2026.06.22 / ぶち上げインタビュー
【ぶち上げインタビュー】「清掃を、若者が誇れる仕事に変えたい」——民泊清掃で“きつい・汚い”の常識を書き換える叩き上げ。ポンシロ清掃サービス・中谷海都さん

「やっても、やっても勝てへんかった」
この記事の要点
- 01野球少年が叩き上げの経営者になるまでの道のりと、「清掃のイメージを覆したい」という静かな闘志を聞いた。
- 02もともとは買取の飛び込み営業で起業したんですけど、去年の3月に買取からは撤退して、清掃に事業転換しました。
- 03——採用や組織づくりで大事にしていることは?
※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。
「やっても、やっても勝てへんかった」
弱小の少年野球チームで、誰よりも燃えていた少年がいた。周りの熱量が上がらなくても、一人で公園に集まって白球を追い続けた。その背中に人が集まり、チームはやがて準優勝までたどり着く。
——大阪を拠点に民泊清掃を手がける「ポンシロ清掃サービス」代表の中谷海都さん。小学2年から大学3年までプロ野球選手を本気で目指し、夢が断たれたあとは万、自動車ディーラー、シーシャバーの店長、買取の飛び込み営業と、数えきれない現場を渡り歩いてきた。買取営業では入社3カ月目から社内トップを走り、粗利は200万。そして今、清掃という「若者が毛嫌いする業界」に飛び込み、わずか2期目で十数億円が見える会社をつくりつつある。
過去・現在・未来。野球少年が叩き上げの経営者になるまでの道のりと、「清掃のイメージを覆したい」という静かな闘志を聞いた。以下、中谷さんへのインタビュー。
【プロフィール】
会社名:ポンシロ清掃サービス
役職:代表
氏名:中谷海都
まずは、いまの事業から——「2期目で十数億が見えている」
民泊清掃という、いま伸びている現場
——いまの事業内容を教えてください。
中谷さん:いま力を入れているのは民泊の清掃です。もともとは買取の飛び込み営業で起業したんですけど、去年の3月に買取からは撤退して、清掃に事業転換しました。ちょうど創業メンバーの営業マンが独立して抜けたタイミングでもあったんですけど、その少し前から不動産会社さんに民泊清掃の案件をいただいていて。万博もあるし、この業界は伸びていくやろうと思って、思い切って舵を切りました。
いまは大阪市内だけで80件くらいの管理物件を清掃させてもらっています。従業員は15名くらい。全員業務委託の形ですね。
——2期目とのことですが、売上の見え方がすごいと伺いました。
中谷さん:会社としてはまだ全然浅くて2期目なんですけど、いま大きな案件で、34棟を持っている会社さんと契約させてもらっていて。1棟あたり40室くらいあって、稼働率も80%くらい。それを徐々に任せていきたいと言っていただいているので、そこだけで18億4千万くらいは見えています。ほかにも貸別荘やヴィラの民泊運営をされている会社さんなど3社ほど契約していて、合わせると19〜20億くらいかなと。
1期目は買取から比べると一気に跳ね上がっている実感はありますね。
すべての原点は、野球だった
弱小チームで一人だけ燃えていた
——学生時代に熱中していたことは?
中谷さん:小学2年から、ずっと野球です。大学3回生まで、本気でプロ野球選手を目指してやっていました。
小学校のときは弱小チームで。先輩を見てもそんなにうまくなくて、僕はすぐ上の学年の試合に出させてもらって、1番ショートをやっていたんですけど、やってもやっても勝てない。コールド負けも多くて、「どうせ負けるやろ」みたいな空気だったんです。僕だけ燃え上がっているのに、周りの熱量が全然なくて。
これはなんとかせなあかんなと思って、最高学年になってから、練習以外にもプライベートで公園に集まってキャッチボールしたり、「絶対勝つんや」って自主練を続けたんです。そうしたら、その熱が伝わったのか、集まってきたメンバーがそのままチームに入ってきてくれて。地元・枚方のライオンズクラブ杯で準優勝できたんですよ。弱小チームでも、ここまで行けたっていう自信になりました。
スカウト、そして「試合に出られない」日々
中谷さん:中学は、ボーイズリーグでも有名な「オール枚方ボーイズ」に入れてもらいました。同級生には、のちにプロへ進んだ選手もいるくらいレベルが高くて。でも僕は身長も高くなくて、中学2年くらいまで全然試合に出られなかったんです。
守備と足には自信があったけど、バッティングのレベルが違うなと痛感して。だから振り込みと走り込みを徹底して、毎日フルスイングを積み重ねて、それをノートに書いて。中3の春にようやくベンチに入って、南大阪大会では7番で4割くらい打たせてもらって、優勝できました。そこからはずっとメンバーに入って。チームは65勝4敗くらいで、メダルもすごかったですね。
熊本へ野球留学、そして夢の終わり
中谷さん:高校は熊本の秀岳館高校に野球留学しました。
甲子園にも出ていた強豪です。寮生活で、1年のときは正直、雑用ばかりで思い出があまりなくて(笑)。つらかった気持ちのほうが強いです。3年になって先輩が抜けて、ようやく楽しくなった感じですね。
最後の夏は、3回戦で負けてしまって。2個下に村上宗隆がいて、彼は別の九州学院が甲子園に行くんですけど。練習試合では山本由伸の高校と対戦したこともあるくらいで、本当にレベルの高い世界でした。
大学は地元の大阪産業大学へ。引退後の半年間、屋上のスペースで毎日1000スイング、一人でずっとやっていました。その甲斐あって、1年春から上級生チームの練習試合のメンバーに選ばれて、
しかも初打席でホームランを打てたんです。練習してきたことが結んだ瞬間で、そこからはトントン拍子で試合にも出ていけて。
ただ3回生のとき、社会人を経由してプロを目指そうとしていた矢先に、社会人のセレクションに行けなくて。どうすればいいか分からなくなって、モチベーションが一気に下がってしまって。3回生の8月に、野球をやめました。
「野球をやめて、何が残るんやろう」
時給700円からのスタート
——野球をやめたあとは?
中谷さん:やめたとき、ふと「何が残るんやろう」と思ったんです。周りの大学の友達は、遊びながらお金も稼いでいて。僕はまずは地元の銭湯で、時給700円くらいのバイトを始めたんですけど、やってもやっても稼げへんなと。
そのとき、キャッチ(客引き)のバイトをしていた友達が、毎月40〜50万稼いでいて。正直、ちょっと怪しいイメージもあったんですけど(笑)、お試しで京都・河原町に立たせてもらったら、初日で2組引けて。エリアマネージャーに「初日から引けるのはすごいで」と言われて、完全歩合(売れた分の20%、売れなければゼロ)でやることになったんです。
ゼロは最初きついじゃないですか。でも、やった分だけ返ってくるし、卒業生に不動産で1000万プレイヤーになった先輩も何人もいると聞いて、間違いないと思って腹をくくった。半年で月30万が安定して、。20歳から22歳まで、2年やりました。
このときに、「仕組みで稼ぐ」と「労働で稼ぐ」の違いをすごく考えるようになって。ピケティの“r>g”みたいな話も自分なりに勉強していました。
「この仕事、楽しいですか?」——会社員時代の先輩の一言
——その後は自動車ディーラーに就職されたとか。
中谷さん:ええ。社会人経験がないと干されるかなと思って、フォルクスワーゲンの正規ディーラーに就職したんです。ちょうど卒業の年がコロナで。仕事が始まると、正直ちょっと憂鬱で「明日からか」って感じでした。
そのうち店舗が縮小して、僕はパーツを扱う物流部署に異動と言われて。そこで働く人を見ていたら、全然楽しくなさそうで、白髪がすごい人がいたんです。年を聞いたら36歳で、衝撃を受けて。僕、思ったことをすぐ言うタイプなんで、聞いてしまったんですよ。「この仕事、いまやってて楽しいですか?」って。
そうしたら、「いや、楽しくない。家族のために飯食わせて働いてるんや」と。その一言で、「辞めなあかんな」と決意しました。
そこからシーシャバーの店長を任せてもらったりして、そこで簡易的ですが財務やマーケティング、SEO・MEOまで学ばせてもらいました。月の棚卸は死にそうでしたけど(笑)、。いろんな業態を渡り歩いた経験が、いまの自分の土台になっています。
なぜ起業したのか——親父の背中と、買取で掴んだ手応え
スウェットでパソコンを叩く“ニート”は、実は
——独立のきっかけは?
中谷さん:ぶっちゃけると、親父の影響が大きいです。8社くらいの株主をやっている投資家で、僕が5歳くらいの頃からずっと経営者でした。家ではスウェットでパソコンをカタカタ叩いていて。小学生の僕は「ニートやん」と思っていたんですよ(笑)。でも、めっちゃ稼いでいる。「これ、なんかからくりがあるんちゃうか」と。
調べていったら、株主としてお金でお金を動かす側にいるんだと、17歳くらいでようやく分かって。そこから「社長になりたい、かっこいい」とずっと思っていました。
買取で起業したのは、YouTuberのヒカルさんが買取営業出身だったというのもあって。僕も15人規模の買取会社に入って、2カ月目で2位、3カ月目からはずっと社内1位。粗利は月200万を上げ続けていました。最後はオーナーと揉めてクビになったんですけど(笑)、それが独立のきっかけになりました。
清掃業界の「中抜き構造」を、叩き上げで壊す
現場を知らない請負には、任せられない
——清掃という業界に、どんな課題を感じていますか?
中谷さん:請負の会社がすごく多いんですよ。現場経験がないのに「人を持ってまっせ」と間に入ってきて、契約だけ取って、自分は現場に行かない。人を送り込んで適当な作業をさせて、クレームになる。そういうのを何度も見てきました。
だから僕は、叩き上げの人じゃないと信用できないなと。
営業をずっとやってきたからこそ、元請けで直受けにこだわっています。下請けだと相手の顔色や「こうやってくれ」というしきたりで動かないといけない。それが苦手なんです。それなら、決裁権のあるオーナーさんと直接、信頼と
実績で関係をつくって、リファラルで紹介してもらう。
それが僕の案件の取り方ですね。
「きつい・汚い・給料低い」を覆したい
——採用や組織づくりで大事にしていることは?
中谷さん:清掃って、若者からは「きつい・汚い・給料低い」と毛嫌いされがちじゃないですか。外国人メインで質が悪いという声も、いろんなオーナーさんから聞きます。
そのイメージを覆したいんです。
うちは15名くらいで、20〜30代が多くて。動画編集をやっていたようなクリエイティブな子もいれば、会社に出勤できない、社会復帰がうまくいかない子もいます。でも、そういう子たちにとって居心地のいい場所をすごく大事にしていて。不特定多数が多い場所だと萎縮して働けない人も、マニュアルと仕組みをしっかり作って「これだけ最低限やってね」とすれば、ちゃんと働ける。働きやすい環境はつくれているかなと思います。
採用はいまSNS一本です。Instagram、X、それからThreads。Threadsが意外と反応が良くて、そこから人が集まってきています。
未来——空き家とセカンドライフ、地方に雇用を生む
——今後の展望を教えてください。
中谷さん:いまは清掃に注力していますけど、その先は不動産の買取・再販や、空き家の管理・リノベーションをやりたいと思っています。
都会で疲れている人って多いじゃないですか。仕事を切り離せないから、仕方なく高い賃料を払って都会に住んでいる。そういう人たちが、地方でセカンドライフを送れるような家づくりをしたいんです。空き家を買い取ってリノベーションして貸す。サウナや農業も仕事にして、地方に雇用が生まれるような経済圏をつくりたい。
地方には後継者不足の会社も多くて、「おっちゃん、やりますわ」「じゃあ株を全部あげるから伸ばしてくれ」みたいに、自然にM&Aができる流れもあると感じています。今は
売却にはあまり興味がなくて。周りには事業を売って財産も収入もなくなって、またゼロイチで作らなあかんと悩んでいる人も多いので。だからこそ、今はちゃんと地に足をつけて、大きくしていきたいですね。
——最後に、この記事を読む方へ。
中谷さん:清掃は、やり方次第で誇れる仕事になると思っています。叩き上げで現場を知っているからこそ、信頼で勝負できる。「きつい・汚い」のイメージを、若者が「やってみたい」と思える仕事に変えていく。その挑戦を、これからも大阪から続けていきます。
会社概要
会社名:ポンシロ清掃サービス
代表:中谷海都
事業内容:民泊清掃、不動産清掃管理(買取事業から事業転換)
所在地:大阪府大阪市
取材・文:黒澤優一(株式会社One Rep)
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