2026.07.16ぶち上げインタビュー

ぶち上げインタビュー「弱さこそが誇り」——壮絶な幼少期を、"その人らしさ"を言語化するセールスコーチングに変えた男。木内拳斗さん

「弱さこそが誇り」——壮絶な幼少期を、"その人らしさ"を言語化するセールスコーチングに変えた男。木内拳斗さん

「クビ宣告をされたことがきっかけでした」。そう振り返るのは、コミュニケーション講師として営業パーソンや経営者、一人社長に向けたコーチングを行う木内拳斗さんだ。 木内さんが手がけるのは、いわゆる「話し方のテクニック」ではない。「その人らしく、結果が出ていく」という、その人固有の営業スタイルを言語化し、再現性のあるかたちに落とし込むコーチングだ。人材、解体、IT

この記事の要点

  • 01そう振り返るのは、コミュニケーション講師として営業パーソンや経営者、一人社長に向けたコーチングを行う木内拳斗さんだ。
  • 02それでも木内さんは、その経験のひとつひとつを「きっかけ」と呼び、今の仕事の土台に変えてきた。
  • 03人生が変わりましたというレベルじゃなくても、「明日から頑張ろう」でいいので、何か一つ変わるきっかけを与えられる人になりたい。

※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。

「クビ宣告をされたことがきっかけでした」。そう振り返るのは、コミュニケーション講師として営業パーソンや経営者、一人社長に向けたコーチングを行う木内拳斗さんだ。

木内さんが手がけるのは、いわゆる「話し方のテクニック」ではない。「その人らしく、結果が出ていく」という、その人固有の営業スタイルを言語化し、再現性のあるかたちに落とし込むコーチングだ。人材、解体、IT、投資用不動産、コンサル、携帯販売と六つの商材で二年間の武者修行を積んだのち独立し、現在はコミュニケーションコーチとして活動している。

兵庫県神戸市生まれ。両親の離婚、母方の祖父母からの体罰、母の交際相手による暴力と、幼少期は決して穏やかなものではなかった。それでも木内さんは、その経験のひとつひとつを「きっかけ」と呼び、今の仕事の土台に変えてきた。

今回は、そんな木内さんの壮絶な半生と、そこから見出した独自の哲学、そして今後の展望について話を伺った。

プロフィール

職業:コミュニケーション講師(セールスコーチ)

氏名:木内拳斗(きうち けんと)

出身:兵庫県神戸市

「その人らしさ」を言語化する——一人ひとりに合わせたセールスコーチング

テクニックではなく、生き方に寄り添う

——まず、現在のお仕事について具体的に教えてください。

木内さん:メインはコミュニケーションのコーチングです。営業マンや事業主、一人社長さんなど、セールスが必要な方に向けてやっています。会話の設計の仕方や、その人だからこそできる営業のやり方、その人らしく結果が出ていくものを、一緒に作っていくのが大枠です。たとえば「名刺配りまくれ」「当たって砕けろ」みたいな根性論の営業会社もありますが、それが合わない人はたくさんいます。かといって、じゃあどういうやり方が合っているのかがわからない。そこを僕が全部言語化していく。なんとなくわかる、では説得力がなくなってしまうので、徹底的に言語化するんです。その人らしく営業での戦い方がわかれば、ストレスなく「あなただからお願いしたい」というブランディングになりますし、営業自体が好きで得意で楽しいものになっていく。そこのサポートをしています。

「人生が変わるちょっとしたヒントを与える人」に込めた意味

Instagramのプロフィール文が導く、木内さんの原点

——Instagramのプロフィールに「人生が変わるちょっとしたヒントを与える人」という言葉がありますが、ここに込めた思いは何ですか。

木内さん:僕の人生自体が、きっかけだらけだったんですよね。本当にほんのちょっとしたきっかけで、人生が変わってきた。だからこそ、次は自分がその「きっかけ」を与える側になりたいと思ったんです。

両親の離婚、祖父母からの体罰、そして母を狙った詐欺師——絶望の中の幼少期

「人を好きになったら離れていく」という、幼い頃に芽生えた感覚

——そのきっかけの原点について、もう少し詳しく聞かせてください。

木内さん:両親は二人ともフレンチのシェフで、飲食店を経営していました。ただずっと忙しくて、僕は結構独りぼっちだったんですよね。小学一年生の時に両親が離婚して母子家庭になり、それをきっかけに転校もしました。人を好きになったら離れていくんだって、そこで変な概念が芽生えてしまって。お父さんお母さんを好きだと思った瞬間に、お父さんがいなくなる。友達ができたと思ったら、転校して離れ離れになる。そこから母方の実家に移ったんですが、そこでは祖父母からの度が過ぎた教育というか、DVがありました。毎日ビンタされて殴られて、ちょっと悪いことをしただけで二時間正座で説教されて。それが六年間続きました。小学五年生の頃には、母がネットで知り合ったアメリカ人の方と付き合い始めて、一緒に住むことになったんですが、その人もかなりのDV男で。祖父母からも、その人からも殴られる日々で、身も心もボロボロになって、小学生ながらに精神疾患のような状態になってしまったんです。夜になると叫んで部屋で暴れ回って、本人には記憶がない、みたいな状態でした。

母をストーカーした詐欺師と、そこから見つけた「見てくれる人」の存在

絶望の中でも救われた、友人からのほんの少しの優しさ

——そこからどのように状況が変わっていったのでしょうか。

木内さん:ある時、母がその人に僕が殴られているところを見て、家から追い出したんです。そうしたら今度はその人が逆恨みで母をストーカーするようになって。夜中三時にドアをドンドン叩かれたり、インターホンを鳴らされたり。さすがに母も警察に通報して、逮捕されたんですが、身元を調べたら国際指名手配犯の詐欺師だったことがわかったんです。正直、その頃は家族に対して本気で恨んだこともありました。ただ、女手一つでここまでやってくれているんだよなという感覚もあって。中学からは、部活でちゃんと結果を残そうとエネルギーをシフトさせました。あと、僕が五つ下の弟の保育園の送り迎えを、五年間ずっとやっていたんです。友達と遊んでいても「そろそろ迎えに行かなきゃ」って抜けていくような子供でした。それでも、一緒に送り迎えについてきてくれる友達がいたり、ちゃんと見てくれる人がいた。そのほんの少しの温かさに、僕はだいぶ救われたんですよね。絶望的な状況でも、そういうことをしてくれる人がいるんだと感じられたから、今度は自分が与える側になりたいと思うようになりました。

監督と目が合って強制入部——ウェイトリフティングで掴んだ全国レベルの結果

——中学、高校ではスポーツにも打ち込まれていたそうですね。

木内さん:中学は陸上の長距離、高校はウェイトリフティングをやっていました。実はウェイトリフティング部に入るつもりはまったくなかったんです。「なんだそれ」と思って練習場を覗いてみたら、監督と先輩に目が合ってしまって。そのまま部室に連れて行かれて、その場で入部届を渡されて「書くまで返さない」と言われました。もう強制ですよね。ただ結果的に、六十二キロ級で体重六十キロぐらいの時に百二十キロを上げていて、インターハイでベスト十六に入ることができました。高校卒業時には大学の推薦も五校からいただいたんですが、その時すでに建築士になろうと決めていたので、ウェイトリフティングは高校で区切りをつけました。

目の前に「財閥」はいても、「お客さん」がいなかった違和感

大手ゼネコンで感じた、やりがいと物足りなさ

——大学卒業後は前田建設工業に入社されていますが、どのような業務を担当されていましたか。

木内さん:内装、鉄骨、コンクリートと、基本的に全般を担当していました。自分が計画したものが出来上がっていくのを見るのは、純粋に面白かったですね。ただギャップもあって。ゼネコンのお客様って、大手不動産デベロッパーのような、いわば財閥です。契約で数百億円が動くような世界で、「目の前のお客様」というより「目の前の財閥」という感覚に近かった。「お金を払っているんだから早く建ててよ」というスタンスの方も多くて、僕はもっとお客さんに寄り添えるような仕事がしたいなと漠然と思っていました。ただ、コミュニケーション力にはまったく自信がなくて、営業だけは絶対にやらないと決めていたんです。

「お前優しすぎるからこの業界向いてへんで」——職人の一言が教えてくれた進路

絶対にやらないと決めていた営業への転身

——そこから営業職に転身されていますが、きっかけは何だったのでしょうか。

木内さん:現場の職人さんに言われた一言がすべてでした。仕事で調子が良くなかった時に呼び出されて、「お前、将来どうなりたいんや」と聞かれたんです。「稼いで出世したいです」と答えたら、「稼いだ先に何が欲しいねん」と。家や車が欲しいと言ったら、「家と車は住むため、移動するための手段でしかない。手段の話じゃなくて目的は何やねん」と言われて、答えられませんでした。「そんな夢もない奴に誰がついてくんねん」「お前は優しすぎるから、この業界には向いてへん」とも言われました。ただ、それは辞めろという意味じゃなくて、もっと輝ける場所があるという意味だったんです。「その優しさと共感力をもっと磨いて、お前の魅力を欲しがっている人はこの外側にいっぱいいる。そういう人を救っていったらどうや」と。その一言で、営業ってコミュ力だけじゃないんだなと腹落ちしました。

契約ゼロで受けた「クビ宣告」、そこから歴代最速で掴んだ社内記録

三百件の相談を録音し、徹底的に分析して見えた「勝ちパターン」

——営業に転身されてから、独立までの道のりについて教えてください。

木内さん:一社目は人材の法人営業だったのですが、一日二百件のテレアポと四、五十件の飛び込み訪問を、休みもほぼなく半年間続けて、契約はゼロでした。同期はみんな数字を出しているのに僕だけゼロで、当時の社長から肩をトントンと叩かれて、クビを宣告されたんです。それが本当に悔しくて、コーチングを受けることにしました。三百件以上の相談を全部こっそり録音して、家に帰って文字起こしをして、自分と上司や先輩の話し方を全部可視化して、徹底的に分析したんです。そうしたら自分の中でのコミュニケーションの法則が見えてきて、そこにコーチングで学んだこととPDCAの場数を重ねた結果、三ヶ月後に歴代最速で主任になって、社内記録を作ることができました。天才肌で結果を出したタイプじゃない自分でも、正しいやり方と方向で頑張れば報われるんだと本気で思えたので、当時の自分みたいな人を一人でも多く救いたいと思うようになったんです。そこから解体営業、IT営業、投資用不動産営業、コンサル、携帯販売と、六つの商材で二年間武者修行をして、独立しました。

「弱さこそが誇り」——コンプレックスを味方につけるという理念

憧れるYouTuber・ラファエルに見た、ギャップという魅力

——独立されてから、絶対にブレない信念のようなものはありますか。

木内さん:「弱さこそが誇り。強さはさらなる自信へと変わる」というのが、僕の中での理念です。コンプレックスと戦っても勝てないものは勝てないので、それを味方につけるしかない。僕はずっと孤独で、いじめられてばかりの人生だったから、人の表情をずっと窺うクセがついてしまったんですが、それがコーチングでは逆にフルに生かされているんです。人の目を気にしてきてよかったと、今は誇りに思えています。憧れている人はYouTuberのラファエルさんですね。実際にお会いしたこともあるんですが、YouTube上では破天荒なキャラクターなのに、オフになった瞬間にすごく律儀で品格のある人なんです。キャラクターを自在に演じ分けながら、ちゃんと数字も出して事業も伸ばしている。そのギャップも含めて、僕がなりたい姿だなと思っています。

一万人の心を動かす講演家へ——目の前の一人から始める五年後の目標

視聴者へ——ロールモデルは「憧れ」ではなく「自分と近い属性」から探す

——今後の展望と、視聴者へのメッセージをお願いします。

木内さん:ゆくゆくは千人、一万人を集めて講演をする講演家になりたいと思っています。マクドナルドで日本一の売り上げを作った元店長で、講演家として活動されている鴨頭嘉人さんに昔から憧れていて、講演やライブによく足を運んでいました。人生が変わりましたというレベルじゃなくても、「明日から頑張ろう」でいいので、何か一つ変わるきっかけを与えられる人になりたい。一万人の人生を動かすためには、まず目の前の一人の人生を動かさないといけないので、そのためにコーチングを始めたという側面もあります。それが五年後の目標ですね。そして、行動に移せない方へのメッセージなんですが、「人生ぶち上げチャンネル」に出ている経営者の生い立ちを見て憧れるだけでは、なかなか行動には移らないと思うんです。憧れるというのは、自分にないものを持っているから憧れる。だとしたら、自分にないのにその人みたいになりたいというのは、そもそも矛盾が起きてしまっているんですよね。本当に正しいロールモデルというのは、自分と似た属性の人がどう成功したかを知ることだと思います。まず自分がどんな人間なのかを分かった上で、「この社長は自分と近いな」という人を見つける。そうすれば「自分でもいけるかも」と思えて、行動に移せるようになるんじゃないかなと思います。

プロフィール概要

氏名:木内拳斗(きうち けんと)

職業:コミュニケーション講師(セールスコーチ)

事業内容:営業パーソン・事業主・一人社長向けのコミュニケーション/セールスコーチング

運営SNS:Instagram(@kentokiuchi0130)

取材・文:佐藤大遥(株式会社One Rep)

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