2026.08.06 / ぶち上げインタビュー
【ぶち上げインタビュー】「上場企業で最年少出世の稼ぎ頭から異例の保険業界へ挑戦した男の生い立ち、仕事への想いとは」——理不尽なサッカー人生と社会人生活の先に見つけた光。保険営業マン。Financial Design Japan株式会社・窪田寛己さん

「自分が信じきれなかった可能性すら、信じてくれた人がいた」。 その一言が、彼の仕事の哲学のすべてを言い表している。Financial Design Japan株式会社で保険営業を担当する窪田寛己さん。特定の保険会社に専属しない乗合代理店として、生命保険の相談・見直しから、NISAなどの資産運用相談、さらには転職・不動産・結婚式場選定など、人生まるごとの相談に
この記事の要点
- 01たとえば「転職したいです」と言う方の転職したい理由や理想を深堀ってあげて、その上で相性が良いと思ったエージェントさんに繋げたり。
- 02で、サッカーで学んだ「伴走って何だろう」と考えたときに、保険なら”その人が亡くなるまで”ずっと寄り添える。
- 03だから、人柄勝負の世界だけど、商品も大事だよねという軸で、複数商材を扱える乗合代理店を選びました。
※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。
「自分が信じきれなかった可能性すら、信じてくれた人がいた」。
その一言が、彼の仕事の哲学のすべてを言い表している。Financial Design Japan株式会社で保険営業を担当する窪田寛己さん。特定の保険会社に専属しない乗合代理店として、生命保険の相談・見直しから、NISAなどの資産運用相談、さらには転職・不動産・結婚式場選定など、人生まるごとの相談に乗る。
埼玉・新座に生まれ、中高6年間をサッカーに捧げた少年。プロを目指したい想いの一方、連帯責任での降格、怪我での欠場という理不尽を味わい、それでも自分の隣で走り続けてくれた恩師の姿に「伴走」という生き方の原点を見た。しかし社会人になってからも順風満帆とはいかず、新卒で入った会社では深夜3時まで謝罪文と向き合う日も。責任の重さに打ちのめされながらも、「本当に人のためになる仕事とは何か」を問い続けた末に、いまの道へ辿り着いた。理不尽の中でつかんだ哲学を、どう仕事に変えていったのか。その原点と現在地、そして見据える未来を伺った。以下、窪田さん。
【プロフィール】
会社名:Financial Design Japan株式会社
役職:保険営業
氏名:窪田 寛己
保険を入り口に、人生丸ごとの相談に乗る—今やっていること
——まずは、いま手がけているお仕事を教えてください。
窪田さん:いまはFinancial Design Japan(以下、FDJ)という保険代理店の会社で、保険営業をやっています。保険の相談をいただいたら、保険の分析や見直し、他には保険に限らず「NISA教えて」と言われればNISAの話もしたり、子育て費用や老後資金の話にもなって結局は「人生設計を見直したいです」という話になっていくので、ライフサービス代理店みたいな事をやっていますね!実際に、社員も営業をしているメンバーは「ライフエスコーター(LE)」という役職名が付いています。
——保険にとどまらない相談も多いんですね。
窪田さん:多いですね。たとえば「転職したいです」と言う方の転職したい理由や理想を深堀ってあげて、その上で相性が良いと思ったエージェントさんに繋げたり。同棲する、結婚するみたいなタイミングで保険の相談をいただくことも多いので、その際は不動産屋さんを紹介したり。この前は結婚式場や指輪屋さんも紹介したし、本当に何でもやりますね!
共働き家庭で育った、ちょっと優等生な男の子
——ちなみに、幼少期はどんな育ち方だったんですか。
窪田さん:父も母も共働きでがっつり働いていたので、小学校のころは学童でずっと遊んでいました。
母が教育熱心で、公文とかスイミング、塾に通わせてもらって、休日はいろんな場所に連れて行ってくれたらしいです。あんまり記憶はないんですけどね(笑)。
——ご両親からはどんな教育を受けてきましたか。
窪田さん:父は自由というか、「好きなことをやりな」「活発にやってこい!」というタイプで。教育という部分では母が影響していて、「勉強しろ、勉強しろ」って。もうザ・昭和のお母さんみたいな感じでした。小学校のころは、そのせいかそのお陰か、割と優等生キャラでしたね(笑)
——習い事は、サッカーか何かやっていたんですか。
窪田さん:それが、意外とサッカーはやっていなかったんですよ。先ほど話したテニスを半年、水泳を2年、公文も2年くらい。サッカーを始めたのは、もっと後なんです。
サッカー馬鹿だった中高6年間
——中学は受験されたんですよね。
窪田さん:中学受験は、正直「させられた」という表現が近いです(笑)。ちっちゃいころに「これがしたい」というのが特になかったので。
親の方針で「中学受験しろ」となって、「まあ、そういうことならするか」と。そのまま東京電機大学中学校という学校に進んで、中高一貫だったので6年間そこで過ごしました。
——その6年間は、どんなキャラクターだったんですか。
窪田さん:もう、サッカー馬鹿でしたね(笑)。
きっかけは2010年のワールドカップで。小4か小5くらいだったんですけど、あれを見て「勉強が終わって家に帰ったらサッカーしたいな」ってなんとなく思って、中学からそのまま始めたんです。プロになりたいという思いも、本気で持つようになりました。
「なんで俺だけ」——2度の理不尽が教えてくれたこと
選抜で引き上げられ、連帯責任で降ろされた
——本気で打ち込んだサッカーで、辛かった経験はありますか。
窪田さん:2回あるんですよ。1回目は、中2のときのことで。
僕のプロになりたいという思いを汲み取ってくれた恩師がいて。中高一貫だから普通は中3の夏で引退して高校サッカーに上がるんですけど、その恩師が「お前らはもう中2から上がっちゃえ」って、6人くらいを選抜みたいにして引き上げてくれたんです。
窪田さん:ただ、その恩師はOBであり外部コーチだったので、学校の先生からはあまりいい顔をされていなくて。そんな中、周りのメンバーが調子に乗っちゃったのか、素行が悪くなって成績も悪くなった。「この外部コーチのせいで素行が悪くなり成績も下がった」みたいな空気になって、連帯責任で全員降格になったんですよ。
僕は真面目にやっていたつもりだったので、「なんで?」という感じで。ちょうどそのころ両親も引越しのことで揉めていて、サッカーやってていいのかな?と考えるほど、すごく理不尽だなというのを味わった時期でした。
1対8で7点差の敗戦、自分だけがピッチに立てなかった日
——2回目はどんな経験だったんですか。
窪田さん:高2の秋の新人戦です。それこそ河本さんの大学に付属している、成蹊高校との試合だったんですけど。
3年生が引退する夏の大会までは試合に出れるか当落線上にいた所で怪我をしてしまって、結局その大会には出られなかったんです。怪我を抱えたまま副キャプテンにもなって。
窪田さん:試合は1対8で負けて、点差的に途中でもう負けるのがわかるじゃないですか。そうすると、同じポジションで「もう帰ろうぜ、だるいわ」みたいなことを言っていたやつらが最後に監督から声をかけられて出してもらえて。
同じポジションで、僕だけ最後まで出られなかったんですよ。副キャプテンだから最後まで鼓舞しなきゃと思って声を出し続けたんですけど、試合が終わってから、2時間くらいずっと涙が止まらなかったですね。
——その経験は、いまに生きている部分がありますか。
窪田さん:あると思いますよ。可能性を信じる、伴走するというのが、僕のなかにすごく根強くあって。
あの中学校の降格のときは、恩師は「お前だけはプロになりたいと思っているのを知ってるし、降格も俺は納得いってないんだよね」と言ってくれたんです。でも当時は思春期真っ只中で、意識高い系って思われるのが嫌で、「いや、いいっすよ」ってなあなあにして終わっちゃった。
窪田さん:振り返ったら、自分で自分の可能性に蓋をしていたなと。自分が信じていない可能性すら信じてくれるコーチがいたんだな、と思えたんです。
その恩師とはいまもOB会で10年くらいずっと一緒にプレーしていて。「これって伴走だよな」と思ったときに、「あ、こういう生き方をしたい、こういうあり方でいたい」と思えたんですよね。高校の時に副キャプテンで試合に出れなかった時もずっと励ましてくれたし。
教育か、社会か——遠回りして選んだ「営業」という道
——大学生活はどんな過ごし方だったんですか。
窪田さん:暇な時間が嫌いだったので、何かしら動いていましたね(笑)。1年目はとりあえず単位を取りつつサークルにもちょくちょく行って、バイトをめちゃくちゃ頑張って。
家の近くにある東進ハイスクールで働いていました。高校生の時にも通っていた校舎ですね。
——学生団体もやられていたそうですね。
窪田さん:「サッカー×国際協力」というテーマの学生団体に入っていました。スポンサー企業ありきの活動だったので、スポンサー集めの営業など色々やってみました、けどこれが全然うまくいかなくて。そのなかで「子どもの教育に携わりたい、けど社会を知らない状態で子ども、教育に携わるのは順番が違うのでは?」という思いが芽生えていったんです。
——そこから、なぜ営業の道へ進んだんですか。
窪田さん:思考の順番としては、教育に携わりたい、じゃあ先生かな、と。でも、ストレートで先生になったら社会を知らないのに子どもに何かを言うことになる。それは違うんじゃないかと思ったんです。
じゃあまず社会に出よう。何が好きかな?、人のを聞いて、役に立ったり解決したりのアドバイスなどが好きだったから、コンサル、営業かな。でも学生団体で営業をやったら全然うまくいかなかったから、営業力をつけたい。
で、家族ができたら時間、お金で不自由をさせたくないから、稼げる力もないといけない。そんな流れで、新卒は営業支援・代行をしているメガベンチャーに入りました。「若くして裁量があり成長できそう、営業力をつけられそう」という軸でしたね。
深夜3時の謝罪文——社会人1年目の洗礼
——新卒時代は、どんなことが大変でしたか。
窪田さん:会社が150%で伸びている凄い会社だったので、正直ずっと大変でした(笑)。僕がいたのはお客様支援の部署で、敬語も使えなきゃ話にならないし、メールの書き方も送り方もわからない。社長相手だったので、
「社長ってそもそも何を考えて生きてるんだろう」というレベルからのスタートで。それでも「とりあえず現場だ」と、新卒の当時から30〜40件くらいの担当を持たせてもらっていました。2年目を迎えるころには100社を超えていましたね。
——新卒で100件は相当な数ですね。
窪田さん:それは分業の仕組みがすごいところで。在宅で働いてくれるワーカーさんが秘書についてくれたり、いまだったらAIを使ったり。なんとかやっていました。
ありがたいことに昇進もできて、部下を持って一緒にお客様対応をするようになったんですけど、そこで部下の細かいミスを僕が管理しきれなくて。同じミスが2〜3回続いちゃったんです。
——どんなミスだったんですか。
窪田さん:群馬と東京の2拠点がある会社様の日程調整で、「東京のアポはこっちのカレンダーを使ってほしい、群馬のアポはこっちに」というのがごちゃごちゃになってしまって。
「これはやばい」となって、謝罪文や改善報告書を書くんですけど、当時はAIもないから作り方がわからない。先輩から全部もらって、バーッと書いて、というのをやっていたら、気づいたら深夜3時になっていた、みたいなこともありました。
そういう大変なエピソードを通して、体力もメンタルも養われたと思います。
なぜ保険に。そして最初から乗合代理店を選んだのか
——前職を辞めて、いまの道に進んだ理由は何だったんですか。
窪田さん:延べ300社様ほど担当させていただいたのですが、色々なお客様がいて。ホスピタリティといか、それをありがたいことに支援先のお客様からも高く評価していただいたのですが、その中で、自分の人生の時間を使うなら、ホスピタリティを発揮するなら「使いたい人だけに使いたいな」と思ったんです。
で、サッカーで学んだ「伴走って何だろう」と考えたときに、保険なら”その人が亡くなるまで”ずっと寄り添える。それってすごく伴走だなと。それでまず保険に絞って。その上で、1社専属の保険会社さんだと立場上扱える商品が限られていて、「本当はこっちの方がいいのに」と思っても提案できない。前職の時も同じことを思っていて、そこに抵抗があったんですよ。だから、人柄勝負の世界だけど、商品も大事だよねという軸で、複数商材を扱える乗合代理店を選びました。
——保険業界では一社専属から入る方が多いと聞きます。なぜ最初から代理店だったんですか。
窪田さん:おっしゃる通りで、一社専属の方が教育はちゃんとしているなとすごく感じました。でも、商品の優位性で見ると、1社のものだけより複数扱えた方がいい。
そして大事なのが、一社専属から代理店には移れるけど、代理店から一社専属には移れないんです。
先読みで「数年後にその悩みが出てくるな」と思ったときに、その状態でお客さんに「こういうこと担当します」と言って保険を預かるのは、思っていることとやっていることが違う気がして。教育の部分は自分でクリアできるし、FDJは教育もしっかりしてくれる。そこで決めました。
「全人類が対象」では、誰にも届かない——マーケティングとの出会い
——この1年、走ってきていかがでしたか。
窪田さん:やっぱり最初は大変でしたね。保険の商品を知らないなかで、先輩の見よう見まねで「これがいいんじゃない?」とお客様に提案を持っていくけど、まあ伝わらなかったり。「保険業界って大変なんだな」というのをヒシヒシと感じました。
——逆に、身についた力はどんなところですか。
窪田さん:広く言うと、マーケティングの考え方ですね。社長が「まずペルソナを作りましょう」ということをすごく言ってくれるんです。
保険って、健康状態が良ければ最悪誰でも入れるじゃないですか。となると全人類がお客さんの対象になってしまう。でもそうじゃなくて、窪田寛己の過去にどんな経緯があって、どんな想いがあって、その上で誰にどんな想い・保障を届けたいのか。そこから設計を。
窪田さん:だから「ペルソナってどうやって作るんだっけ」という設計から、「そのためにはどんな紹介をいただけると良いか」「能動的に紹介してもらうにはどんなアクションが必要か」まで考える。
まだ設計の途上ですけど、この考え方が身についたのは大きいです。逆に、そこを仕組みとして確立しきれていないのが、いまの課題でもありますね。
浦和レッズなど、サッカーチームのスポンサーになりたい——見据える未来
——今後、成し遂げていきたいことはありますか。
窪田さん:究極ですけど、浦和レッズが好きなので、いつか個人でスポンサーになりたいなと思っています。
試合を観戦できたり、選手との交流会に行けたり、スポンサー同士の交流会があったり。そういうのに関われたら最高だなって。当社の社長も今体現しているんですよね。
——ほかにも、理想としている状態はありますか。
窪田さん:最近結婚もしたので、まずはついてきてくれた奥さんにちゃんと恩返しをしたい。時間もお金も制限なく、やりたいことをやれる状態で常にいたいなと。
あとは、今回見に行けなかったワールドカップを次は見に行くとか。大学や高校のサッカー部のスポンサーもやりたいし、子どもと一緒に公園でサッカーをするとかも良いですね!
窪田さん:それから、いまの会社がすごく好きなので、採用も頑張って、僕らの考える保険観に共感してくれる仲間を増やしていきたいんです。100人、それ以上と、共感の輪が広がっていったら嬉しいですね。
「意志は環境に勝てない」——読者へ
——これまで関わってくれた方々へ、伝えたいことはありますか。
窪田さん:僕のことをどう思っているか分からないですけど、関わってきてくれた方のご縁の積み重ねで、いまの僕があると思っているんです。
そのおかげで素敵な奥さんにも出会えたし、こうやって幸せに暮らせている。本当に、皆さんのおかげだなと思っています。
——最後に。人生を変えたいけれど一歩踏み出せない、という読者へメッセージをお願いします。
窪田さん:好きな言葉で「意志は環境に勝てない」というのがあって。すごくいいなと思っているんです。だからこそ、先に踏み出している人に会う、話を聞く。やっぱり行動なんですよね。行動してみたら、後から結果はついてくると思っているので。思いとどまるんじゃなくて、一旦考えずにやってみる。それがすごく大事かなと。
窪田さん:それが僕と喋ることでも、ぶち上げチャンネルの運営メンバーとかと喋ることでも、誰かに話を聞きに行くことでもいい。とにかく一歩動いてみてほしいなと思います。
保険という商品を売るのではなく、その人の人生に最後まで寄り添う。窪田さんの仕事観の根には、自分でも信じきれなかった可能性を信じ、隣で走り続けてくれた恩師の姿がある。そして理不尽をくぐり抜けて掴んだ「伴走」という哲学は、いま彼が誰かの人生の転機にそっと差し出す手のかたちそのものだ。行動の先に結果はついてくるその言葉を、彼自身が体現している。
会社概要
会社名:Financial Design Japan株式会社
代表取締役:板倉 正汰
事業内容:保険代理店・資産形成アドバイザー
所在地:【本社/浜松支社】静岡県浜松市中区元城町216-4 ノーススタービル浜松1F
【東京支社】東京都新宿区新宿3丁目4番8号 京王フレンテ新宿3丁目4F
電話番号:053-489-3626
取材:河本龍真 文:佐藤大遥(株式会社One Rep)
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