2026.08.07 / ぶち上げインタビュー
【ぶち上げインタビュー】「わがままで、いてほしい」——陸上の挫折から、23歳・最年少で世界基準上位5%へ。保険営業・中洞将さん

「自分の意見が本当はあるのに、言わないようにしていた」。
この記事の要点
- 01挫折と再起を短いスパンで駆け抜けてきた中洞さんに、その原点と現在地、そして見据える未来を伺った。
- 02大学で学んだいちばん大きなことは、**「自分で選択することの大切さ」**でした。
- 03ちょうど転職市場が変わり始めた時期で、成果も出ず、成長がないとずっと残業させられるような環境でした。
※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。
「自分の意見が本当はあるのに、言わないようにしていた」。
そう静かに振り返るのは、GP innovationの保険代理店として、自分と同じ20代に保険を届ける営業マン・中洞さん(なかぼら)だ。既存の"お堅い"保険営業がターゲットにしてこなかった、保険未加入の若い世代。そこに、お客様を「楽しませる」という一点突破で切り込んでいる。
岐阜県高山市に生まれ、球技はまるで苦手。たまたま入った陸上で頭角を現し、県内では負け知らずになった。しかし、大学では怪我が止まらず、競技の道を断たれる。新卒で飛び込んだ会社は、同期が次々と倒れていくような環境だった。それでも保険営業の世界に活路を見出し、活動わずか数ヶ月で最年少で世界基準上位5%を達成する。
挫折と再起を短いスパンで駆け抜けてきた中洞さんに、その原点と現在地、そして見据える未来を伺った。以下、中洞さん。
【プロフィール】
事業内容:GP innovationの保険代理店として保険営業
経歴:金融業界1年半/GP innovationでの保険営業8ヶ月目
氏名:中洞 将(なかぼら しょう)
「お客様に、楽しんでもらう」——同世代へ届ける保険
——いまのお仕事を教えてください。
中洞さん:GP innovationの保険代理店です。金融業界に入って1年半、いまのGP innovationでの保険営業は、ちょうど8ヶ月目が終わるところですね。 僕がいちばんのターゲットにしているのは、自分と同じ20代なんですよ。保険に入っていない人が、ほとんどの世代です。
——同世代を狙うのは、なぜですか。
中洞さん:保険営業って、正しいことは言うけれど、お堅い方が多いじゃないですか。僕みたいに、ちょっと明るめというか、チャラめな人間は少ないんです。 前職の代理店にいたとき、いちばん歳の近い先輩でも29歳で、6個上なんですよね。売り方もターゲット層も、まったく違う。だったら、同世代のことは同世代の自分がいちばんわかる、と思ったんです。
——営業で、いちばん大切にしていることは。
中洞さん:楽しむこと、ですね。自分もそうですし、お客様にも楽しんでもらうことを大事にしています。 保険って、掛け捨てでも月5000円、積み立てなら2、3万はかかる。そのお金を預かるだけなら、正直、誰にでもできるんです。じゃあ、その2、3万円ぶんの価値をちゃんと返せているか。「2、3万円ぶんの価値を提供できたか」を、常に考えていました。
岐阜の田舎で、走ることだけが得意だった
——子どもの頃は、どんな性格でしたか。
中洞さん:岐阜県の高山市で生まれたんですけど、僕、球技もスポーツも何もできなかったんですよ。 ただ、田舎でやることがなくて、たまたま誰でも入れる市民の陸上チームに入ったんです。そうしたら、市民マラソンみたいな大会でなぜか入賞しました。そこで初めて、自分は長距離が速いんだ、と気づいたんですよね。
走り始めた、もうひとつの理由
——陸上を選んだのには、理由があったんですか。
中洞さん:もともと鬼ごっこが好きで、走ること自体が好きだったんです。それが入口ではあるんですけど……。 うちは父が岐阜で設備の会社をやっていて、寒冷地なので水道がすぐ凍る。休みなく働いていて、僕が小学4年生のとき、ストレスで体を壊してしまったんです。両親も、離婚することになりました。 でも逆に、そのために陸上を始めた部分もあるんですよ。競技を続けたおかげで、中学も高校も学費がかからなかった。あのとき走っていて、本当によかったなと思いました。
「足が速かったのに」——その励ましが、いちばんつらかった
——高校では、かなり結果を出されたそうですね。
中洞さん:勉強は偏差値35くらいで、まったくダメだったんです(笑)。ただ、陸上だけは岐阜県で負けたことが1度もありませんでした。 それで、県内でいちばん強い体育系の高校に、スポーツ推薦で進みました。大学からも、いくつも声をかけてもらいました。
自分で選ぶ余地が、なくなった
——大学では、どんな壁にぶつかったんですか。
中洞さん:箱根くらい走れるだろう、と本気で思っていたんです。でも1年目、県内の試合にもほとんど出られませんでした。 高校までは、監督が「お前はこの練習」とオーダーメイドで組んでくれていた。それが大学に入った瞬間、言われたことを全部やらないといけなくなって、自分で選択する余地がなくなったんですよね。体のケアもできず、怪我ばかりで、一気に走れなくなりました。 大学で学んだいちばん大きなことは、**「自分で選択することの大切さ」**でした。皮肉にも、それを失ってから気づいたんです。
——競技を辞める決断は、つらかったのでは。
中洞さん:「次に足を折ったら、ボルトを入れる」と言われて、そこで見切りをつけました。 いちばんきつかったのは、周りの反応でしたね。「足が速かったのに、残念だったね」って励まされるんですけど、その励ましが、逆につらかったんです。 陸上以外に自分は何ができるんだろう、と考えました。心にぽっかり穴が開いた状態で、アピールできるものが何もなかった。あれは本当にきつかったです。
新卒で飛び込んだ会社で、心ではなく体が壊れた
——大学を出て、最初はどんな仕事に。
中洞さん:適当な就活をして、虎ノ門の人材会社に入ったんです。でも、そこがめちゃくちゃブラックでした。 インセンティブがあると言われたのに、まったくなかった。ちょうど転職市場が変わり始めた時期で、成果も出ず、成長がないとずっと残業させられるような環境でした。
同期は、僕以外みんな倒れた
——精神的にも、追い込まれたのでは。
中洞さん:同期は、僕以外みんなうつ病になって、つぶれていきました。 僕は心には来ないタイプで、代わりに体に出るんですよ。もともとアトピーがひどくて、それが激しく出てしまいました。自分でも理解できないところまで行っていて、正直、わけがわからなかったですね。 結局、4月に入って12月には辞めました。
数ヶ月で、最年少で世界基準上位5%——保険営業で開花した「ゼロから1」
——そこから、なぜ保険営業だったんですか。
中洞さん:稼ぎたいなら不動産か保険だろうな、と考えていました。母が看護師なので、手術名とか医療のことは全部聞ける環境だったんです。 僕自身に医療の技術はない。でも、それを自分の営業に活かせるならいいじゃないか、と思ったんです。それで保険の世界に飛び込みました。
——実績を教えてください。
中洞さん:大手の保険代理店と契約して、活動3ヶ月で世界基準上位5%の実績を達成しました。 去年の売上は1400万円ほどでした。販売を始めてからは、月に200万円くらい売っていました。23歳での達成は、なかなかいないと思います。
ロールモデルは、いなかった
——誰かをお手本にしていたんですか。
中洞さん:それが、ロールモデルはいなかったんですよね。 保険って、売り方に再現性がない商品なんです。お堅い先輩に聞いても、言っていることは正しい。でも、自分に真似できるかは別問題でした。ターゲット層も売り方も違いすぎて、参考にならなかった。 だから自分で考えて、いっぱい失敗して、成り上がってきた。1人で、ゼロから1を作る力は、圧倒的につきました。 いま思えば、それがいちばんの財産です。
アポが枯れた8ヶ月目、たどり着いた「交流会」という答え
——順調なだけでは、なかったんですね。
中洞さん:始めて8ヶ月、9ヶ月くらいで、アポが取れなくなってくるんですよ。 最初は仲のいい人が協力してくれる。でも、そこからどんどん深掘って紹介を広げていかないといけない。つなげる能力も、人脈も、お金もなかったので、めちゃくちゃきつかったです。
お客様を繋ぐ会という、恩返し
——どう突破したんですか。
中洞さん:自分に何ができるか考えたら、交流会を開くことだったんです。大学時代に渋谷のクラブでバイトしていて、もともとパーティーみたいなことをするのが好きだったんです。 いまは月に2回、必ず主催しています。ひとつはゼロイチ世代が集まる交流会、もうひとつはお客様とお客様を繋ぐ会です。 お客様にお金をかけずに還元できるものって、もう人脈しかないな、と思いました。お客様の仕事内容を聞いて、マッチしそうな人を交流会で引き合わせる。そうやって回しています。
——いまのGP innovationとの出会いも、そこから。
中洞さん:そうなんです。自分の交流会に、たまたまGP innovationの担当アドバイザーの方が来てくれました。 「もっと成長したくないの?」と言われて、僕も薄々感じていたんですよね。その場で即決してくれるスピード感を見て、「この人たちなら僕を見捨てないな」と思った。だから、その場でサインを書いて「いきます」と言いました。
「単価を下げて逃げる」のを、やめた
——最近やめたことがある、と伺いました。
中洞さん:はい。単価の低い提案で終わらせるのを、やめました。 老後資金の問題って、本来は月3〜4万円くらい積み立てないと解決できないんです。でも保険営業は、解約されると給料を返さないといけない。だから怖くて、つい1、2万円の提案で妥協してしまう時期があったんですよ。 それって、結局は根本の解決になっていない。目標がないまま、なんとなくやっているだけなんですよね。 「単価を下げて逃げるのは、プロじゃない」——そう気づいてから、ちゃんと向き合うようにしました。
来年、経営者になる——保険の先に見ている景色
——今後の目標を教えてください。
中洞さん:大きく2つあって、ひとつは来年、COTを取ることです。世界基準上位5%のさらに上の基準です。 もうひとつは、経営です。実は、保険営業自体を長く続けるつもりはあまりありません。将来的には自分で経営に携わっていきたいと考えています。経営していくことが、僕の夢なんです。
9月から、初めての「育成」が始まる
——マネジメントの経験は。
中洞さん:それが、1度もないんですよ。ゼロなんです。 でも9月から、僕のリクルートで保険営業マンが1人入ってくれる。「中洞さんと一緒にやりたいから入る」と言ってくれて、もう進むしかない。 その子を育てて、僕以上の力をつけてもらえたら、きっと楽しい会社が作れる。いまはそこに向けて、勉強しているところです。
——AIやツールの活用は、得意ですか。
中洞さん:いや、めちゃくちゃ苦手なんですよ(笑)。機械も事務作業も、本当にできません。 昭和というか……。やりたいことで能力を伸ばすのが好きなタイプなので、そこは正直、これから誰かに助けてほしい部分でもあります。
「わがままで、いてほしい」——同世代へ
——同世代の若者に、伝えたいことは。
中洞さん:とにかく、わがままでいてほしいです。 僕は陸上でも、社会人1年目でも、本当は意見があるのに言わないようにしていた。それで、「言えばよかったな」と思ったまま終わってしまったんですよね。 だからこそ、自分の意見はぜんぶ言ってほしい。尖っていると思われても、たとえ失敗しても、それは絶対あとから生きてくる。 自分のことを信じて、前に進む。 周りに何かを与えられる、そんな"わがままな人"になってほしいと思っています。
人に頼らず、ゼロから1を立ち上げる力。お客様を楽しませ、人脈ごと還元していく営業。その原点には、意見を飲み込んできた過去への悔しさがあった。だからこそ中洞さんは、次の世代に「わがままであれ」と背中を押す。挫折を糧に、営業から経営へ——彼の物語は、まだ始まったばかりだ。
会社概要 事業内容:GP innovationの保険代理店として、個人向けの保険営業を展開
取材・文:佐藤大遥(株式会社One Rep)
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