2026.06.20ぶち上げインタビュー

ぶち上げインタビュー「ワクワクする当たり前を作りたい」——商談準備DXで「会う前」を変える男。株式会社sizzle 代表取締役 樋口大介さん

「ワクワクする当たり前を作りたい」——商談準備DXで「会う前」を変える男。株式会社sizzle 代表取締役 樋口大介さん

WEBサイトから入ってきた問い合わせの「興味度合い」や「ニーズ」を可視化し、営業担当の商談前にレポートとして届ける——。そんな商談準備DXツール「sizzleスカウター」を開発・提供している株式会社sizzle。工務店・ハウスメーカー・不動産会社を中心にリリース1年で120社を超え、ハウスメーカーの成約率を4.6%押し上げた実績を持つ。代表を務めるのは、樋口

この記事の要点

  • 01現在5期目に入ったばかりのsizzleが掲げるビジョンは、「ワクワクする当たり前を作る」。
  • 02だからこそ、「何をやるか」よりも、「何のためにやるのか」「どういう会社でありたいのか」——その価値観、ビジョンのところをまず明らかにしてから、事業を考えようと決めました。
  • 03振り返ってみても、イツザイの創業期にお金が全くなかった頃、なぜか辛くはなかった。

※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。

WEBサイトから入ってきた問い合わせの「興味度合い」や「ニーズ」を可視化し、営業担当の商談前にレポートとして届ける——。そんな商談準備DXツール「sizzleスカウター」を開発・提供している株式会社sizzle。工務店・ハウスメーカー・不動産会社を中心にリリース1年で120社を超え、ハウスメーカーの成約率を4.6%押し上げた実績を持つ。代表を務めるのは、樋口大介さんだ。(以下、樋口さん)

早稲田大学を卒業後、新卒で入った会社はわずか半年で崩壊。2011年、前職の先輩と共に株式会社イツザイを創業。震災直後の東京で、300社超の中小企業の集客を支援してきた。20人規模まで拡大した会社で「目指すべき場所が見えない」状態を経験し、マネジメントの一線から退いた。そして2022年、10年来の盟友と共に、現在の株式会社sizzleを立ち上げた。

現在5期目に入ったばかりのsizzleが掲げるビジョンは、「ワクワクする当たり前を作る」。このフレーズの奥には、陸上のイップス、会社を一度手放した経験、そして「自分でコントロールできる人生」への確信がある。今回は、樋口さんの思考の軌跡を伺った。

会う前に、相手を知る——営業担当の準備を変えるツール

BtoC高単価領域で、商談前から勝ちを作る

——改めて、sizzleさんの事業内容から教えてください。

樋口さん:「sizzleスカウター」という営業支援ツールを開発・提供しています。具体的には、ホームページから問い合わせが入ったタイミングで、その問い合わせをしてきたユーザーが「どのページをどれくらい見ていたか」を分析するツールです。そこから、その人の興味度合いや、どんなニーズを持っているのかを、営業担当が商談する前に知ることができる。つまり、商談の「準備」をサポートするツールなんです。

——どんな業界の企業が導入していますか?

樋口さん:BtoC業界の導入企業が多いです。美容系、結婚式場、ハウスメーカー、リフォーム会社などですね。もちろんBtoBでもいいんですが、BtoCの方が「会ってみないと相手のニーズが分からない」ことが多い。だからこそ、このツールが活きやすいんです。

会う前に相手の状態が分かっていると、営業担当は安心して商談に臨むことができます。

陸上で味わった、18年間封じ込めた苦しみ

「腕が触れなくなった」——高校3年間のイップス

——少し過去を遡ってお聞きします。小中高と陸上を続けていたと伺いました。

樋口さん:そうですね。埼玉県で生まれて、途中で父の転勤で奈良に移って。父はサラリーマンで、祖父が新潟で呉服屋をやっていたり、母方は養鶏場だったり、経営者一家というわけでもなく。ごく普通の家庭で、小中高とずっと陸上をやっていました。

——陸上時代で一番印象に残っている出来事は?

樋口さん:今思い返すと、高校の3年間は絶望感しかなかったかもしれません。ある時から、練習はめちゃくちゃ調子が良くても大会で走り始めると腕が全く振れなくなるんです。手に力が入らなくて、ダラッとなっちゃう。陸上のイップスですよね。

高1の秋に出したタイムを、高3まで一度も超えられなかったんです。超えられないどころか、後輩にもどんどん抜かれていく。知り得る限りのスポーツトレーナーのところを回りました。でも、どうにもならない。

陸上を一言で表すと、僕の中では「苦しさ」でしかなかった。自分と向き合う苦しさ、という感じですね。

——その経験は今、どう捉えていますか?

樋口さん:あれはたぶん、フィジカルの問題ではなくメンタルの問題だったんだろうな、と。というのも、僕はずっと「全国インターハイを目指します」と言っていました。チームのエースだったし、監督にも当たり前のようにそう言われる。でも、心のどこかで「このままじゃいけないだろうな」と思っていた。

そこからの学びは、目標設定ってとりあえず口にしても意味がない、ということ。本心から「絶対いける」と思えていることは、たとえ高いハードルでも行ける。でも、言葉では宣言しているのに、心のどこかで「無理かも」と思っていることは、絶対にうまくいかない。だから、自分が何か宣言したときに、本気でそう思えているか——そこに耳を澄ますようにしています。

潰れた会社、震災直後の創業——生きるために始めた事業

社会人1年目の10月、職を失う

——大学はどのように過ごされましたか?

樋口さん:受験期は相当勉強しました。どうしても東京に出たくて、「早慶上智以外はダメ」と言われていたので、朝6時から夜12時まで。東京に行けなかったら死のうと思っていたくらいです。

早稲田に入ってからは、もう、ふわっと過ごしていましたね。ずっと封じ込めていた音楽がやりたくて、奈良から上京してきた仲間とすぐにバンドを組んで、大学時代はわりと音楽漬けでした。

——就職活動は?

樋口さん:同級生は大手企業に進む人が多かったんですが、なんとなく大企業で働いている自分がイメージできないというかしっくり来なかった。かといってさしたるモチベーションもなくベンチャーを受けていました。ただ、その頃から「いつか起業しようかな」とは思っていて、性格的に、でかいところに入ったら満足しちゃいそうだなと。

結局、吹けば飛ぶような小さいベンチャーに新卒で入ったんです。ECサイトを持っていない老舗店舗向けに、ネット通販の立ち上げを代行する会社でした。

そうしたら、入社半年で吹き飛びました。(笑)

——半年で会社が?

樋口さん:社員7、8人の会社だったのですが、毎月先輩が計画的に辞めていくんです。最後の1人、2人になって。気持ちがすり減った僕は、社会人1年目の10月に職を失いました。

転職するバイタリティがなくて起業した、というと起業の方がバイタリティいるでしょ!と突っ込まれるんですが、当時は会社にもう一度勤めることの方がよっぽどキツく感じていました。だから起業したんです。

水道を止められても、不思議と辛くはなかった

震災2ヶ月前、3人で走り出した創業期

——起業はどのように始まったんですか?

樋口さん:先に会社を辞めていた先輩2人に声をかけて、3人で始めることにしました。1人はもう転職していたので片手間で、もう1人と僕がフルコミットで。

生まれて初めて事業計画書を書くじゃないですか。でも、何も持っていない。お金もない、仕入れもできない。3人のスキルを合わせたときにできることは、ホームページ制作だった。当時はインタビューメディアが今ほど多くなかったので、「自分たちでインタビューメディアを立ち上げて、経営者に会いに行って、無料で掲載する。そこからHP制作の受注につなげよう」と。それが、株式会社イツザイの始まりです。2011年1月のことでした。

——直後に震災が起きた。

樋口さん:創業2ヶ月後ですね。僕、あの日はまさに神奈川の磯子まで行って営業をしていたんですよ。お金がなさすぎて絶対に仕事を取らないとタダでは帰れないと思っていたので、地震も全く気にせず話し続けていました。「頼むから今日は帰ってくれ」と言われて。とぼとぼ帰ってきた記憶があります。

営業スタイルは、今振り返るとよくないですけど、完全に「悲壮感漂う」感じだったと思います。(笑)

「今日契約を取らないと生きていけない」って。

当時、一番の貧困エピソードでいうと、水道を止められたことですかね。電気とガスは早めに止まるけど、水道って3ヶ月ぐらい滞納しても許されるんですよ。それでもついに止まった。アポがあるけど交通費がないから、調べて「3時間歩けば着くか」と徒歩で行くこともありました。無茶苦茶ですよね。(笑)。創業時は常に貧困と隣り合わせでした。

——それでも、当時は辛くなかったと。

樋口さん:全く辛くなかったんですよね、不思議と。むしろ希望に満ち溢れていたかもしれない。口座の残高が1万円を切ることもしょっちゅうあったけど、「数千円で次の入金までしのごう」って、なんとかなる。それよりも、勤めていた会社が潰れゆくのを眺めていた時の方が、よっぽど辛かった。

自分で起業したら数字を作るのも作らないのも、全部、自分次第じゃないですか。だから絶望感は不思議とないんですよ。勤めている会社がどうなるかの方が、コントロールできないから、不安になる。自分で選んでやっていることに対しては不安はあんまりない。やればいいんだから。

「どこに連れていけばいいか、わからなくなった」——2年間の暗闇

20人の会社で浮き彫りになった、核の不在

——そこから会社経営をスタートされ、一番きつかった時期は?

樋口さん:一番きつかったのは、実は創業期ではなくて、もっと後なんです。

イツザイで社員20人ちょっとを超えたあたりから、浮き彫りになってきたことがあって。「この会社、目指すべきところが何もないな」と。

そもそもスタートが、生きるために起業している会社だったんですよ。だから、ホームページ制作、そこから需要があってSEO対策と、なんとなく事業は伸びていく。業績はうまくいっているように見えるんだけど、みんなの核になるものは何もなかった。

気持ちがバラバラになっていくんですよね。ある時、自分がメンバーの子たちをどこに連れていくべきか、分からなくなった。社員を目の前にして話すのが、すごく怖くなった時期があったんです。「どうするんですか?社長!」って、突きつけられているような気がして。

——具体的には、どんな状態だったのでしょうか?

樋口さん:当時の経営メンバーとは、目指す方向が全然違ったんです。先ほど言った通り、最初は「食いぶちを稼ごうぜ」みたいな価値観なんですよね。目的は凌ぐことだから。でも、その先で「何を実現していきたいのか」という話になったとき、ズレが浮かんでくる。売り上げをとにかく上げ続けることで走ってきた数年、そこからビジョンに沿った事業作りをしたいと思っても、僕たちには共通する言葉がなかった。

新卒も入ってきていたんですが、みんなが戸惑っている、迷っている状態が2年ぐらい続きました。会社の空気は良くなかったと思います、まず僕自身が心から笑えていなかった。「経済的に足りないことより、目指すところがないことの方が、人って辛いんじゃないかな」と、そのとき思ったんです。

経営会議も何度も何度もしてMVVを話しあったんですが、場当たり的な対処にしかならなくて、会社がまとまる一手を打ち出せない。次第に自分自身の心のバランスも保てなくなっていきました。

一度、会社を手放す——2回目の人生のはじまり

オーナーとして残り、マネジメントを離す決断

——そこから、どう動いたのでしょうか?

樋口さん:「自分が生み出した会社だから、辞めるなんて許されない」と思い込んでいたんですけど、限界だった。役員たちと「この会社をバイアウトするのか、どうするのか」と話し始めて、結論としては、オーナーとしては残るけれど、会社のマネジメントは別の人間に任せることになった。

当時は肩の荷を下ろさせてもらった、という感覚でした。

——そこから、sizzleの創業に至るわけですね。

樋口さん:そうです。現場を離れた後、「もう一回挑戦したい」という気持ちがフツフツと湧いてきて。5、6年前から「いつか一緒に仕事をしたい」と思っていた人間がいたんです。それが、今のsizzleの共同創業者である取締役です。10年近い付き合いで、彼も勤めていた会社を独立してフリーで活動していたタイミングだったので、思い切って声をかけました。「イツザイから離れることになった、一緒にやりませんか」と。彼が二つ返事で「やりましょう」と。

そうしてsizzleが始まりました。正直、2回目の人生だと本気で思っていて。自分的には一度死んで、もう一度チャンスをもらったぐらいの感覚だったんです。だからこそ、「何をやるか」よりも、「何のためにやるのか」「どういう会社でありたいのか」——その価値観、ビジョンのところをまず明らかにしてから、事業を考えようと決めました。

「ワクワクする当たり前を作る」——主体的に生きる状態をつくる

ビジョンが、事業と採用を貫く

——sizzleが掲げる「ワクワクする当たり前を作る」というビジョンについて教えてください。

樋口さん:このフレーズが、うちの核にある言葉です。

日常って、楽しいことばかりじゃない。当たり前にこなさなくちゃいけないことが、結構多いじゃないですか。でも、そこって捉え方1つで、ワクワクしたものになり得る。

sizzleスカウターで言うと、営業って決してただただ楽しいものではないし、むしろ好きじゃない人の方が多い気がする。でも、僕らのツールを使って「会う前に、こんな話をしよう」と思いを馳せることができたら、次の商談が楽しみになるかもしれない。そう思っているんです。

——社内で大切にしている価値観は?

樋口さん:実はつい最近、経営陣で「ワクワクする当たり前を作るって、どういうことなんだろう」と話していたんです。その結論が——「自分の人生に主体的に生きている状態を作ろう」でした。

これは、起業しているとか、勤めているとか、学生だとか、そんなことは一切関係ない。自分の人生をコントロールできている状態、自分で主体的に働ける状態の人を、社内外に増やしていきたい。それが僕らの核なんだろうと、言語化できたところです。

振り返ってみても、イツザイの創業期にお金が全くなかった頃、なぜか辛くはなかった。あれは、自分でコントロールできていたからなんですよね。人って、主体的に自分の行動を選べているときは、タフな道でもきつくはない。そういう状態で生きられる人を、sizzleを通じて増やしていきたいんです。

視聴者へのメッセージ——環境を変えることも、主体性のひとつ

「自責が過ぎると、自分を壊してしまう」

——成長意欲はあるのに、今のベストを尽くせていない人に、メッセージをお願いします。

樋口さん:悩んでいる人って、ちゃんと自責思考の人が多いと思うんです。ただ、自責が過ぎると「自分自身がダメなんだ」「俺を変えなきゃ」という方向に行きがちで。

それをやり過ぎて潰れてしまう人も多い。

でも、環境が変わった瞬間に、水を得た魚のように活躍する人をたくさん見てきた。だから、自分を責めすぎるぐらいなら、自分が生き生きと頑張れる環境を探せばいい。ポジティブに頑張れる場所は、絶対にあるんですよ。

主体的に生きたいのに、生きられていない人は、自分を責めすぎなくていい。自分を受け入れてくれる仲間が集まっているところに行ったら、イキイキと頑張れるはずだから。

会社に勤める形を選んだとしても、限りなく自分で人生の意思決定ができる環境を——僕はそれを作ろうと努力しています。

身内へのメッセージ——あるのは、ありがとうしかない

2度目のチャンスに、集まってくれた人たちへ

——最後に、今このインタビューを読んでくださっているsizzleの関係者、身内の方にメッセージを。

樋口さん:ありがとうしかないですね、本当に。

さっきお話しした通り、sizzleを立ち上げる直前のタイミングって、イツザイを起業したときよりもよっぽど絶望感があって、自信も何もかも失っていた状態だったんですよ。そこから、こうしてビジョンを語って、そこに共感してくれる人がいてくれる状態自体が、もう何よりも幸せで。

本当に、ありがとう、しかないです。

項目:内容

会社名:株式会社sizzle

設立:2022年

代表取締役:樋口 大介

事業内容:営業支援ツール「sizzleスカウター」の開発・提供

所在地:東京都中野区鷺宮6-31-18 エムジーホール7F(開発・マーケ拠点)/早稲田(営業拠点)東京都新宿区早稲田町5番地203

東京都新宿区早稲田町5番地203

取材・文:河本龍真(株式会社One Rep)

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