたんです。母もほとんど働いていなかったので、経済的にはかなり厳しい状況でした。

私立高校にも行かせてもらって、両親はやりくりしてくれていたんですけど、僕が大学2年生の頃に、貯金を切り崩したり借金をしたりしてやりくりしてきた、という話を知りました。僕以外にも息子が3人いるわけですから。

だから大学は、親からの支援はゼロ。奨学金をフルマックスで借りて、使える制度を全部使って、4年間の私立大学生活を送ったんです。アルバイトも常に4つ掛け持ちしながら、留学費用も自動車免許のお金も、給付金や制度を自分で調べて工面していました。

叔母へのプレゼンと、70万円の願いに対する100万円の回答

——その時、転機があったと聞きました。

寺本さん:はい。東京でミュージカル俳優をしている叔母がいて、独身で、僕のそういう状況もよく知ってくれていました。ある日、こんなことを言ってくれたんです。

「一度きりの人生で夢を追いかけるのであれば、親が支援できないのなら、私がさせてほしい」と。

それを受けて、僕は叔母に向けてプレゼンの時間をもらいました。A4用紙1枚にまとめた、手作りのプレゼン資料を持って。「Fリーグで日本代表になって、家族の希望になる。そのための投資資金として70万円を貸してください」そう伝えたんです。

そしたら叔母が即決で「わかった」って。その場で銀行口座に振り込んでくれたんですが、確認してみたら70万円ではなく、100万円が入金されていたんですよ。

驚いて「なんで100万円なの?」と聞いたら、「よしき、あなたはこれだけ頑張ってきたんだから、これくらい払う価値はあるよ。このお金は返さなくていいから、夢に向かって頑張ってきなさい」と。

あの一件で、「Fリーグは自分だけの夢じゃない」という覚悟が、胸に刻まれた気がします。

Fリーグの4年間——2度の大けがと、罵声、そして“引退”の決断

自主練でのオーバーワークが招いた、前十字靭帯断裂

——その覚悟を持って臨んだFリーグ時代について、伺わせてください。

寺本さん:恥ずかしい話なんですけど、4年間のFリーグ生活のうち、ほぼ3年間はずっと怪我で苦しんでいました。

大学4年のシーズン開幕前に、前十字靭帯を断裂してしまったんです。しかも、なぜか自主練習中に。今でもあの日を悔やんでいます。

最初にFリーグのチームで練習したとき、フィジカル面、スピード、技術面——すべてにおいてレベルの違いを痛感して、焦りと不安しかなかった。それで、あらゆる場所に顔を出して、チーム外でも練習しまくっていたんです。結果的に、それがオーバーワークになって、膝が壊れました。

2年連続の大けが、そして「お前はいらない」という言葉

——1年目は怪我のリハビリで終わったのでしょうか。

寺本さん:1年目はそうですね。1年間はリハビリ期間で、ビデオ係として岡山から広島に通い続けていました。そして2年目、「ようやく復帰だ」と、開幕戦のメンバーにも選ばれて——その1週間前に、半月板をやってしまったんです。2年連続の大けが。

リハビリ中も、チーム練習にはなかなか参加できない。自主練習にも顔を出しづらい。加入した直後に怪我をして、また怪我をして、というこちらの事情もあって、チームメイトから「お前はいらない」と言われることもありました。罵詈雑言を浴びせられたこともあります。

引退を決めた、25歳という節目

——それでも、4年間をやり抜かれた。

寺本さん:はい。最終的にはそのチームで現役を終えて、25歳で引退しました。これは、もともと決めていたことだったんです。

叔母から支援を受けて、スポンサー企業で勤めながら手取り14万円で選手として活動していた中で、「自分の立ち位置が、日本代表という目標に対してどれくらいにあるのか、25歳で判断しよう」と決めていました。

25歳のときの現実は、怪我が多くて試合に出たり出なかったり。フットサル選手としての人生を考えた時に、「今、この25歳で決断するのが最善ではないか」と結論を出しました。

もちろん、悔しさはあります。ただ、あの4年間があったから今の自分があると、心から思えます。

保険業界への挑戦を決意した瞬間

「覚悟」がなかったからこその、経験の蓄積

——現役引退後、保険業界を選ばれた理由は?

寺本さん:正直に言うと、きっかけはマネーモチベーションもあったんです。

選手時代の最後の1年間は「引退する」と決めていたので、その間にありとあらゆる人に会いに行こうと決めていました。社長さんにDMを送って会いに行ったり。その中で、ご縁をいただいたのが、ある保険代理店の社長様でした。

お話を聞くうちに、「保険であれば、人脈と、お金と、経験と、知識——これが得られる」と感じたんです。正直、当時の僕には起業する覚悟はなかった。何者でもない状態で、いきなり何かを起こすのは難しい。だからこそ、まずは経験を積むために、青天井の仕組みで「やった分だけ得られる」保険業界が、自分には合っていると思いました。

ただ、そのあと社長さんからご提案をいただいて。「今から保険代理店に来ても、戦場に赤ん坊を投げ込むようなもの。生き抜ける人はほとんどいない。だからまずは外資系保険会社で基礎を学んでおいで」と。そのようにご提案を頂き、教育体制がしっかりしている外資系生命保険会社に入社することにしました。

「人で選びたい」と思っていた僕は、ご紹介いただいた外資系保険会社の社長さんにお会いして、その場で「直感的に、この人の下で学びたい」と感じて、即決で入社を決めました。

それが、2023年4月にジブラルタ生命保険に入社した経緯です。

Exe insuranceという環境——MDRT達成率94%の基準値

「このままでは、この業界で死ぬ」と直感した

——その後、Exe insuranceへの転職を決めたきっかけは?

寺本さん:ジブラルタ生命では約半年働きました。もともと保険代理店に行く予定だったので、そのタイミングが早まった、というのが転職の素直な背景です。

半年間、保険の仕事をしていく中で、正直、うまくいかないことばかりでした。そこで現状を打破するために、外に情報を取りに行こうと行動を始めたんです。その中で、当社の本当に素敵な方々に出会うことができました。

そのとき、直感的に思ったんです。「このまま今の環境に居続けたら、自分はこの保険業界で死ぬだろうな」と。

だから、挑戦の扉を叩かせてください、ということで、2024年1月にExe insurance株式会社に入社しました。

MDRT達成率94%——基準値の高さが、人を引き上げる

——Exe insuranceという環境のどこに、成果につながる要素があったのでしょうか。

寺本さん:大きく2つあります。1つは、環境です。

保険代理店って、個人事業主の集まりになりやすい業界なんですよね。「自分さえ稼げればいい」という人が多い中で、当社は本当に横のつながりが強い。みんなで高め合っていこう、同じ船に乗ったからには日本一の保険代理店になろう、それぞれの人生のゴールに向かって学びを惜しまない——そういう「分かち合い」と「貢献」の精神が根付いている会社なんです。

しかも、MDRT達成率が昨年で約94%。ほぼ全員がMDRTを取るのが当たり前、という基準値の高さ。ここに放り込まれたら、自分ももっと頑張ろうと思えるわけです。

アチーブメントという土台——人生の理念を作り直す

誰でもできることを、誰よりもやり続ける

——もう一つの要因は何でしょうか?

寺本さん:もう1つは、アチーブメントです。

当社では、2024年の夏頃から代表がアチーブメントを取り入れてくれて、今では約8割の社員が受講しています。僕も2024年12月に初受講しました。1年目を終えるタイミングでしたね。

すぐに成果が出たかと言われるとそうではないんですが、「自分にとって大切なものとは何か」「自分の人生における理念とは何か」「どんなビジョンを描いて、誰のために、何のために生きていくのか」——そういう問いをずっと自分にかけ続ける。二度とない人生を、なぜやるのか。

その問いを続けることで、人生の土台が作られていったんだと思います。

継続することが、結果的に強みになる

——今、毎朝続けていらっしゃることがあると伺いました。

寺本さん:朝活ストーリーといって、アチーブメントの学びを毎朝SNSに発信しています。あとは、感謝ノート。これはちょうど460日目になりました。

毎朝、「今日も朝起きられたことにありがとう」「生きているだけでありがとう」「この体があるのは、父、母、祖父母、ご先祖様、お客様のおかげでありがとう」——そう書き続けています。

最初は、正直、意味のない行動だと思っていたんですよ(笑)。でも、成功している方々が「いいよ」と言うことを、ただ愚直にやり続けていると、意味は後からついてくるんですよね。

誰でもできることを、誰よりもやり続ける。それが結果的に、その人の強みに変わる。僕で言えば、それが「継続力」だったんだと思います。

これからの人生——大切な人を、長く深く、守り抜く

人生の選択に迷っているあなたへ

——最後に、このnoteを読んでくださっている方へメッセージをいただけますか。まずは、人生に迷いを感じていたり、「稼ぎたい」「誰かの役に立ちたい」と思いながらも、何をすべきかわからないという方へ。

寺本さん:僕から届けたいのは、「当たり前のことを、当たり前にし続けてみてください」という一言です。

僕自身、全国大会に出たこともないですし、輝かしい経歴があるかと言われれば、そんなことはないんです。本当に平凡な人生を歩んできました。そんな僕の、唯一と言える強みが、継続力なんです。

意味を先に見出そうとするのも大事なんですけど、まずは行動してみる。成功している方が「いい」と言っていた習慣を、ただ続けてみる。すると、後から意味は必ずついてきます。

他人と比べなくてよくなります。昨日の自分と今日の自分を比べて、「理想の自分に対して、自分は今どこにいるか」。そこだけに向き合えるようになる。それが、一歩踏み出したい方にとって、何より大切なことなんじゃないかな、と思います。

いま支えてくれている人たちへ

——最後に、普段から寺本さんを支えてくださっている方々へのメッセージをお願いします。

寺本さん:もう、本当に「ありがとうございます」

この一言に尽きます。

僕は、感謝と謙虚さだけは絶対に忘れないように意識しています。目の前にいる方の時間をいただきながら、どれだけその人の人生に貢献できるか。そのためには、自分自身が力を蓄え続ける必要があると、本当に思うんです。

本当にありがたい環境の中で、やっぱり僕は、大切な人たちを、長く、深く担当し続けたい。そして、守り抜ける人間になりたい。だから毎朝、毎日、取り組むんです。

自分のために。奥さんのために。子どものために。お客様のために。そしてご縁のあるすべての方のために。

そこが僕の原動力になっているからこそ、これから先も成長と学びを続けていきます。引き続き、よろしくお願いいたします。

取材・文:河本龍真(株式会社One Rep)

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