2026.04.06 / ぶち上げインタビュー
【ぶち上げインタビュー】打席に立ち続ければ、どこかで輝ける 株式会社クリエイクス 代表取締役 鈴木寛人さん【人生ぶち上げch】

ハゲるほど働いた。うつ病になった。自殺も考えた。それでも立ち続けた。 株式会社クリエイクス代表・鈴木寛人さん(以下、鈴木さん)は今年35歳。「今の自分、最高!」と心の底から言える今に至るまで、人生は想像の100倍ハードだったと振り返る。
この記事の要点
- 01正直、当時のプロダクトに僕は価値を感じられなくて、、「誰もこれを求めていないのに、どうやって売るんだ」という葛藤が常にありました。
- 02「学歴格差・地域格差・選択格差の是正」というビジョンを、全員が自分事として動いていて。
- 03「人って、環境が変われば、ここまで変化し成長できるんや」という強烈な確信を得た瞬間でした。
※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。
「挫折しても死なずに生きていれば、どっかしらで輝ける」——100倍ハードな道を歩んだ男が、大阪に「居場所」を作り続ける理由。
ハゲるほど働いた。うつ病になった。自殺も考えた。それでも立ち続けた。
株式会社クリエイクス代表・鈴木寛人さん(以下、鈴木さん)は今年35歳。「今の自分、最高!」と心の底から言える今に至るまで、人生は想像の100倍ハードだったと振り返る。
神戸で生まれ、ネフローゼ症候群による入院、学業不振、地元からの逃避を経て仁川学院高等学校へ。近畿大学を指定校推薦で入学後、破天荒な大学生活を経て大手不動産会社に入社。2年で退社し、東京で広告代理店に入るもうつ病を発症。
DMMグループ・ハッシャダイでの覚醒を経て帰阪し、2021年にコロナ禍でBARを開業。円形脱毛症になりながらも生き残り、2024年にサウナを開業。そして今期、人材紹介事業へと舵を切る
幼少期の孤独から、「何者かになりたい」という焦燥、そして第一次産業のエンパワーメントへ。鈴木寛人という人間がこれまで築いた軌跡を聞いた。
会社名:株式会社クリエイクス 役職:代表取締役 氏名:鈴木寛人(すずきひろと)
ネフローゼ、補欠、空回り——静かな「挫折」から始まった少年時代。ゲームだけが友達だった、退屈で孤独な入院生活
——小学生の頃のご自身を振り返ると、どんな子どもでしたか?
鈴木さん:人見知りで、内向きな性格でした。周りの目を気にしながら生きているような幼少期で、あんまり楽しくはなかったですね。5つ上の兄がいたんですが、僕が小1のときに兄は小6で。
一緒に遊びたいんだけど、兄には兄の友達がいる。両親は共働きだったんで、家でゲームするみたいな感じで。退屈な幼少期でした。
小3か小4の頃に「ネフローゼ症候群」という腎臓の病気になって、入院生活を余儀なくされまして。何が辛かったって、暇なんですよ。やることがないから一生ベッドの上にいる。退屈を紛らわすのはゲームだけで、友達との壁みたいなものを勝手に感じたりして。記憶があまりないんですが、多分辛すぎて飛んでるんだと思います。
——その後、中学校ではどんな3年間でしたか?
鈴木さん:サッカーをやりたかったんですが、新設の学校でサッカー部がなくて。消去法で卓球部に入ったんですが、当然身が入るわけもなく。適当に練習して、いつも2回戦で負けたり。熱が入らないまま3年間が終わった、空っぽな中学時代でした。
成績も下から数えた方が早いくらいで。「兄と同じ公立は無理だ」と先生に言われたときは、ショックよりも「やっぱりな」と冷めている自分がいましたね。
地元を捨てた高校デビュー——念願のサッカー部で待っていた「絶望」
素人同然のサッカー部員。それでも諦めずにグラウンドに立ち続けた
——高校進学を機に、環境を変えましたか?
鈴木さん:西宮の仁川学院高等学校に進学しました。地元の中学でちょっと嫌なことがあって、「ここに僕の居場所はない」と思って。地元を捨てて、心機一転したかったんです。
高校はサッカー部にも入れましたし、高校デビューしたかったんで。環境が変わったことでだいぶ変わりましたね。モテたかったんで、どうやったらモテるかを考えながら生きてました(笑)。おかげで、学年でベスト10に入るくらいの方とお付き合いできました。
ただ、サッカーは全然ダメで。小学生からずっとやってきた子には全然かなわない。ずぶの素人ですから。無理がたたって両足シンスプリントになって、2ヶ月間まともに歩けなくなって。
「俺、何やってもアカンな……」という感覚でしたね。最後の選手権大会も「思い出出場」で少しだけグラウンドを踏んで終わりました。
指定校推薦の「玉突き事故」が、人生の引き金になった
近畿大学への入学が、今の自分につながっているという確信
——大学は近畿大学に進学されたんですね。
鈴木さん:関西学院大学か関西大学に指定校推薦で行けるはずだったんですが、一般受験のストレスから離脱した特進クラスの生徒たちが推薦枠に降りてきて。玉突き事故みたいな感じで、僕の枠が繰り下がって近大になりました。当時はショックだったんですが、近大に行けたのはラッキーだったなという感覚もあって。
サッカー部の先輩も行っていたし、大学での出会いが今の会社につながっているんですよ。もし別の大学に行っていたら、今の僕はいない。そう思うと感慨深いです。
——大学生活はどうでしたか?
鈴木さん:4年間夏休みだった感覚で、楽しかったですね(笑)。フットサルサークルを立ち上げたり、3回生になって単位がほぼ終わったタイミングでボーイズバーを3ヶ月経験したり。もっとやっておけばよかったのは、留学とかインターンとか、視野を広げる経験ですけれど。
「誰も求めていないサービスをどう売るんだ」——初めて一人で咽び泣いた夜
超体育会不動産会社。焼け野原エリアでのソルジャー生活2年間
——新卒での就職はどういう経緯でしたか?
鈴木さん:意識高い系の大学生として就活セミナーにも行っていたし、五大商社とかに行きたいなとも思っていたんです。
でも当時お付き合いしていた方に身を委ねてしまって、就活が終わりかけた頃に福岡へ飛んだら「やっぱり公私混同したくない」と断られて。残り少ない企業に焦って入ったのが、不動産系の会社でした。
配属は建築請負事業部で、地主様に土地活用を提案する仕事なんですが、エリアは焼け野原みたいなエリアで。先輩たちが何度もアタックして怒りを買い尽くした地域に飛び込むわけです。笑顔で行っても返ってくるのは門前払いと罵声ばかり。
——2年間、どう乗り越えましたか?
鈴木さん:「石の上にも3年」という呪文を唱えながらやっていたんですが(笑)。正直、当時のプロダクトに僕は価値を感じられなくて、、「誰もこれを求めていないのに、どうやって売るんだ」という葛藤が常にありました。
最後、1億3,200万円のBIG案件が融資が降りずに流れた瞬間、僕の中の炎が消えましたね。一人で帰りの車の中で咽び泣いたのは、人生で初めての経験でした。
標準語でゴリ詰めされ、うつ病に——人生で一番の谷底
チャットの通知音だけで心臓が跳ね上がるようになった、東京での地獄
——その後、東京に渡ったんですね。
鈴木さん:大学の友人・片山から「東京へ来い、これからはITだ」という電話がかかってきて。二つ返事で上京して、居候させてもらいながら300社にエントリーして、ようやく手にした内定1社が代官山の広告代理店でした。
ところが入社初日から「お前面白そうだから今日から営業な」と言われて(笑)。配信設定のミスで大きなクレームを起こしてしまってから、地獄が始まりました。
——どんな状態でしたか?
鈴木さん:上司の監視下に置かれ、1時間ごとに成果と進捗を詰められる。標準語の、淡々とした、逃げ場のない詰問がずっと続いて。チャットの通知が「ピコン」と鳴るだけで心臓が跳ね上がるようになって。大好きなはずのお笑い番組を見ても、1ミリも笑えなくなっていました。
自◯の方法も調べるくらいでした。ただ、ふと冷静になって「親より先に死んだら親不孝者だな」と冷静になれました。最終的にクリニックで「鬱病」と診断されて、医師の言葉を背に会社を辞めました。
ハッシャダイで初めて見た「景色」——奪い合わない仕事との衝撃的な出会い
「本当にユーザーのためになるの?」という言葉が、ファンタジーに聞こえた
——その後、DMMグループ・ハッシャダイに入社されたんですね。
鈴木さん:退職手続きをしていたときに大学の友人・茂人から「新規事業の立ち上げで営業を探している」と連絡が来て。六本木の本社で面接を受けて、ペラ1枚の自己紹介プレゼンで自分をさらけ出して、なんとか入社できました。26歳の頃です。
——ハッシャダイは、これまでとどう違いましたか?
鈴木さん:別世界でした。「学歴格差・地域格差・選択格差の是正」というビジョンを、全員が自分事として動いていて。課題が出ると誰かが必ず「それって、本当にユーザーのためになるの?」と言う。
一致団結して誰かのために議論するその姿が、不動産営業時代の「誰が幸せになるんや」という疑念と広告代理店での消耗を経てきた僕には、まるでファンタジーに見えました。
「会社ってこういうあたたかさがあるよね」を初めて知れた場所でしたね。30人くらいの規模で、みんなが同じベクトルを向いて動いていた。会社ってこうあるべきだよねというのが、初めて僕の中にインストールされました。
——具体的にどんな仕事をされていたんですか?
鈴木さん:リゾートバイト事業の担当として、求職者と企業の架け橋をやっていました。北は北海道の知床から南は沖縄の石垣まで、100施設以上のリゾートホテルやゲレンデを開拓して。
一番嬉しかったのは、僕が送り出した子が東京のオフィスまでお礼を言いに来てくれた瞬間です。出会った時は自信がなく臆病だった子が、堂々と胸を張って立っている。「人って、環境が変われば、ここまで変化し成長できるんや」という強烈な確信を得た瞬間でした。これが、僕が人生で初めて感じた「働く意味」でしたね。
矢沢永吉と岡本太郎と、左利きのエレンが背中を押した起業の決断
29歳、「意味のある30代を」という焦燥が、三つの言葉と重なった夜
——大阪に戻り、起業を決意したきっかけを教えてください。
鈴木さん:コロナでフルリモートになって孤独が重なり、エンジニアへのジョブチェンジも上手くいかなくて。片山から「大阪に戻るから手伝ってくれ」と連絡が来て、帰阪を決意しました。
大阪で現グループ会社であるバーチャルアーツをやりながら、29歳になった頃に「自分の人生に決着をつけよう」という気持ちが強くなって。
理由は3つあります。まず、一生挫折ばかりだったから、どこかで巻き返したかった。2つ目は、矢沢永吉さんの「30歳になるときには、大人の切符が必要なんだよ」という言葉が謎に刺さってしまって。「このまま30代になっても意味がない」とものすごい危機感を感じた。
3つ目は、ハッシャダイという大きな会社にいたから、電話するだけで「ぜひお願いします」という状態で。会社の看板を取っ払ったときに、何にも残らないなという焦燥感があって。そこで『左利きのエレン』を読んで、「何者かにならないとダメなんだよ!」と泣きながら叫ぶシーンに感化されて。
岡本太郎の『自分の中に毒を持て』で「楽な道でなくいばらの道を選べ」という言葉を読んで、もう腹が決まりました。
コロナ禍でBARを開業し、円形脱毛症になりながら生き残った5年間
BACKDOOR誕生秘話と、床に倒れ天井を見上げた夜
——「BACKDOOR」を開業したのは、2021年のコロナ禍ですね。
鈴木さん:創業メンバーと居酒屋で飲んでいる時に「仕事終わりにお酒を飲める場所があったらいいよね」という一言が出て。東京時代に味わった、多種多様なプロフェッショナルが混ざり合うあの刺激的な場所を大阪に作りたいと思って。不動産営業時代の経験を活かして、ミナミや堀江を歩き倒して物件を探しました。
銀行に50回以上足を運んで、警察署に通い詰めて深夜営業の許可を取って、一級建築士の先生と議論を重ねて理想のカウンターを作り上げました。
——起業直後はどれほど大変でしたか?
鈴木さん:あまり覚えていないんですよ、正直(笑)。もうやるしかないから。文章力もデザイン力も言語化する力もないのに、肩書きだけ代表取締役で。一生仕事が終わらない、みたいな状態でした。
家賃、光熱費、融資の返済は一秒も待ってくれない。日中はディレクション業務、夜はBARのカウンター。2021年には円形脱毛症が始まって、ストレスが重なったある夜、店の中で失神して床に倒れ、天井を見上げていました。
2回倒れましたね。「好きなことで生きていく」と覚悟して始めたはずが、文字通り命を削る生活でした。
——それでも続けてこられた理由は?
鈴木さん:守るべき「城」と「仲間」がいたからだと思います。昔とは違う、という感覚がありました。今は5年目で、ありがたいことに僕に会いに来てくれるお客様が何千人と増えてきました。昔のまま生きていたら絶対にたどり着けなかった場所です。
サウナ×BAR——「世界で一番、自分が欲しかった場所」が完成した
没入感とサ飯への徹底したこだわりが、第一次産業への想いにつながっていく
——2024年にサウナを増設されたんですね。
鈴木さん:僕にとってサウナは、東京で病んでいたときに折れそうな心を何度も救ってくれた場所で。服を脱いで裸で向き合う空間には、肩書きも年収も過去の失敗も関係ない。深い話ができるし、人と本当に仲良くなれる。
「自分の人生における最高傑作のサウナを作りたい」という純粋な夢がありました。一級建築士の先生と議論を重ねて、徹底的な没入感にこだわりました。
サウナで整った後、そのままの足でBARへ流れてサウナ飯を食べて冷えたお酒を飲む。気づけば意図せずして「Sauna & BAR」という、世界で一番僕が欲しかった場所が完成してしまいました。
——サウナ飯へのこだわりが、第一次産業への想いとつながっているそうですね。
鈴木さん:サウナ飯を1から作っていく中で、食べ物と健康の関係を細かく調べていったら、日本の第一次産業ってめちゃくちゃ力強いな、豊かな国だなと強烈に感じて。でも日の目を浴びにくいし、後継者不足でいいプロダクトがどんどん消えていく。
学生との接点も多いので、大学1〜2年生の頃から「第一次産業ってかっこいいんだよ」と刷り込んでいけば、就活の選択肢に入ってくるんじゃないかという仮説があって。
今期から人材紹介免許を取得して、第一次産業の採用イベントを展開していきたいと思っています。採用のミスマッチを防ぎたい!というミッションを新たに掲げたので、第一次産業を中心に、いろんな企業様に喜んでもらえるような採用イベントをしたいんですよね。
「打席に立ち続ければ、どこかで輝ける」——くすぶっているあなたへ
自殺を考えた男が、今は心の底から「最高!」と言える理由
——今、うまくいかずにくすぶっている人へ、メッセージをお願いします。
鈴木さん:心の奥底の奥底には、実はやりたいことって眠っていると思うんです。ただ他人と比較したり、脳が「お前はこの程度だ」と勝手に制限してしまっている。結論、自分に正直に生きるというのが一番の答えになるのかな、と思います。
うまくいかないときにやっていたことは3つあって。原因究明してどうすれば解決できるかを自分で考えること、その事業領域の上流にいる人にアポを取って相談すること、そして読書。4つ目にコーチングも有効で、インナーチャイルドを癒すワークで「もっと自由に生きていい」と本当の意味で理解できたことが、大きな転換点になりました。
コーチングをしてくれた翔太くん( https://x.com/energy_uemura?s=21&t=eONfGEnRe3IMtvBaloAy3A )のおかげで僕が人間とししての豊かさをインストールすることができたので、本当に感謝してます!!!!
ーー最後に一言
鈴木さん:挫折しても死なずに生きていれば、どこかしらで輝けるのかな、という感覚があります。打席に立ち続ける、というか。かっこよく言えなくて申し訳ないですが(笑)、それが僕の人生から言える、正直なことです。マイナスの経験があるから、人の痛みに共感できる。その分の差分がわかる人生でよかったと、今は思えています。
会社名:株式会社クリエイクス 設立:2021年 代表:鈴木寛人 事業内容:バー「BACKDOOR」・プライベートサウナの経営運営、採用イベント事業 所在地:大阪府
鈴木さん Instagram
https://www.instagram.com/hi6pi_backdoor/?hl=ja
株式会社クリエイクス HP
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取材・文:河本龍真/株式会社One Rep
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