2026.08.04ぶち上げインタビュー

ぶち上げインタビュー「悩んでいる時間があるなら、行動したほうが早い」——安定を捨てた元消防士。社名に掲げた“好奇心”で、若者が未来に希望を持てる社会をリードする男。株式会社Curiosity・岩崎匡佑さん

「悩んでいる時間があるなら、行動したほうが早い」——安定を捨てた元消防士。社名に掲げた“好奇心”で、若者が未来に希望を持てる社会をリードする男。株式会社Curiosity・岩崎匡佑さん

「行くんだったら行く。行かないんだったら、もう死ぬ」——ゼロか100か。それくらいの振り切り方で、人生の岐路をすべて“勝負”に変えてきた経営者がいる。

この記事の要点

  • 01しかし、50代の上司の姿に「レールの上の自分の未来」を重ねてしまい、二十歳で退職。
  • 02未経験で飛び込んだ訪問販売の世界では、入社1ヶ月目から結果を出し、最年少で主任・係長へと駆け上がり、そのまま独立・起業を果たした。
  • 03180人をまとめるキャプテンが僕を可愛がってくれているということで、周りの見方も変わっていきました。

※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。

「行くんだったら行く。行かないんだったら、もう死ぬ」——ゼロか100か。それくらいの振り切り方で、人生の岐路をすべて“勝負”に変えてきた経営者がいる。

通信回線の営業代行を手がける株式会社Curiosity。代表の岩崎匡佑さん(以下、岩崎さん)は、埼玉・川越に生まれ、全国高校サッカー選手権の常連校・正智深谷高校でサッカーに打ち込んだのち、18歳で消防士になった。しかし、50代の上司の姿に「レールの上の自分の未来」を重ねてしまい、二十歳で退職。未経験で飛び込んだ訪問販売の世界では、入社1ヶ月目から結果を出し、最年少で主任・係長へと駆け上がり、そのまま独立・起業を果たした。

社名の「Curiosity」は、日本語で“好奇心”。「好奇心がなくならない限り、ワクワクは絶対になくならない」と語る岩崎さんの会社は、メンバー全員がオフィスに集まって働く、“社会人部活”のようなチームだ。

今回はそんな岩崎さんに、モトクロスに憧れた幼少期から、キーパーからフォワードへ「ポジションを奪い返した」中学時代、入学2ヶ月で停学になった高校での挫折、消防士を辞めて営業で勝負した日々、そして「若者が未来に希望を持てる社会をリードする」という展望まで、じっくりとお話を伺った。

【プロフィール】

会社名:株式会社Curiosity

役職:代表取締役

氏名:岩崎匡佑

「個人のインフラ」を届ける——通信回線の営業代行事業

——まずは、現在の事業内容について教えてください。

岩崎さん:光回線をはじめとした、通信回線の営業代行をしています。以前は訪問販売もやっていましたが、今は電話での営業、いわゆるテレアポが中心ですね。件数でいうと、訪問でも電話でも実はあまり変わらないんですよ。

Wi-Fiって、誰しもが使う“個人のインフラ”じゃないですか。AI化が進んでいくなかで、これから必ず必要なものになっていく。そこにスポットを当てて、やりきるというのが今の事業です。

モトクロスに憧れた少年、「埼玉で一番弱い少年団」からトレセンへ

すべての原点は、橋の上から見えたモトクロス場

——岩崎さんは埼玉のご出身なんですよね。サッカーを始めたきっかけから伺えますか?

岩崎さん:出身は埼玉の川越です。実はもともと、保育園の頃からずっとモトクロスをやりたかったんですよ。川越にモトクロス場があって、橋の上から見える場所があるんです。それを見て「やりたい」って。親がやっていたわけでも全くないので、今でも謎なんですけど(笑)。

一方で、母の弟——おじがずっとサッカーをやっていたので、サッカーボール自体は幼い頃から身近にありました。それで小学校に上がるタイミングで、サッカーをやるか、モトクロスをやるかという選択になって、サッカーを選んだんです。

——少年団は、どんなチームだったんですか?

岩崎さん:埼玉で一番弱い少年団でやってました(笑)。試合の人数が足りないくらいのチームで。ただ、チームからトレセンに行っていたのは僕だけで、トレセンには選ばれていたんです。チームは弱いし、試合も半月に一回あるかどうか。正直「面白くないな」と思いながらやってましたね。(笑)

キーパーで開花し、フォワードでスタメンを奪う——「出られる場所なら、全部出たい」

——中学では、クラブチームのECジョガドールに進まれています。

岩崎さん:はい。ただ、僕が入った代のジョガドールがめちゃくちゃ強かったんですよ。クラブ史上で一番強いんじゃないかという代で。中1のときは全然試合に出られませんでした。同じポジションに、ナショナルトレセンに選ばれるような選手がいて。「うわ、こいつやべえ」と。超うまいんですよ。サイドバックにコンバートされたりもしたんですけど、それでも出られない。

そんなとき、チームのキーパーが怪我をして、誰かがゴールキーパーをやらなきゃいけなくなったんです。それで「全然余裕でできます」って手を挙げてやってみたら、めちゃくちゃセーブできて(笑)。「あれ、キーパーいけんじゃね?」となって、そこからキーパーとしてスタメンを取りました。入って1ヶ月ちょっとの話です。

——そこから、キーパーとして活躍されたんですね。

岩崎さん:なんだかんだキーパーとして県大会も勝ち上がっていって、中2では県トレセンの声もかかりました。ただ、キーパーとして高校に進学するのは、自分的に無理だなと思っていて。それに、そもそもつまらなかったんです。チームが強いから、あんまりボールが来ない(笑)。僕はどちらかというと、バンバン飛んでセーブしたいタイプなので。

ちょうど一個下に、またナショナルトレセン級のキーパーが入ってきたタイミングで、「だったらフィールドに戻っても面白いかな」と、フォワードに戻りました。そうしたら、キーパーをやっていたおかげで怖いものがなくなっていて。足が来ても頭から行く、ダイビングヘッドのスタイルで開花したんです(笑)。最終的には、もともとフォワードだったナショナルトレセンの選手がトップ下に回って、僕がフォワードのスタメンを取りました。

——キーパーからフォワードに戻って、ポジションを奪う。なかなか聞かない話です。

岩崎さん:ないですよね(笑)。ポジション関係なしに、出られる場所だったら全部出たいんですよ。どんな試合でも。

入学2ヶ月で停学、序列は最下層——初めての挫折と、救ってくれた先輩

「ここ行きてえな」——クリスマスカラーのユニフォームと、全国の舞台

——高校は、強豪の正智深谷高校へ。進学の決め手は何だったんですか?

岩崎さん:セレクションは一個も受けていなくて、試合を見に来てくれた高校から声がかかるかたちでした。そのなかでも正智深谷は、まずユニフォームが一番派手じゃないですか。赤と緑の、クリスマスカラーで(笑)。ずっと気になっていて。ちょうど僕が中3のときに、当時の高3の先輩たちが全国高校サッカー選手権に出ていたんです。「ここ行きてえな」と思って決めました。

家からは遠くて、通学は片道2時間。朝は始発のちょっと後に出るような生活でしたね。

——ただ、入学してすぐに挫折を経験されたと伺いました。

岩崎さん:やっぱりレベルが高いんですよ。同学年だけで70人、3学年合わせると180人くらい部員がいて。今までどうにかして勝ってきた人生だったのに、初めて評価してもらえなかった。それが人生で初めての挫折でした。

しかも僕、入学して2ヶ月で停学になってるんです。授業中に喧嘩をして。サッカー部で停学なんて、歴代でも数えるほどしかいないのに、です。当然、坊主にもなりました。先輩たちからは「お前ふざけんなよ」と(笑)。もうサッカー自体やめようかなと思っていて、以前から誘ってくれていた他校に移ることも本気で考えていました。

——そこから、どうやって立ち直ったんですか?

岩崎さん:当時キャプテンだった高3のカジヤくんという先輩が、僕にとって大きな存在でした。みんなが「ふざけんなよ」と言うなかで、その人だけ「めっちゃ面白いね」「尖ってんのいいね」って言ってくれたんです(笑)。

そこから、めちゃくちゃ面倒を見てくれるようになって。練習時間が被るときは絶対に一緒に行ってくれたり。180人をまとめるキャプテンが僕を可愛がってくれているということで、周りの見方も変わっていきました。「カジヤくんにお世話になってるし、頑張らないとな」と、もう一回サッカーに向き合えたんです。

チーム内の序列はA1からB5まであって、僕は一番下のB5からのスタート。そこから徐々に上げていって、B1まで上がりました。最後はS2リーグの試合にも出ています。ただ、「この先、サッカーで道を切り開いていけるか」と言われたら、僕のなかではもう無かった。だから、選手権に出ようが出まいが、中途半端では終わらせない。「やりきる」ことを目標にして、引退まで走りきりました。

「小学6年生からやり直しです」——半年で掴んだ、消防士への道

——卒業後は消防士になられています。なぜ、消防士だったんですか?

岩崎さん:ずっと勉強してこなかったので、「大学は行けないな」と(笑)。じゃあ何をやろうかと考えたときに、身近な人から「ありがとう」と言われる仕事がしたい、というのはずっと思っていたんです。それなら消防士かなと。自衛隊も考えたんですけど、自衛隊は国の仕事で、地域密着ではないなと。もっと地域に密着できる消防士になろうと決めました。

決めたのが高3の6月くらいで、試験が10月。半年もないんですよ。サッカーもやりながら、やるしかない。ただ、自分で勉強なんてしてこなかったので、母にお願いして大宮の塾に通わせてもらいました。初回で先生に言われたのが、「これはまずいです。小学6年生からやり直しです」(笑)。

——そこから、どんな生活を?

岩崎さん:小6の内容から勉強をやり直しました。片道2時間の通学時間はずっと勉強。学校に行って、部活をやって、終わったらすぐ塾に行って23時くらいまで。寝るのは深夜0時。この生活を試験までずっと続けました。

試験は90名くらい受けて、採用は10名。試験会場に着いたら「やべえ、めちゃくちゃ多いやん」って(笑)。でも、筆記さえ通れば絶対にいけると思っていました。一次の筆記を通過して、体力試験も通って、最後が市長と消防長との面接です。「選手権はみんな見ているだろうな」と思って、そのネタだけ用意していきました。「全国行きました。ただ僕、試合には出てません」って(笑)。それで面接も受かって、18歳で消防士になりました。

五十代の上司に、自分の未来を重ねた——安定を捨てて「一番難しい営業」へ

——消防士は約2年半で退職されています。何があったんでしょうか。

岩崎さん:僕は、ずっと勝負してきた人生だったんです。それが消防士になると、もう「安定」なんですよ。50歳、60歳の上司の姿が、そのまま自分の未来として見えてしまう。「これ、レールに敷かれてて面白くないな」と思ってしまって。あとは、正当な評価を受けたいタイプなんです。頑張った分だけ評価される場所で勝負したい。それなら消防を辞めて、勝負に出よう。二十歳になってすぐ、辞めました。

——次のキャリアに、営業を選んだのはなぜですか?

岩崎さん:人とつながるのが得意だなと思っていたので、「じゃあ営業をやろう」と。営業をやっておけば、この先何でもできるじゃないですか。何をするにも、営業って絶対に必要なので。それで「一番難しい営業って何だろう」とネットで調べたら、訪問販売と出てきた。「じゃあ訪問販売をやろう」と決めました。

入ったのは池袋の会社で、当時、全国的にもトップクラスの件数をやっていた会社です。東京だけじゃなく、大阪、福岡、広島、仙台と全国に支店があって、全体で200〜300名くらいの規模。コミットするために、池袋のすぐ近くに家も借りました。

最初の1ヶ月で獲得45件——2週間で「自分の営業」を固め、最年少昇進へ

——訪問販売の世界では、どんなスタートだったんですか?

岩崎さん:その会社は、キャンセルを除いて月30件の契約を2ヶ月連続で取ると、主任に上がれるルールでした。1ヶ月目に達成しても、2ヶ月目に落とすとまた振り出しに戻る。結構ハードなんですよ。

僕は、最初の2週間で「自分の営業」を固めたら勝てると思っていました。いろんな人の営業を見て、トップセールスマンの営業を盗んで、2週間後には絶対に自走でスタートする、と自分のなかで計画を立てていて。実際に2週間後からスタートして、残りの約2週間で獲得45件。キャンセルが15件出て、ギリギリ30件残ってクリア、という感じでした。

——実質2週間で45件はすごい数字です。ただ、そこで満足しなかったんですよね。

岩崎さん:1ヶ月やってみて、「45件取って15件キャンセルは、きついな」と思ったんです。お客様一人に使う時間を考えたら、キャンセル15件分って相当な時間じゃないですか。丸一日単位で無駄にしている。そこから「どうすればキャンセルをなくせるか」をひたすら分析しました。

その結果、2ヶ月目からはキャンセルが減って、その後も毎月30件を取り続けて、最短で主任へ。当時の最年少主任でした。そこから5〜6ヶ月後には最年少で係長にも上がって、8名ほどの組織を持たせてもらって。営業だけじゃなく、組織での運営・マネジメントを学ばせてもらいましたね。

その後は、正直、同じ仕事に飽きてきていたのもあって(笑)。「ずっとこれをやっていても、これしか身につかないな」と。会社が大きい分、新規事業の意思決定にも時間がかかる。もっとスピード感を持ってやりたいと思っていたタイミングで、立ち上げ期の会社をご紹介いただいて、そこで訪問販売の営業部隊をゼロから立ち上げました。そして、そこから独立・起業したという流れです。

社名は“好奇心”——ワクワクが消えない会社をつくる

——「起業したい」という思いは、いつ頃からあったんですか?

岩崎さん:営業を始めた当初からありましたね。というより、消防士を辞めると決めた時点からです。僕、ゼロか百のタイプなんですよ。安定が嫌い。行くんだったら行くし、行かないんだったらもう死ぬ、というくらいの気持ちでずっと生きてきたので(笑)。安定を捨てるなら、絶対に自分で事業を起こして、仲間をつくったほうが面白い。ずっとそう思っていました。

——社名の「Curiosity」には、どんな思いが込められているんですか?

岩崎さん:Curiosityは、日本語に訳すと“好奇心”です。振り返ると、僕がずっと大事にして生きてきたのが好奇心だったんですよ。モトクロスも、キーパーも、消防士も、訪問販売も、全部そう。好奇心がなくならない限り、ワクワクって絶対になくならないんです。

だから会社としても、好奇心を常に持ち続ける。それは会社の内側だけじゃなく、外にも好奇心を向け続けるということです。そうすれば新しい発見があるし、「こういう事業も面白いな」という発見を、社員それぞれができるようになる。事業はどんどん増やしていきたいんですが、それは僕がやる事業ではなくて、従業員それぞれができる事業を増やしていきたい。一人ひとりが主体性を持って、ずっと楽しめる会社、挑戦ができる会社にしていきたいですね。

全員で集まって、一致団結——“社会人部活”なチーム

——今は、どんなメンバーが働いているんですか?

岩崎さん:全員で7名です。サッカーをやりながら働いているメンバーもいますよ。共通しているのは、まず素直なこと。あとは、いい人ばかりなんです。人を蹴落としてまで自分が上がろうという思いが、みんなにない。それがうちのメンバーですね。

働くときは、リモートではなく全員でオフィスに集まります。もう、一致団結なので。テレアポって、一人でやっていると萎えちゃうんですよ(笑)。だから全員で集まって、支え合いながらやれるかたちにしています。仲間がいれば、絶対に支え合えるので。まさに“社会人部活”みたいな感じです。

——今後、組織はどう大きくしていきたいですか?

岩崎さん:人はバンバン採用していきたいです。今年中に100名規模まで持っていきたいと思っていて。ちょうどご縁があって、30名ほど入れる代々木のオフィスに移転することも決まっています。

若者が未来に希望を持てる社会を、リードする

——最後に伺いたいのが、今後の展望です。会社として目指す場所を教えてください。

岩崎さん:今って、年功序列の時代がもう終わっていると思うんです。僕自身、二十歳のときに感じたのが年金の問題でした。僕たちが60歳、70歳になったとき、年金は正直もらえないと思っています。「退職後のお金のために頑張りましょう」という今までの日本のかたちが、もう成り立たなくなっている。

だったら、生きているうちのお金、生きているうちの経験や体験にスポットを当てるべきだと思うんです。20代のうちに頑張れば、成長率は絶対に上がる。20代で頑張って、30代で安定を持っていく。そういう生き方をもっともっと広めて、伝染させていければ、僕たちの世代の「仕事がつまらない」という子も減るんじゃないかなと。

だから、会社全体で掲げているのが「若者が未来に希望を持てる社会をリードする」ということ。Wi-Fiという、誰もが使う個人のインフラ——AI化が進むなかで必ず必要になるもの——にスポットを当てて、やりきります。そこを僕たちがリードしていきたいと思っています。

「やらない後悔より、やった後悔」——挑戦をためらうあなたへ

——最後に、「挑戦したいけれど、一歩目が踏み出せない」という読者の方へ、メッセージをお願いします。

岩崎さん:やらない後悔よりやった後悔の方が前へ進めます!ぜひ一緒に挑戦しましょう!

会社概要

会社名:株式会社Curiosity

設立:2024年12月

代表:代表取締役 岩崎匡佑

事業内容:通信回線(光回線・Wi-Fi)の営業代行事業

所在地:東京都渋谷区千駄ケ谷5丁目15−6 マークス北参道2階

取材・文:黒澤優一(株式会社One Rep)

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