2026.07.23ぶち上げインタビュー

ぶち上げインタビュー「今ここにない看護の未来を、自分たちで作る」——看護の力で企業の“離職”を止め、看護師の働き方を再定義する。株式会社クリミア天使・小林結衣さん

「今ここにない看護の未来を、自分たちで作る」——看護の力で企業の“離職”を止め、看護師の働き方を再定義する。株式会社クリミア天使・小林結衣さん

折られて、強くなって。折られて、また強くなって。

この記事の要点

  • 01「今、人手不足で人材採用に力を入れているのに、なぜか毎年人が辞めていく」——多くの経営者が抱えるこの悩みに、看護師の資格と医療の力で切り込む会社がある。
  • 02企業向けの離職予防サービスを軸に、健康経営やストレスチェックの導入支援、女性社員や産後のフォローまでを“まるっと”引き受け、「辞めない組織」づくりを支えている。
  • 03「人手も足りないから採用に力を入れているのに、なぜか毎年辞めていく」と困っていたり、「女性社員が多くて、社長は男性で、自分ではフォローしきれない。

※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。

折られて、強くなって。折られて、また強くなって。

「今、人手不足で人材採用に力を入れているのに、なぜか毎年人が辞めていく」——多くの経営者が抱えるこの悩みに、看護師の資格と医療の力で切り込む会社がある。株式会社クリミア天使。企業向けの離職予防サービスを軸に、健康経営やストレスチェックの導入支援、女性社員や産後のフォローまでを“まるっと”引き受け、「辞めない組織」づくりを支えている。

以下、代表の小林結衣(こばやし・ゆい)さん。名古屋を拠点に、たった一人でこの会社を立ち上げた27歳だ。

その歩みは、決して平坦ではない。7歳で両親の離婚、母のアルコール依存症、そして自身も腎臓の難病に。18歳で家を飛び出し、4つのアルバイトと奨学金で看護学校を自力で卒業。国家試験に合格し看護師になったものの、コロナ禍のICUで心をすり減らし、人生最大の挫折を味わう。事業でも一度はどん底を経験し、口座の残高が10万円を切ったこともある。それでも彼女は立ち上がり続けてきた。

過去・現在・未来。波乱万丈という言葉では足りない小林さんの半生と、「今ここにない看護の未来を自分たちで作る」という理念に込めた想いを伺った。

【プロフィール】

会社名:株式会社クリミア天使

役職:代表取締役

氏名:小林結衣(こばやし・ゆい)

まずは、いまの事業について——「辞めない組織」を医療の力でつくる

看護師の資格で、企業の“離職”に切り込む

——今の事業内容を教えてください。

小林さん:離職予防サービスですね。企業様向けに提供していて、去年までは実は全然違うことをやっていたんですけど、今年から手を出した事業です。今、人手不足で、人材を採用してもすぐ辞めてしまう、というのが企業様の悩みとして上がってくると思うんですけど、そこを看護師の資格を使って解決していきます。企業様の健康にまつわる問題をピックアップして、看護と医療の力で根本的に解決していって、「健康経営」という形を目指していく。女性社員へのフォローはうちがかなり強くて、助産師もいるので産後のフォローもできます。

——どんな企業からの相談が多いんですか?

小林さん:女性社員の比率が多い会社さんですね。人数で言うと20人を超えてくるくらい。「人手も足りないから採用に力を入れているのに、なぜか毎年辞めていく」と困っていたり、「女性社員が多くて、社長は男性で、自分ではフォローしきれない。代わりに悩みを聞いてくれない?」という相談も多いです。医療に加えて、メンタルケアのようなところもまるっと、というイメージですね。

——ストレスチェックの導入支援もされていると。

小林さん:はい。厚労省の法律の関係で、令和10年(2028年)4月1日から、50人未満の会社さんもストレスチェックが義務化に変わるんです。なので、その導入もついでにお手伝いしています。やり方を社内の方に教えて、社内で回せるようにしますよ、と。実績をつくって、最後は内製化してもらう。そこを助成金も活用しながら、なるべく負担なく進めています。

原点は、7歳。——一気にいろんなことが起きた夏

「ママが好き」と答えた、その一言から

——過去のお話も伺いたいです。一番最初の原体験は?

小林さん:時系列で言うと、起業につながったエピソードをピックアップして話しますね。最初は7歳のとき。大きなことが一気に重なったんです。

小学校に入学して、5月に家に帰ったら、家中が真っ暗でシャッターが閉まっていて。「なんだこれは」と思ったら、母に「お父さんとお母さん、どっちが好き?」って聞かれて。とっさに「ママが好き」って答えたんですけど、それが実は離婚を決める話だったんです。次の日にはもう転居手続きをされて、学校も変わりました。

母の実家で妹と暮らし始めたんですけど、母が当時アルコールに溺れていて、アルコール依存症を発症してしまって。しかも同じタイミングで、私自身も腎臓が全く動かなくなる「ネフローゼ症候群」という難病指定の病気になって。これが7月の話なんです。5月に転校して、母が依存症になって、7月には私も難病になって……という感じで、一気にいろんなことが起きました。

——そこからどうなったんですか。

小林さん:母はどんどん症状が悪くなって、精神科に強制入院という形に。私も病状が悪化してしまって、父に引き取られて、小児専門の病院で闘病生活をスタートしました。学校も休んで、1年半くらい闘病して。腎臓移植も考えていた矢先に、たまたま治験薬があって、先生と親で話し合って「最後にこれを試して、ダメだったら移植しよう」となって。それが効いたんです。おかげで小学2年生から、また学校に戻ることができました。

この経験があったので、「絶対に看護師になるぞ」って、もう7歳のときからずっと思っていて。だから看護師の免許を取った、という流れがあります。

十年ぶりの再会は、命日の12時間前だった

会えなかった母と、先月ようやく向き合えた

——ご家族とは、その後どうなったのでしょう。

小林さん:小学2年生の冬くらいに、父が三重県によく行くようになって。妹と一緒に連れて行かれていたら、結局その人と再婚することになったんです。急に知らないお姉さんが家に来て、「この人が今日からお母さんだから、お母さんって呼んでね」と言われて。そこから前の母の話は一切タブーになってしまって、実の母には会えないまま暮らしていました。

そうしたら中学2年生のとき、実の母方の祖母から連絡が来て。「もう亡くなるかもしれないから、最後にどうしても会ってほしい」と。駆けつけたら、十年弱ぶりの再会でした。母はアルコール依存症から脳腫瘍まで起こしてしまって、骨と皮のような状態で、意思疎通も図れず、耳しか聞こえない。私は声だけかけて、メッセージを残して。その本当に12時間後に、母は亡くなりました。

——つらすぎるお話です。

小林さん:離婚した母親ということもあり、葬式にはいくことができませんでした。それをずっと引きずっていたんです。それで、きっかけがあって先月、戸籍からたどってお墓を探しました。父が結婚を何度か繰り返している人だったので、戸籍を何枚も取って。祖母が生きていることがわかって、20年ぶりに再会できて。仏壇に手を合わせることができたのが、実は先月なんです。今も少しずつ、当時もらえなかった母の遺品を回収しています。

18歳、鍵を置いて家を出た——自力で看護師になるまで

「あなたから学ぶことはもう何もありません」

——長女として、気を張ってきた部分もあったのでしょうか。

小林さん:児童相談所が来るレベルで、中学・高校は荒れていたんですけど、それでも「看護師になりたい」という思いは変わらなくて。中学で猛勉強して、看護コースのある高校にほぼトップの成績で入って。生徒会長もやらせてもらって、オール5で卒業しました。

本当はフライトナースに憧れていて、そのためには大学に行く必要があったんですけど、父に反対されて、地元の看護専門学校に進みました。そして18歳のとき、「私はあなたから学ぶことはもう何もありません。この家を出ていきます」と言って、家の鍵を置いて出ました。

——18歳から、すべて自分で。

小林さん:はい。生計も学費も全部自分で。当時は家も借りられないので、付き合っていた彼氏の実家に転がり込んで、アルバイトを4つ掛け持ちしていました。家庭教師、居酒屋、救命センターの看護助手、それにたまに工場も。奨学金を2か所から借りて、それでも足りなくて、愛知銀行に一人で乗り込んで「将来看護師になるので、生活費を貸してください」と直談判したこともあります。

途中、シェアハウスに移ったりもして、本当にいろいろありました。落ちこぼれかけたんですけど、もともと勉強はしていたほうだったので、国家試験前にブワーッと詰めて、無事に合格。2021年に看護師になりました。

人生最大の挫折は、ICUだった

「わからない」が言えなかった一年

——念願の看護師に。ところが、大きな壁があったと。

小林さん:21歳のとき、地元の病院に入りました。本当は救命に入りたかったんですけど、1年目は無理だと言われてICUへ。ちょうどコロナの真っ只中で、本当に忙しくて、しかもかなりハードな環境で、どんどん心がすり減っていってしまって。結局1年ちょっとで辞めてしまいました。自分の中では、あれが人生で一番の挫折です。

ICUって技術が高い場所で、先輩について教わりながら学んでいかなきゃいけないんですけど、私はずっと自分で人生を切り開いて生きてきたタイプで、「わからないから助けて」という言葉が言えなかったんです。「わかります、やってみます、できます」って言っちゃって、「できるわけないだろ」と、みんなより3倍怒られる。それがどんどん自己肯定感を下げて、自分の強みだったものが全部弱みになって、空回りしてしまって。

——強みが、弱みになってしまった。

小林さん:「看護師、向いてないのかもしれない」というところにすごく陥ってしまって、そこから立ち直れずに、翌年の3月に退職届を出しました。奨学金も銀行の借入も返さなきゃいけない。生きるために、いろんな仕事をしながら、必死で立て直していきました。

なぜ、起業だったのか——看護に“天井”を作りたくない

シェア型の報酬で、新しい看護師の道を

——起業を決めた、一番大きなきっかけは?

小林さん:看護師業界って、給料に天井があるんですよね。夜勤もあって忙しくて、結婚や出産を機に辞めてしまう人も多い。でも、一度離れると復帰するのがすごく大変で。だったら、自分で稼げる、シェア型の報酬のような、新しい看護師の道を作ってあげたいなと、その時にすごく思ったんです。それで「自分で会社を作ろう」と思ったのが、一番大きなきっかけかもしれないですね。

今は社員としては入れていないんですけど、外注で7人ほど看護師の仲間がいます。経営自体は私一人でやっています。

——今の離職予防サービスは、どうやって広げているんですか。

小林さん:このサービス自体を構築したのが今年の4〜5月で、そこからバーッと営業を回って、今クライアントは10社ほど。もともと名古屋の経営者団体に所属していたので、そこで声をかけまくって、紹介で広がっているケースが多いです。助成金を活用して、企業さんの負担をなるべく抑えて、実績とデータを一緒に作らせてもらう、というスタンスでやっています。

どん底は、去年だった——口座残高が10万円を切った日

キャバクラ、崩れた金銭感覚、そして再起

——ビジネスで一番つらかった時期は?

小林さん:去年ですね。前は美容系や訪問点滴のような事業をやっていたんですけど、マーケティングもビジネス用語も何も知らないままスタートしてしまって、スケールの仕方もわからなくて。最初はよかったんですけど、売上を立てるのが本当に大変で。

しかも私、それまでキャバクラで働いていた時期が長くて、金銭感覚がとち狂ってしまっていたんです。いい所に住んで、月の出費も激しくて、すぐタクシーを使う。その状態でキャッシュが入ってこないから、キャッシュフローが崩れていって。提携先のクリニックさんが融資を通してくれて借りたお金も、使い方がわからないまま、あっという間に使ってしまって。

——それは、苦しいですね。

小林さん:去年の年末には、口座に10万円も入っていなかったと思います。「あ、これはやばい」と。そこから今年の1月、看護師の夜勤のバイトをして、なんとか食いつないで。プライベートでもいろいろ重なって、完全にスランプに入ってしまいました。

でも、なんとか生活を立て直せてきたのが、本当にこの春くらい。心が取り戻せてきて、「じゃあ何をやろう」となったときに、「離職予防サービスをやろう」と動き始めたんです。今年の4月くらいまでは本当に波乱万丈でしたけど……これからはもう、ぶち上がっていくのみですね。

原動力は、「人のために」——名前に込められた由来

「あなたがいてくれてよかった」が、私の源

——睡眠時間3〜4時間で走り続けていると伺いました。何がそこまで頑張れる源なんでしょう。

小林さん:うーん、なんだろう。でも私、昔から人のためにエネルギーを一番発揮できるんですよね。自分にはなかなかベクトルを向けられなくて。多分、長女だったというのもあると思うんですけど。私がどんどん動くことで、「あなたがいてくれてよかった」と言ってくれる人が、どんどん増えていく感触がすごくあって。それが源かもしれないですね。

——お名前にも、その想いが。

小林さん:私、「結衣」って、結ぶに衣と書くんですけど、由来が「人と人を結んで、自分の衣で包む」なんです。だから私のポリシーはやっぱり「人のために」というところ。人脈も広いほうなので、「こういう人を探している」と言ってもらえれば、すぐ動いて、おつなぎするようにしています。それが、私の名前そのものになっていることなので。

これから描く未来——「今ここにない看護」を全国へ

フランチャイズで仲間を増やし、病の根を摘む

——今後、どんな景色を見ていきたいですか。

小林さん:うちの経営理念が「今ここにない看護の未来を自分たちで作る」なんです。既にあるサービスを真似して展開するより、ないものをどんどん生み出して、看護の力で日本の社会問題に貢献できる会社を作る。これが大前提にあります。

このサービスはオンラインでできることも多いので、看護師さんが自宅にいながら天井のない仕事ができる。同じように悩む看護師さんがいれば、フランチャイズのような形でどんどん広げて、全国に仲間を増やしていきたいんです。

——もう一つの軸もあると。

小林さん:病気を早期発見するところにも力を入れたくて。たとえばゼネコンって、健康問題を抱えている方が多いんです。大きな現場が決まると、事務員さんを高いお金を払って手配していると聞くんですけど、「そこに看護師を置きませんか」と。事務もできて、その人たちの健康問題もまるっと解決して、熱中症対策もできる。人材派遣のゼネコン版のような形で、病の根をどんどん摘み取っていく。この2軸で、方向性を固めています。

今期は、このペースでいけば一億着地も見えてきていて。お恥ずかしい話、一期目の年商は850万円だったんですけど、そこからは本当に、ぶち上げていくのみです。

これから挑戦する人へ

折られて、強くなって。どん底からでも、跳ねられる

——挑戦したいけれど怖い、という20代へ。背中を押すメッセージをお願いします。

小林さん:最前線を走っている経営者も、最初からうまくいっていた人なんて、本当に少ないと思うんです。いろんな逆境を経験して、「なんで自分だけだろう」と思うことも山ほどあって。でも、それを繰り返すうちに、すごく心が強くなってくるんですよね。折られて強くなって、また折られて強くなって。

今が苦しくても、歩くことだけはやめないでほしい。「どん底だけど、ここから跳ねるんだ」という気持ちで、前向きに。お金がなくても、いろんな人に声をかけていけば、絶対に助けてくれる人がいます。私自身も、もし困っている人に出会ったら、絶対に助けようと思っているので。雑草魂で、自分にできることをコツコツと。それでも、必ず誰かが助けてくれます。

会社概要

会社名:株式会社クリミア天使

設立:2期目

代表:小林結衣

事業内容:企業向け離職予防サービス、健康経営・ストレスチェック導入支援、女性社員/産後フォローなど看護師によるヘルスケア支援

所在地:愛知県名古屋市中区丸の内3-17-29 丸の内ia 5階

取材・文:黒澤優一(株式会社One Rep)

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