2026.07.18ぶち上げインタビュー

ぶち上げインタビュー「営業が強ければ、飯も食えるし、家族も、他の会社も救える」——福岡育ちの元サッカー選手が、"成果保証"の営業支援で福岡から駆け上がる。株式会社FTS・鎌田倖輔さん

「営業が強ければ、飯も食えるし、家族も、他の会社も救える」——福岡育ちの元サッカー選手が、"成果保証"の営業支援で福岡から駆け上がる。株式会社FTS・鎌田倖輔さん

成人式の朝、目が覚めた瞬間に「サッカーをやめる」と父に告げた。

この記事の要点

  • 01どん底の過去から、成果保証にこだわる現在の事業、そして「みんなの夢を叶える」という未来まで、たっぷりと伺いました。
  • 02——営業支援の会社は数多くありますが、御社ならではの強みはどこにあるのでしょうか?
  • 03でも僕は起業を学びたくて、その人のことを信じていたので、「絶対に経営者になるぞ」という意気込みだけでやっていましたね。

※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。

成人式の朝、目が覚めた瞬間に「サッカーをやめる」と父に告げた。

福岡を拠点に、伴走型の営業支援と補助金・助成金コンサルティングを手がける株式会社FTS。「年間の商談獲得数を保証し、届かなければ返金する」という思い切った成果保証を掲げ、正社員約20名・クライアント約100社の規模まで一気に駆け上がってきた注目の会社です。今回は、代表の鎌田倖輔さん(以下、鎌田さん)にお話を伺いました。

鎌田さんは、物心つく前からボールを蹴り続けてきた生粋のサッカー少年。小学生でナショナルトレセンに選出され、中学ではアビスパ福岡のジュニアユースで九州リーグ得点王。長崎総合科学大学附属高校へ進学、大東文化大学を経て単身オーストラリアへ。そして20歳、成人式の朝に現役引退を決意します。所持金がほぼゼロの状態から「営業」一本で這い上がり、26歳でフェラーリを手にするまで。

サッカーに人生を懸けた男は、なぜ「営業」に人生を懸け直したのか。どん底の過去から、成果保証にこだわる現在の事業、そして「みんなの夢を叶える」という未来まで、たっぷりと伺いました。

【プロフィール】

会社名:株式会社FTS

役職:代表取締役

氏名:鎌田 倖輔

「獲れなければ、返金します」——伴走型営業支援という勝負

コール数ではなく、商談数にコミットする

——まずは、株式会社FTSの事業内容を教えてください。

鎌田さん:弊社がやっているのは、伴走型の営業支援です。新規の開拓先や取引先を増やすことをメインに、インバウンド・アウトバウンド両方の施策でクライアント様を支援しています。

特徴は、成果を保証していることですね。年間を通してオーダーメイドでプランを組み、「商談数を必ず設定します」とお約束する。たとえば「年間60件の商談設定が必要」ということであれば60件を必ず設定しますし、もし届かなければ、足りなかった件数に応じてご返金対応をさせていただく。そういうサービスとして打ち出しています。

あとはプラスアルファで、中小企業をターゲットにした補助金・助成金のコンサルティングもやっています。世の中で補助金を使えている事業者って、実は3割もいません。

——営業支援の会社は数多くありますが、御社ならではの強みはどこにあるのでしょうか?

鎌田さん:「正社員でやる」ことです。競合他社さんは基本的に、在宅ワーカーと呼ばれるアルバイトを雇用してテレアポをしています。ただ、テレアポって本当は教育にかなり時間が必要なんですよ。僕もこの業界に長くいますけど、在宅ワーカーでめちゃくちゃテレアポがうまい人って、ほとんど見たことがない。

しかも他社のサービスは、成果を保証するものではないことが多いんです。「月30万円いただくので、1,500コールかけますよ」というコール数の約束だけで、アポイントを獲得できないまま終わっている企業もたくさんある。うちは絶対にその件数を確保します。だから「これは必ず正社員で対応する」というところは、強くこだわっていますね。

——クライアントはどのような企業が多いのですか?

鎌田さん:無形商材・有形商材、どちらにも適切なアプローチが可能なんですが、いま一番多いのは製造業、システム開発、それから外国人人材を扱っている企業様です。新規開拓に困っていらっしゃる企業様が多い領域ですね。中にはスポーツ飲料のような商材の企業様もいますし、ホームページ制作やLP制作の会社も含めて、業界を問わず幅広くご支援しています。

いまクライアント様は100社ほど。正社員は約20名で、全員リファラル採用です。無借金経営でやれているのも、うちの強みだと思います。

物心つく前からボールを蹴っていた——エリート街道と、最初のつまずき

名将が、家までやってきた

——ここからは鎌田さんの過去について伺います。どんな学生時代でしたか?

鎌田さん:物心つく頃からサッカーをやっていました。小学生の時は、九州で一番強いと言われた街クラブの「バディ」というチームです。一つ上の代からプロサッカー選手が何人も出ているようなクラブで、僕自身も小学生でナショナルトレセンまで行かせてもらいました。

中学からはアビスパ福岡のジュニアユースに入って、九州リーグの得点王にもなりました。勉強は全然やってこなかったんですけど(笑)、周りに人が集まってきてくれるような人柄ではあったかなと思います。

——高校はどのように選ばれたのですか?

鎌田さん:ユースに上がるか、東福岡に行くか、いろんな選択肢があったんですけど、当時憧れだった小嶺忠敏さん——国見高校を何度も日本一に導いた、あの小嶺先生ですね——が、家まで来てくれたんですよ。それで、小嶺先生が率いる長崎総合科学大学附属高校に進学することにしました。

ただ、高校に入ってからが良くなかった。高1からトップチームに入れてもらってはいたんですけど、アビスパという恵まれた環境から高校サッカーへの変化もあって、正直、グレてしまったんですよね。一時はサッカー自体をやめようと思うくらいで。それで高2の時に、自分から学校を辞めました。

——高校中退という決断の後は、どうされたのですか?

鎌田さん:ちょうどその頃、メッシを"紙ナプキン契約"でバルセロナに入団させたことで有名なカルレス・レシャックさんがアドバイザーを務めるサッカーアカデミーが、福岡にできるタイミングだったんです。それで地元の福岡に帰ってきて、そこに入りました。

1年間そこで過ごしたら、今度はロアッソ熊本から声がかかって、キャンプや練習に参加させてもらいました。ただ、提示された練習生の契約が月18万円で。親と相談した結果、「大学に進学しなさい」と。

名刺をもらう監督を、間違えた

——大学は大東文化大学に進学されています。

鎌田さん:これ、本当の話なんですけど、最初は明治学院大学に行きたかったんです。それで明治学院の監督にアポを取って挨拶に行ったんですけど、僕、対戦相手だった大東文化の監督に間違えて挨拶しちゃったんですよ。

「福岡から一人で来たんで、絶対この後、僕のプレーを見てください。経歴もこれだけあるんで、なんならこのチームで一番うまいです」くらいのことを言って、めちゃくちゃアピールして。なんか話が噛み合わないなと思ったら、もらった名刺に「大東文化大学」って書いてあって。「あ、俺、監督を間違えた」と(笑)。

でもその大東文化の監督が僕をすごく気に入ってくださって。当時、関西人の監督で、波長がめちゃくちゃ合ったんですよね。それで大東文化に進学することになって、1年生の開幕戦から出させてもらいました。

単身オーストラリアへ——そして、成人式の朝に

——大学サッカーは順調だったのに、なぜ海外に?

鎌田さん:1年生から試合に出ていたので、「このままここにいても成長がない」と思ったんです。ちょうどオーストラリアのエージェントが何名か興味を示してくれていたので、単身で渡ってトライアウトを受けました。

8チームくらいからオファーをいただいて、給料は一番低かったんですけど、一番レベルが高くて、なおかつ環境がいいシドニー・オリンピックFCというクラブに行きました。

ただ、やっぱり海外って甘くない。まだ10代でしたし、メンタル的にも環境的にも難しくて、実質1年でクビみたいな形になりました。「あ、俺ってサッカーじゃ勝てないんだ」って。初めての挫折でしたね。

——帰国後は、どうされたのですか?

鎌田さん:サッカーへの熱は正直冷めかけていたんですけど、「まだやりたいな」という気持ちも残っていて、関西リーグのラランジャ京都というチームでプレーしました。ただその頃にはもう、気持ちが「サッカー」よりも「お金を稼ぎたい」の方向に向いてしまっていて。

そんな時に、成人式があったんですよ。これも本当の話なんですけど、成人式の日の朝、パッと目が覚めた瞬間に、なぜか分からないけど「サッカーをやめる」と親父に報告していました。まだ普通にプレーは続けていたのに、自分からそういう言葉が出てきてしまった。

だから僕、高校も大学も中退していて、学歴で言えば中卒みたいなもんなんですよ。

家族全員がエリート、僕だけ中卒——初めて見た、親父の涙

——サッカーをやめて「経営」へ。ご家族はどんな反応でしたか?

鎌田さん:うち、親父も兄も銀行員で、兄は福岡銀行に勤めていました。じいちゃんは社長で、お母さんも社長。しかも僕以外は全員、九州で一番頭のいい私立と言われる西南学院なんです。頭のいい家系の中で、僕だけ中卒みたいなものでした(笑)。

それで「何をしようか」となった時に、本当に何もなかったんですけど、「社長になる。任せてくれ」と家族に言ったんです。そうしたら親父が、泣きながら「それでいいよ」って。親父の涙を見たのは、それが初めてでした。「これは頑張らないとダメだな」と。そこから経営の道を目指すことになります。

給料ゼロの1年半——「営業」という武器と、フェラーリという目標

——経営者への道は、どこからスタートしたのですか?

鎌田さん:最初は夜の業界、ナイトワークの世界に行きました。そこで恩師と出会うんです。歩合制だったこともあって、給料は1年半でほぼゼロ。でも僕は起業を学びたくて、その人のことを信じていたので、「絶対に経営者になるぞ」という意気込みだけでやっていましたね。

その頃にはもう、自分に営業能力があることに気づき始めていました。人にも恵まれていて、常に後輩がついてきてくれる状態でもありました。

——そこからなぜ、上京されたのですか?

鎌田さん:お世話になっていた社長が、フェラーリに乗ってたんですよ。それを見た20歳の僕は、「フェラーリを買う」と決めました(笑)。所持金は本当にゼロに近くて、100円とかだったんですけど、東京に出て、営業の仕事を繰り返しながら生活していました。

目標は「25歳でフェラーリを買う」。結果は1年ずれたんですけど、26歳で買うことができました。おそらく福岡では最年少だと思います。家も、おそらく福岡で一番いいところに住まわせてもらっています。夢をひとつ、叶えました。

山手線で知った、後輩・冨安健洋のイタリア移籍

——経営者インタビューでは必ず「一番つらかった経験」を伺っています。鎌田さんにとっては何でしたか?

鎌田さん:それ、よく聞かれるんですけど、正直、僕よりつらい経験をしている経営者なんて山ほどいると思うんですよ。みんな壮絶なことを経験してきた上での「今」だと思うので、そこで勝負しようとは思っていなくて。今の社員には、昔の苦労話を自慢げにしますけどね(笑)。

その上で、一番書いてほしいことを言うなら——やっぱり、サッカーをやめたタイミングが一番つらかったです。

僕、アビスパの一個下に冨安選手がいるんですよ。ポジションは全然違いますけど、「いや、俺も負けてへんかったけどな」って思うくらい、当時は僕もやれていた。

東京で本当にお金がなかった時期に、山手線に乗っていたら、冨安選手が移籍するっていうニュースが出てきたんです。僕、それまでの人生で、何をやっても後輩に負けたことがなかったんですよ。「あぁ、俺にも後輩に負ける時が来たんだな」って。山手線の中で、一人でずっとショックを受けていたのを覚えています。

——その悔しさは、今も残っていますか?

鎌田さん:悔しいというより、「もっとやっておけばよかった」ですね。だから今は、ビジネスでは誰にも負けたくない。福岡の30歳以下の経営者なら、負けているとは思っていないです。九州でも、負けているとは思っていません。

組織崩壊、そして再起——「いい人を集めれば、どんな事業でもうまくいく」

——現在の会社は、どのような経緯で立ち上げたのですか?

鎌田さん:紹介で、東京の某大手企業——もうすぐ上場しそうな会社の株主の方と出会って、「鎌田くんは才能がある」と言っていただいたのが、大きなきっかけの一つです。

ただ、僕が昔からこだわっているのは、実はお金稼ぎじゃないんです。「いい人を集めれば、どんな事業でもうまくいく」と思っていて。それが何の業界であっても。

実は会社も、最初はこの営業支援業界で設立したわけじゃなくて、飲食の事業で立ち上げたんです。でも先輩たちから「飲食をやっていてもアッパーがあるよね。月に儲かっても、いいところ数百万でしょ。お前の夢は、千年生きても叶わないぞ」と言われて。僕、サッカースタジアムを買うのが夢なんですよ。それで、事業を転換することにしました。

——大きな方向転換ですね。

鎌田さん:はい。ただその時に、仲間が1人を除いて全員辞めました。いわゆる組織崩壊ですね。資金を持っていかれるような経験も実はしまして。飲食の事業は、その後売却しました。

それでも、いろんな経営を経験してきて一番強く思ったのは、「営業が強ければ、飯は食っていけるし、家族は救っていける。他の会社の手助けもできる」ということでした。25歳の時ですね。強くてかっこいい先輩たちが、そういう背中を見せてくれていたので。僕も会社を支援する側——営業支援の業界で勝負しようと決めました。

——再スタートは、どんな状況だったのですか?

鎌田さん:今の副社長と、社員1名との3人でスタートしました。商材もなければ、何をしていいかも分からない。とりあえず携帯電話で居酒屋に電話をかけるところから始めて、マンションの一室からのスタートです。恥ずかしい話ですけどね(笑)。

そこから今は、正社員約20名、クライアント様約100社。フェラーリも、この歩みの先で手に入れたものです。

「幸せとは、同じ志を持った組織の中で、頼り頼られ生きること」

——FTSという会社・組織の魅力は、どんなところにあると思いますか?

鎌田さん:同じ志を持った人と仕事をすることって、すごく大切だと思うんですよ。うちの従業員の言葉を借りると、「幸せの定義」というものがあるらしくて。「同じ志を持った組織の中で、頼り頼られ生きること」らしいんです。ハーバード大学の何十年にもわたる研究でも、そういう結論が出ているみたいで。僕、あんまり後輩の意見を聞くタイプじゃないんですけど(笑)、これは「そうだろうな」と思いましたね。

うちはテレアポの会社なので体育会系ではあるんですけど、実は社内はめちゃくちゃラフなんですよ。スーツ縛りもなくて、ジャケットを羽織っていれば何でもいい。今年は全社員でベトナムのダナンに社員旅行にも行きます。

給料も、私調べですけど、平均給与はどこよりも高いと思いますよ。入社してまだ間もない若いメンバーでも月40〜50万円あったりしますし、インセンティブの支給ももちろんあります。それでも、もっと出したいと思っています。

——この記事を読んで「一緒に働きたい」と思う方もいると思います。どんな人がFTSに合いそうですか?

鎌田さん:どんな人でもプロデュースできる自信はあります。ただ、強いて言うなら——「夢を持て」ってよく言うじゃないですか。でも、ほとんどの人は夢がないし、夢は叶わないと思っている。僕は、それは環境が悪いと思うんですよ。

うちに来ると、それはないと思っています。夢を持つことからのスタートでいいし、小さな夢でもいい。それを引っ張り上げる力は、俺にはあるかなと思っています。

3年以内に自社ビルを。その先に「みんなの夢」を

——今後の展望を教えてください。

鎌田さん:まず、3年以内に福岡で自社ビルを持つことです。ただ、自社ビルって、あくまで僕のエゴでしかないんですよ。だから、その次は僕がみんなの夢を叶える番です。

まだ満足な給料を出せているとは思っていないので、もっと出したい。それに、僕がもっと大きくなれば、子会社をいっぱい作って、みんながやりたい事業をみんなのチームでやれる。ホールディングス化していけたらいいなと思っています。やりたい事業は、それこそ無限にありますね。直近では、補助金・助成金まわりの新規事業を動かしていきます。

——今回の記事のような「発信」に踏み出したのは、なぜですか?

鎌田さん:信念があるんです。僕、今まで自分に力がなかったせいで、昔ついてきてくれた仲間、離れていった仲間がたくさんいるんです。去られたことも多いですし、それは幸せにできなかった自分が悪い。経営者として一番悔しいのって、やっぱりそこだと思うんですよ。

別に見せびらかしたいんじゃなくて、どこかでこういう発信が回って、あいつらが見てくれたらいいなって。そして、いつかまたどこかで一緒に仕事ができたらいいなって思うんです。僕、本当に組織が好きで、人が好きなんですよ。

「稼いだらどうっすか」——くすぶっているあなたへ

——最後に、挑戦したいけれど一歩踏み出せない、くすぶっている読者へメッセージをお願いします。

鎌田さん:稼いだらどうでしょうか(笑)

……いや、本当にそうで。みんな結局、そうじゃないですか。車が好きじゃない人でも、「フェラーリをあげる」と言われたらもらうでしょ? いい家に住めるなら住むでしょ? だったら、やることはシンプルです。稼ぎ方が分からないなら、調べる。そして、稼げる環境に自分から飛び込む。それだけじゃないですか。

もし本気でくすぶっている人がいたら、連絡をください。来てくれるなら、僕は全国どこでも飛び回って、会いに行きますから。

会社概要

会社名:株式会社FTS

代表:鎌田 倖輔 事業内容:伴走型営業支援(新規顧客開拓・販路拡大・代理店開拓/インバウンド・アウトバウンド施策)、補助金・助成金コンサルティング

所在地:福岡県【要確認:正式所在地】

URL:https://fts-create.com/

取材・文:黒澤優一(株式会社One Rep)

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