2026.08.04 / ぶち上げインタビュー
【ぶち上げインタビュー】「来年、"生きた教材"として教え子に会いたい」——秘書代行で経営者を支え、人の可能性に水をまく元小学校教員。株式会社アロゼ・齋藤美空さん

「すべての人が、その人だけの素晴らしい才能を持っている」
この記事の要点
- 01株式会社アロゼ代表取締役・齋藤美空さんは、複数社の経営者の"右腕"として、日々現場に入り続ける秘書アウトソーシングのプロフェッショナルだ。
- 02採用も、経理も、営業も、資料作成も、時には打ち合わせの代行まで——「秘書」という言葉にはとても収まらない仕事を、何役もこなしている。
- 03齋藤さん:もともと「教育を良くしたい」「子どもたちの明るい未来に貢献したい」という思いがずっとあって、それを前面に出して挑戦しました。
※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。
「すべての人が、その人だけの素晴らしい才能を持っている」
そう信じ切れる人は、案外少ない。
株式会社アロゼ代表取締役・齋藤美空さんは、複数社の経営者の"右腕"として、日々現場に入り続ける秘書アウトソーシングのプロフェッショナルだ。スケジュール管理だけではない。採用も、経理も、営業も、資料作成も、時には打ち合わせの代行まで——「秘書」という言葉にはとても収まらない仕事を、何役もこなしている。
山形県に生まれ、東京学芸大学を経て横浜雙葉小学校の教壇に立った彼女は、定年までの安定が約束されたエリートコースを自ら降り、ベンチャーの世界へ飛び込んだ。"赤髪社長"の秘書として「仕事って、本当は面白いんだ」と知り、独立。社名の「アロゼ(arroser)」はフランス語で「水をまく、水をやる」を意味する。人の中に眠る可能性に気づき、手をかけ、水をかける、花を咲かせる——それが齋藤さんの一貫した原点だ。
教員、起業家、そして選挙への挑戦。何度も挫折を重ねながら、いま齋藤さんが見据えているのは「来年」だという。初めて受け持った教え子たちが、20歳を迎えるその日に向けて。以下、齋藤美空さんのこれまでと、これからの物語。
【プロフィール】
会社名:株式会社アロゼ
役職:代表取締役
氏名:齋藤 美空(さいとう みく)
「秘書」では収まらない仕事——経営者の"もう一人の自分"になる
スケジュール管理も、採用も、経理も、営業も
——まず、現在の事業について教えてください。
齋藤さん:当初と今ですごく変わってしまったんですけど、もともとはブランディングや、SNSのコンサルがメインだったんです。前職がSNSマーケティングの会社だったので。ただ、どうしても「秘書」というイメージが強すぎて、いろんなところから「秘書を手伝ってほしい」という声をいただくようになって。そっちの方が需要がありそうだなと思って、少しずつメインに移してきました。だから今は、秘書のアウトソーシングが一番の事業ですね。
——アウトソーシングというと、齋藤さんご自身ではなく、他の方を派遣されるイメージですか?
齋藤さん:いえ、今はベースで私自身が入っています。複数社の仕事を同時に回しているので、時々眩暈がしそうになりながら入っています(笑)。基本はオンラインなんですけど、会社によっては出社することもあって資料作成もしますし、もともとベンチャーで秘書兼なんでも屋みたいなことをやっていたので、採用も経理も、本当に営業みたいなことまでなんでもやっています。
——「秘書」というより、もう"何でも屋さん"という感覚ですね。
齋藤さん:そうですね(笑)。クライアントさんも本当にバラバラで、建設業もあれば、お医者さんの個人秘書として論文の和訳や資料作成をすることもありますし、IT系も。「正社員で人を雇うほどではないけれど、自社でやるのは煩わしい」——そういう業務を、まるごと引き受けているイメージです。
原点は、山形の体育館——「人と人の間に立つ」喜び
部員と監督の橋渡しに、夢中になった高校時代
——幼少期から学生時代は、どんなふうに過ごされていましたか。
齋藤さん:山形出身で、中学は陸上部、高校はバスケ部のマネージャーでした。中学のときは、特別運動したかったわけじゃないんですけど、親と「人に迷惑をかけない運動」を考えたときに、もう長距離しかなくて。本当に遅くて、二度とやりたくないんですけど(笑)。高校は必ず部活に入らなきゃいけない学校で、陸上だけは絶対に嫌だったので、男子バスケ部のマネージャーに。迫力が全然違って、面白そうだなと思って入りました。
——マネージャーとして、どんなところに面白さを感じていたんですか。
齋藤さん:私の代のバスケ部のマネージャーは私ひとりだったんですけど、特に好きだったのが、部員が思っていることと、監督が思っていることって、やっぱりズレがあるんですよ。それを「こう言ってましたよ」とそのまま伝えるとぐちゃぐちゃになるので、ちょっといい感じに……たまに着色しながら(笑)、橋渡しをしていく。そうすると人間関係がうまく回って、チームが盛り上がっていくんです。人と人の間に入って橋渡しをするのが、その頃からすごく好きで。今の秘書の仕事も、自分が前に出るプレーヤーというより、人を支えてプロデュースして輝かせる——そういうのが多分好きなんだと思います。あれは高校の部活でだいぶ培われましたね。
上京して知った「ビリ」——挫折と、リピーターづくりの面白さ
「勉強だけは一番」が、東京で通用しなくなった
——東京学芸大学に進まれたのは、学校の先生になりたいという思いから?
齋藤さん:そうですね。学校の先生は、小さい頃から「なりたい職業ランキング」のベスト3にずっと入っていて。他はアナウンサーとCAなど、その時によって変わっていました。子どもと話すより大人と話すのが好きな、ちょっと現実的な子だったんだと思います。「国際教育」という学部の名前に惹かれ、国際について学べて教員免許が取れるならよさそう、と思って入りました。
——大学時代はいかがでしたか。
齋藤さん:山形は田舎なのでライバルも少なくテストでは常に上位だったので、自分のことをすごく頭がいいと思っていたんですよ(笑)。でも上京して、学科16人の中で成績が出たとき、私16位だったんです。つまりビリで。すごく衝撃を受けて、絶望して。そこからはもう、大学自体はとにかく遊びに走っていました。ダンスサークルに入ったり。あと、アパレルのバイトがすごく好きで。いい上司に恵まれて「1回10万円で1回しか来ないお客様より、1回1万円でも11回来てくれるお客様を大事にしなさい」と。「齋藤さんがいるから買いに来たよ」と言ってくれるお客さんと連絡先を交換して、友達みたいに通ってくださって。物を売る面白さを、そこで知りましたね。
教壇で芽生えた違和感——「先生みたいになりたい」と言われて
フィリピンで見た、「させられる勉強」と「したい勉強」の違い
——卒業後は、念願の小学校の先生に。横浜雙葉小学校で教壇に立たれました。
齋藤さん:教員になるときも、実は悩んでいて。本当はアパレルに行きたい気持ちもあったんですけど、親に「せっかく大学に行ったんだから、3年は絶対やれ」と言われて。教育実習が楽しかったのと、大学の先生に「あなたを待っているたった一人の子どもがきっといる」といわれて、自分の意思と親に言われた部分が半々くらいでした。なってみたら、子どもたちは可愛いし、保護者の方は素敵だし、授業も楽しくて、やりがいはすごくあったんです。とにかく激務で常に働いていたのはしんどかったのですが、何より伝統校だったので「とにかく型にはまりなさい」という空気の中で、自分自身がどんどんわからなくなって、ボロボロになっていって。
——子どもたちは、先生を慕っていたのではないですか。
齋藤さん:そうなんです。子どもたちはすごく素直なので、「先生大好き」「先生みたいになりたい」って言ってくれて。
でも私は内心、「いや、これみたいになっても楽しくないと思うよ」と思っていて。私は、教員とは「大人の楽しさ」を子どもたちに体現し、未来や将来にわくわくする希望を与え、結果として勉強や自分のやりたいことを導き応援する仕事だと思っているので、その違和感がずっとあったんですよね。決定的だったのは、2年目か3年目の夏に、フィリピンへ1~2週間ほど短期留学したことで。向こうの子どもたちは、環境的には全然恵まれていないのに、すっごく楽しそうに勉強しているんです。それを見たとき、「日本の子は環境的には恵まれているけど、本当は恵まれていないのかも」と思って。自分でやりたくて勉強するのと、させられるのとでは、全然違う。私がこの子たちに見せている像って、教員として良くないな、と思って。「あ、やめよう」と。
一番怖かった挫折——エリートコースから、自分で降りた日
定年までの給料テーブルを渡された、その安定を手放して
——これまでで一番の挫折を挙げるとしたら、何でしたか。
齋藤さん:挫折が多すぎて、どれが一番か……(笑)。でも、ひとつ大きかったのは、教員を辞めたときですね。私、ずっと優等生で来ていて。大学も親の希望どおり国立に入って、就職先も横浜雙葉という名門校で。あそこは入った瞬間に、定年までの給料テーブルを渡されるんですよ。「あなたの将来は超安定です」と確定しているような状態で。だから、そこから自分で外れたときは、本当に怖かったです。「あ、エリートコースから外れちゃったんだ」という、その感覚が、たぶん私にとって一番大きな挫折でした。
——いまの経営者としての働き方と、当時の教員時代。どちらがハードですか。
齋藤さん:どちらもハードではあるんですけど、今は自分である程度時間を決められるので。先生の頃は朝7時半には学校にいなきゃいけなくて、早くても夕方5時、6時まで。土日もカフェで授業準備やテストの採点をしていました。拘束時間が全然違うので、同じ業務量でも、今の方が私には合っていて、全然楽ですね。
「仕事って、本当は面白い」——赤髪社長との出会い
一番弟子が独立して輝くことが、最高の恩返しになる
——教員を辞めてから、どんな道に進まれたのですか。
齋藤さん:辞めたあとは、正直あまり何も考えずに辞めたので、しばらくプラプラしていて(笑)。そんなとき、一個上の先輩で、のちに"赤髪社長"として知られるようになる方がいて。当時はまだそう名乗ってもいなかったんですけど、ベンチャーを立ち上げたから「うちでバイトしない?」と。秘書という形で入って、そこでSNSマーケティングの走りみたいなことをやっていました。
——その出会いが、大きかった。
齋藤さん:そうですね。教員をやっていた頃は、「この先生みたいになりたい」と思える人が一人もいなかったんです。むしろ「こうなるのは怖いな」という感覚で。でも、その先輩はすごく楽しそうに仕事をしていて、やればやるだけ成果が出てくる。それを体現している人だったので、「あ、仕事って本当は面白いんだ」って、初めてそこで思えたんです。肩書きは秘書でしたけど、社長と私しかいなかったので、営業も含めて全部一緒にやっていました。
——そこから独立を決意された。
齋藤さん:最初は独立しようとも思っていなくて、ただその人と一緒に楽しくやっていきたかったんです。でも、やっているうちに「私も社長みたいになりたいな」と思えてきて。一番弟子のような形にしてもらっていたので、その私が独立して、いい感じに盛り上がったら、結果的に社長の立場も上がる。それが一番の恩返しになるかもしれないな、と思って、自分でやってみることにしました。辞めるときには、その社長について書いた本を「プレゼントです」と渡して。私が社長を大好きで辞めることは、わかってくれていたと思います。
政治の世界への挑戦——選挙に落ちて知った「戦略」の重み
「分かって断る」のと「分からず断る」のは、違う
——実は、選挙にも出馬されたことがあるそうですね。
齋藤さん:そうなんです。最初はある党の方からたまたま声をかけていただいて。でも正直、政治には全然興味がなくて、選挙のこともわからなくて。ただ、「わかっていて断る」のと「全然わからないから断る」のは違うなと思って。勉強しに行こうと思って、大阪まで応援に行ったんですよ。そうしたら、例えば大阪府知事が来ると30分前からみんな出待ちして、訴えに対して「そうだそうだ」と盛り上がっていて。「あ、政治って面白いんだ」と思ったんです。変な人がなれば変な方向に行くけれど、正しい人が声を上げて、国民が正しく反応すれば、めちゃめちゃ面白い、と。
——その後、自民党から出馬されて。
齋藤さん:もともと「教育を良くしたい」「子どもたちの明るい未来に貢献したい」という思いがずっとあって、それを前面に出して挑戦しました。学校や子どもの環境を良くしたいというのは、教壇に立って直すのは限界があると感じていて。会社として社会を良くしたいという思いもあったけれど、やっぱり政治の力で変えるのが一番大きいし早いなと思ったんです。ただ、結果は落選で。思いがあっても、ちゃんと戦略を立てないと全然伝わらないんだな、と。落ちたショックというより、たくさんの方が支えて応援してくれていたので、申し訳なさが大きかったです。それが、私の三つ目の挫折ですね。
もう一つの夢——児童養護施設の子どもたちに「選択肢」を
環境が、人を左右する。だからこそ「その人の輝ける場」を増やしたい
——今後の事業展望について教えてください。
齋藤さん:本業の秘書アウトソーシングは、どんどん人を増やして仕事を回していきたいです。私が山形出身なので、地方の方や主婦の方、働きたいけどフルタイムはきつい、などいろんな環境の方を外注で雇って、オンラインの案件を地方に振っていく——そういうことを、本当はやりたいと思っていて。
——それとは別に、温めている構想があるとか。
齋藤さん:去年から、ボランティアベースなんですけど、児童養護施設出身の方の就職支援をしているんです。本当はちゃんと事業化したくて。きっかけは、大学の介護実習で、私だけたまたま児童養護施設に行ったことでした。行く前は「施設の子どもたちは、人と距離を取る子が多いのかな 」みたいな偏見があったんですけど、実際は逆で、めちゃめちゃ明るくて、すごく懐いてくれる。最初は「いいことだ」と思ったんですけど、よく調べたら、普通の子は幼少期に親との信頼関係があるから初対面の人を警戒する。でもその子たちは、基盤形成がない分、疑ったり警戒したりがないんです。
——愛着の問題ですね。
齋藤さん:そうなんです。信頼して近づいた相手が良い人ならいいのですが、そうではない場合は大きな危険につながることもあります。 それがずっと自分の中に残っていて。生きていく中で、やっぱり環境って大きいなと思うんです。本人がどんなにいい人でも、環境が悪いと悪い方に流れてしまう。その環境の中でも、職場ってすごく大きい。だから、その選択肢をもっともっと増やしてあげたい。人材紹介がいいのか、派遣の免許を取るのか、提携するのか——やり方はまだ固まっていなくて、ふんわりしているんですけど、今年中にはフレームをしっかり固めて動いてみようと思っています。
来年へ——「生きた教材」になりたい
教え子と交わした、タイムカプセルの約束
——齋藤さんご自身が、これから成し遂げたいことは何でしょう。
齋藤さん:私、実はビジョンの薄い人間なんですけど(笑)。一番最初に担任した子たちが、当時ちょうど小学4年生だったんです。10歳なので、「二分の一成人式」をやって、「20歳の自分へ」という手紙をみんなで書いて。それを私、「タイムカプセル」という名前で、今も預かっているんですよ。
——その子たちが、来年20歳に。
齋藤さん:そうなんです。来年、みんなと会って、一緒にタイムカプセルを開封する約束をしていて。あんなに懐いてくれていたのに、「先生、めっちゃ劣化した」って思われるのは嫌なので(笑)。見た目でも中身でも何でもいいんですけど、「やっぱり先生、面白いな」「素敵だな」って思ってもらえる、生きた教材になりたいんです。だから私の目標は、全部来年に設定されていて。その先は、自分でもまだあんまりわからないんですよね。
挑戦をためらう人へ——「どうせ失敗するなら、早く転んだほうがいい」
失敗の先にしか、成功はないから
——「一歩踏み出したいけれど、失敗が怖い」とくすぶっている方に、メッセージをお願いします。
齋藤さん:私は、失敗しないことは不可能だと思っているんです。絶対に100%失敗する。だとしたら、いかに早く失敗するかがすごく大事だなと思っていて。同じレベルの失敗でも、20歳のときと、40歳、60歳のときとでは、ダメージが全然違うので。だったらもう、失敗する前提で、いかに早く失敗するか、です。
——とはいえ、無謀になればいいわけではない、と。
齋藤さん:そうですね。無謀とは違うと思うので、「この失敗をしたとき、どれくらいのダメージで、どれくらいで回復できるか」は、ある程度シミュレーションしたほうがいい。でも、過信しすぎずに、「絶対に自分は失敗する」という前提で、どんどん早めに失敗すればいい。失敗した先にしか、成功ってあんまりないと思うので。考えすぎず、重すぎず、「そんなもんかな」くらいでやっていくのが、私はいいんじゃないかなと思っています。
会社概要
会社名:株式会社アロゼ
設立:2021年11月1日
代表:齋藤 美空
事業内容:秘書・バックオフィス支援(アウトソーシング)、採用・人事支援 SNSマーケティング/コンサルティング、ブランディング支援、リサーチ業務、セミナー講師
所在地:東京都
取材・文:黒澤優一(株式会社One Rep)
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