2026.06.02 / ぶち上げインタビュー
【ぶち上げインタビュー】「腹の底から熱狂できるものを、本気で作っている」——渋谷×サッカーで、日本のフットボール界の未来を切り拓く男。株式会社PLAYNEW 代表取締役CEO 小泉翔【人生ぶち上げch】

ボール一つで、街は変わる。
この記事の要点
- 01立教大学進学後はアメリカ留学と約20カ国を巡る世界一周の旅で人生観が一変、若者に旅を広める「TABIPPO」を共同創業する。
- 02同年、仲間と草サッカーチーム「TOKYO CITY F.C.」(現SHIBUYA CITY FC)を立ち上げ、2020年からは経営に参画。
- 03最初はお世話になっている経営者の方々にスポンサーのお話しを頭を下げてお願いするところから始まったので、ここまで来たかという感覚はあります。
※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。
ボール一つで、街は変わる。
渋谷からJリーグを目指すサッカークラブ・SHIBUYA CITY FC。それを運営する株式会社PLAYNEW代表取締役CEO・小泉翔さんは、「渋谷から、世界で最もワクワクするフットボールクラブをつくる」を旗印に、サッカーで街と人と企業を巻き込み続けている。クラブは設立から10年でリーグを駆け上がり、2026シーズンは、J1から数えて5部相当の関東サッカーリーグ1部に所属。年商規模は約2億円、約300社のパートナー企業がクラブを支える。以下、小泉さん。
1988年、埼玉県狭山市生まれ。3歳からサッカーを始め、小学6年で埼玉県選抜として全国大会の舞台に立った。大宮アルディージャU-18からプロを目指すも夢半ばで断念。立教大学進学後はアメリカ留学と約20カ国を巡る世界一周の旅で人生観が一変、若者に旅を広める「TABIPPO」を共同創業する。新卒で入社したサイバーエージェントを1年で離れ、2014年にTABIPPOを法人化。同年、仲間と草サッカーチーム「TOKYO CITY F.C.」(現SHIBUYA CITY FC)を立ち上げ、2020年からは経営に参画。2021年に代表取締役CEOに就任した。
「人と人がつながる泥臭いクラブにしたい」と語る小泉さんの胸の内には、AI時代に向かう日本のリアルな興行のど真ん中で、渋谷×サッカーが熱狂のセンターに立つという確信がある。「腹の底から熱狂できるコンテンツを、本気で作っている」——その言葉の裏側にある人生の歩みを、たっぷり伺った。
会社名 株式会社PLAYNEW
役職 代表取締役CEO
氏名 小泉 翔(こいずみ しょう)
クラブのいま——関東リーグの舞台で、Jリーグの中腹まで来た
設立10年で関東リーグ1部、年商2億円規模へ
——まず、いま渋谷シティFCはどんなフェーズにあるんですか?
小泉さん:2014年に草サッカーチームとして立ち上げ、東京都4部リーグに加盟・参戦したのが2015年。なのでちょうど去年で10年ですね。東京都の4部、3部、2部、1部それから関東2部と上がって、いまはJ1から数えて5部に相当する関東サッカーリーグ1部にいます。Jリーグからの距離で言えば、ちょうど中腹まで来たぐらい。Jリーグという舞台が、ようやくリアリティを持って話せるようになってきたフェーズですね。
売上の規模で言うと、設立初年度(2019年)の年商が1500万円ぐらい。それが今年は約2億円までは来ていて、そのうち1億8000万円ぐらいがスポンサー収益です。一番の収益源は、いまも昔も、応援してくださる企業さん。最初はお世話になっている経営者の方々にスポンサーのお話しを頭を下げてお願いするところから始まったので、ここまで来たかという感覚はあります。
「あえて広げない」という王道戦略
——他クラブだとイベント事業や物販に展開するケースもあります。御社はあえてしない?
小泉さん:いまは本当にサッカークラブ運営しかやっていないんです。Jリーグに行くまでは、サッカー軸からは離れないと決めていて。僕、もともとIT畑の人間なので、ウェブマーケやるとかクリエイティブで稼ぐとか、別の打ち手はいくらでもあると思うんです。でも、本当に応援してくれる人を増やしていくことが、中長期で見ると一番の強みになる。スポンサー、チケット、グッズというサッカークラブのマネタイズモデルの王道だけで、しっかり伸ばしていきたいなと思っています。
ありがたいことに、東急さんや伊藤園さんのような大企業のスポンサーも増えてきて、その信用力でベンチャー、スタートアップさんが仲間になってくれて、と雪だるま式に広がっている感覚もあります。
ルーツ——埼玉の住宅街で、ボールに夢中だった少年
男三兄弟の末っ子、サッカー漬けの幼少期
——もともとはどんな少年だったんですか?
小泉さん:埼玉県狭山市の、何もない住宅街生まれです(笑)。男三兄弟の末っ子で、長男は3歳上、次男は2歳上。兄たちがサッカーをやっていたので、僕も物心ついた頃にはサッカーをやっていました。小学6年生のときに、フジパンカップという都道府県の選抜対抗の全国大会みたいなのに埼玉県選抜として出て、優勝までいけたんですよ。同じチームに長谷川アーリアジャスール(※後にプロサッカー選手、元日本代表)がいたりして、家族も「このままJリーガーを目指してがんばれ」と応援してくれた。中学では川越のジュニアユース、高校で大宮アルディージャU-18に上がって、本当にサッカー漬けの生活でした。
ちなみに家庭は本当にごく普通で、父は大手メーカーで新卒入社から定年退職までずっと働き続けた、絵に描いたようなサラリーマン。一方で母方の祖父が建築士で、自分で建築事務所をやっていたんですよ。あとは三兄弟全員バイオリンをやっていました。いまの長男は実際にプロのバイオリニストとして、名古屋フィルハーモニー交響楽団に在籍しています。次男は高校からアメフトに転向して、実業団でもう10年以上、プロ選手としてプレーしている。3人とも好きなことをやらせてもらっている、まさに三者三様の兄弟です。
——これまでの挫折経験は?
小泉さん:実は、これといった挫折体験というのはあまりなくて。コンプレックスもあんまりない。ある意味、それがコンプレックスというか。
大宮アルディージャU-18からトップチームに上がれずプロを諦めたタイミングはありましたけど、高校3年間で何度も大きな怪我をしていて、練習しないと上手くならない、けど練習すると怪我する、みたいな状態だったので、「まあ、しゃあないっしょ」という感じでスッと切り替えました。指定校推薦で立教大学に入って、大学1年までは関東1部・2部を行き来する社会人チームでサッカーを続けていました。
旅と気づき——20歳で人生を変えた一年休学
「ただのサラリーマンになりたくない」と海外へ
——大学を一年休学して、世界一周の旅へ。何が背中を押したんですか?
小泉さん:大学3年で就活が始まるってなったときに、自分にやりたいことも、受けたい会社もないことに気づいたんです。ただ「サラリーマンとして悶々と働くのは嫌だ」という気持ちだけがあって。それで、3年生の夏から1年休学することにしました。
実は幼少期の原体験があって。父がNPO法人で国際交流の活動をしていて、数年に一度、外国人の旅行者が家にホームステイに来るんですよ。狭山市のど田舎に「なんでわざわざ」と思うんですけど(笑)、英語も通じないまま、カナダから来たデビッドさん、オーストラリアから来たマイケルくん、と世界中の人が家に泊まっていく。それがずっと心に残っていて、なんとなく国旗を覚えたり世界地図を眺めるのが好きな子どもになっていた。だから「就活する前に、本当に行きたいなら行くしかない」と。
最初の半年はアメリカに留学して、その後は大学1、2年でアルバイトで貯めたお金を握りしめてバックパック一つで南米、ヨーロッパ、アフリカ、中東、アジアと、約20 カ国近く回りました。当時から若者の海外旅行離れが叫ばれていたんですけど、自分の原体験から「やっぱり若いうちに海外に行った方がいい」と感じていて。旅先で出会った同世代の日本人と、帰国後に学生団体「TABIPPO」を立ち上げました。最終的にイベントには大学生が数千人集まるくらいの規模になっていきました。
一番きつかった瞬間——ペルー初日、すべてを失う
——旅でいちばんきつかった瞬間は?
小泉さん:ニューヨークからペルーへ飛んで世界一周がスタートした、その初日です。空港に降り立ったら、荷物がすべて出てこなかった。「ロスト・バゲージ」というやつですね。空港で「たぶんまだニューヨークに残ってる」と嘘の情報を渡されたり、警察に行ったら賄賂を要求されたり。
それから2週間、首都リマでホテルに缶詰になってずっと荷物を探し続けました。せっかく英語を勉強して旅をスタートしたのに、その英語も全然通じない。何箇所もたらい回しにされて、心も体もボロボロです。最終的に荷物は出てこなくて、もう諦めて、リュックサック一つで世界一周し直したんですよ。
いまでも、たまに「荷物が出てきた」っていう夢を見ます(笑)。ただ、振り返ってみると、僕の人生で本当にきつかったのって、それぐらいで。それ以外は、ほんと幸せに過ごしてきたなと思います。
サイバーエージェントを1年で——独立への助走
「好きなことじゃないと、頑張れない」
——卒業後はサイバーエージェントへ。なぜ1年で辞めたんですか?
小泉さん:当時、ITの波が押し寄せてくる感覚があって、ITを幅広く学べる場所として広告代理店を選んだんです。サイバーは入ってから本当に素晴らしい会社だなと思いましたし、いまも同期や先輩には本当にお世話になっています。
ただ、自分にとって「好きなことじゃないと頑張れない」というのが、入社して数ヶ月で痛いほど分かってしまった。サイバーって、同期が子会社の社長になったり、同期がいきなり自分の上司になったりするような会社で、その中で自分の実力のなさみたいなものが、毎日突きつけられるんです。
それで、11月か12月ぐらいに「一回外に出よう」と決めて、退職しました。次にやるのは「サッカーの仕事をするか、TABIPPOを法人化するか」の二択で、最終的にはTABIPPOを法人化して、独立を選びました。2014年、25歳のときです。
ちなみに、辞めて10年以上経ったいまでも、サイバーの同期はめちゃくちゃ仲がいいですよ。それぞれが負荷の高い時期を一緒に戦ってきた仲間って、何年経っても信頼関係が残っているなと感じます。
クラブの始まり——草サッカーから始まったプロジェクト
「都心にこれまでにないクラブを」
——SHIBUYA CITY FCはどう生まれたんですか?
小泉さん:2014年、独立したタイミングで、いまの取締役会長の山内一樹、創業デザイナーの田口文也、そのほか同世代の仲間と、渋谷を拠点に草サッカーチーム「TOKYO CITY F.C.」を立ち上げました。彼らは当時からスポーツビジネスやアパレルブランドのデザイナーをやっていて、意識が高くて感度の高い、80年代後半世代の若者たちです。
「日本にはないかっこいいサッカークラブを作ろう」「これまでにないクラブを都心に」というコンセプトで集まって、SNSで仲間がどんどん増えていきました。最初は本当に遊びだったんです。2015年に東京都4部リーグに登録して、4部→3部→2部とリーグを上がっていくうちに、渋谷区の地域・行政の方々や渋谷の企業さんとの取り組み、サンロッカーズ渋谷さんとのコラボイベントなども増えていって、だんだん「渋谷の街クラブだ」という感覚が芽生えていきました。
2019年2月、株式会社PLAYNEWとして法人化。同じ年に元名古屋グランパスの阿部翔平選手が、クラブ初のプロ契約選手として加入してくれたんです。あの加入は本当に大きかった。翌年、東京都リーグ1部への昇格が決まったタイミングで、チーム名を「TOKYO CITY F.C.」から「SHIBUYA CITY FC」に変更しました。渋谷の街と、より深く一体化していくための名前です。
「お願い営業」の積み重ね
——とはいえ、社会人サッカーリーグでスポンサーを集めるのは相当大変ですよね?
小泉さん:初年度は現取締役の酒井が唯一のフルタイム社員としてスポンサー集めに奮闘し売上は1500万円ぐらい。本当に、知り合いの経営者にスポンサーのお話しを頭を下げてするところから始まりました。
僕がPLAYNEWに役員として正式参画したのが2020年で、前職を辞めて専念したのが2021年。そこから営業に本格的にコミットして、いま約300社の企業がクラブに関わってくださっています。大企業からのスポンサードもいただけるようになってきて「あの会社が応援しているクラブなら」と、新しいスポンサーが入ってきてくれる。雪だるま式に広げてきた5年間でした。
哲学——「サッカー軸からは離れない」と決めた理由
あえてテックに逆張りする
——AI、ウェブ、デジタル……ITネイティブの世代として、もっとデジタルで稼ぐ選択肢もあったのでは?
小泉さん:それはずっと考えてきました。でも、最近かなり強く感じるんです。AIがどんどん発達して、人間がやることが効率化された先で、「リアルの場所で、人と人が直接つながる場」の価値は、むしろ爆発的に上がっていく。スタジアムでみんなが声を枯らして応援する、試合の話で居酒屋が盛り上がる——ハードやオフラインでしか提供できない体験のど真ん中に、僕らは戦いにいきたいと思っているんです。
サッカーチームを応援する経営者の方の中には、ビジネスマッチング目的で入ってきて、サッカーに興味がないと離れていく方もいらっしゃる。でも、それでいいんです。むしろ、「暑苦しくて人間味あふれるコミュニティ」に仕上がっていく方が、長い目で見たら強い。渋谷というテック・ITの中心だからこそ、あえてリアルの熱狂に逆張りする意味があると思っています。
未来——2036年、J1のピッチに立つ日まで
練習場、そしてスタジアムへ
——10年後の目標が具体的に見えているんですよね。
小泉さん:はい。2036年、J1に渋谷シティFCがいる、というゴールはずらしたくない。関東1部、JFL、J3、J2、J1と、いま中腹まで来た感覚があるので、リアリティを持って語れるようになってきました。
それと並行して、固定で使える練習場の開発も動いていて、早ければ来年(2027年)には完成する見込みです。サッカークラブにとって専用の練習場がある、これは本当に大きな資産になります。
スタジアムも、いまの段階で具体的な場所はお伝えできませんが、渋谷の都心ど真ん中にスポーツの興行ができる施設の建設を夢見ています。
メッセージ——渋谷×サッカーで、一緒に熱狂を作る仲間へ
「腹の底から熱狂できるものを、一緒に」
——最後に、これから経営者になっていく若者、すでに経営者として走っている方々へメッセージをお願いします。
小泉さん:僕らがやりたいのは、ビジネスとして勝つということだけじゃないんです。もちろん資本主義の中で勝負はしているんですけど、その先に「渋谷の街にグローバルで戦える巨大なサッカークラブをつくり、世界と戦う」という、デカい目標がある。それに対して、腹の底から一緒に熱狂し合える人、本気で一緒に作っていける仲間を、ずっと探し続けていますし、関わってくださる方や企業がみんな渋谷シティFCからエネルギーを持ち帰ってそれぞれの持ち場で活躍したり素敵な人間関係が広がっていく。そんな未来を本気で目指しています。
例えば南葛SCやEDO ALL UNITED、そして僕らのような新興勢力とされるチームのようは全国にも存在しますが、過去のサッカークラブの規模を本気で塗り替えにいけるクラブって、正直あんまり多くないと思っています。だからこそ、いまから一緒に走ってくれる人にとっては、5年後、10年後、めちゃくちゃ自慢できる経験になるはずなんですよ。本当にしんどかった時期から一緒にやってくれて、その先にスタジアムができて、「このチームが、この街が、誇りだ」とみんなが言える日が来る。
そのど真ん中に、僕らは絶対にいます。サッカーが好きな経営者の方は、ぜひ一度試合を観に来てください。そして、もしできれば、一緒に渋谷から世界を狙う仲間になってください。
会社概要
会社名 株式会社PLAYNEW
設立 2019年2月1日
代表 小泉 翔(代表取締役CEO)
事業内容 サッカークラブ運営事業(SHIBUYA CITY FC)
所在地 東京都渋谷区渋谷2-22-6 幸和ビル5階
公式サイト https://www.scfc.jp/
取材・文:河本龍真(株式会社One Rep)
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