2026.05.09 / ぶち上げインタビュー
【ぶち上げインタビュー】ウグイス嬢/SNSプロデューサー 宮崎七海さん 「女のくせに、で片付けられる世界を変えたい」野球を入口に、挑戦の場をつくる人。【人生ぶち上げch】

「誰かに頼る人間より、頼られる人間になりたい」 兵庫県姫路市生まれ。4歳のときに父と離れ離れになり、母と兄、祖父母と暮らした幼少期。お金に困っていたわけではない。けれど、誰にも甘えられない空気のなかで、彼女は早くから「自分で稼ぐ力を身につけないといけない」と覚悟を決めていた。
この記事の要点
- 01けれど、誰にも甘えられない空気のなかで、彼女は早くから「自分で稼ぐ力を身につけないといけない」と覚悟を決めていた。
- 02「男だから/女だから、ではなく、フラットに評価される場をつくりたい」野球界での原体験が、彼女の挑戦の原点になっている。
- 03こうやって自分を大事にしながら、いろんなことに挑戦できるようになったのは、両親がどんな選択をしても、ずっと応援してくれたからです。
※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。
「誰かに頼る人間より、頼られる人間になりたい」
兵庫県姫路市生まれ。4歳のときに父と離れ離れになり、母と兄、祖父母と暮らした幼少期。お金に困っていたわけではない。けれど、誰にも甘えられない空気のなかで、彼女は早くから「自分で稼ぐ力を身につけないといけない」と覚悟を決めていた。
高校・大学では野球部のマネージャーとして7年間グラウンドに立ち、引退後は大学職員として就職。安定したキャリアレールに乗ったかに見えたが、わずか4ヶ月でその道を降り、単身上京する。フリーランスとしてアナウンス業、マネージャー育成業務、SNS運用、学生コミュニティ運営の4つを軸に活動を広げ、来月にはアパレルブランドも立ち上げる。今年で活動9年目。年内には法人化も予定している。
「男だから/女だから、ではなく、フラットに評価される場をつくりたい」野球界での原体験が、彼女の挑戦の原点になっている。今回は、そんな"看板を持たない"道を選んだ彼女の半生と、これから描くビジョンについて伺った。
活動名:宮崎七海さん
役職:フリーランス(MC・SNSプロデューサー・コミュニティ運営)
氏名:ななみ Instagram:@nanami.baseball
「お父さんがいないから」——幼少期に染みついた、自立への覚悟 4歳で父と離れ離れになった日。祖父母との暮らしと、押し殺してきた感情
——まず、ななみさんの幼少期から教えてください。
ななみさん:兵庫県の姫路出身です。父と母、2つ上の兄との4人家族だったんですが、私が4歳のときに父と離れ離れになったんです。当時はまだ実感がなくて、「お父さんが当分いなくなるんだ」くらいの感覚でした。 ただ、母が祖父母と話している姿を見ていて、「これは聞いちゃいけないことなんだろうな」って、幼いながらに気を使っていた記憶はありますね。毎週日曜日には父と会えていたんですけど、それも当たり前のことではないんだと、なんとなく察していました。
——おじいさま、おばあさまの存在も大きかったそうですね。
ななみさん:はい。母がシングルになって働き続けていたので、ほとんど祖父母に育ててもらっていた感覚です。毎週土日は祖父が遊んでくれて。でもあるとき祖父が倒れて、集中治療室に2年間入ったまま、目を覚まさずに亡くなってしまったんです。 その後、母が再婚して、新しいお父さんができたんですけど。そこから普通の家族に戻るんですが、小さい頃から「お母さんに育ててもらった」という感覚は、正直あんまりなかったですね。
——幼少期、つらかったことを挙げるとしたら?
ななみさん:2つあって。1つは、周りの子に「お父さんがいない子だ」って言われてないけど空気で感じとっちゃう時があったこと。お父さんがいないことでぐちゃぐちゃに言ってくる男の子とケンカして、ちょっと問題になったこともあります(笑)。それより嫌だったのは、近所のおばあちゃんに「お父さんがいないから可哀想」みたいに言われることでしたね。
もう1つは、祖父が倒れて、祖母も専業主婦だったので、家計のことを子どもながらに察してしまったこと。「祖父母も頑張ってくれてるから、わがまま言っちゃダメだ」って、自分の感情を押し殺して生きていました。 そのときに、「自分で生きていくためには、稼ぐ力を身につけないといけない」「誰かに頼る人間より、頼られる人間になりたい」って、強く思うようになったんです。
「絶対に負けたくない」——負けず嫌いで、正義感の強かった小中学生時代 兄に負けたくなくて1人で練習した日々と、いじめを止めて気づいた「人を守るやりがい」
——小学校・中学校はどんな子でしたか?
ななみさん:とにかく負けず嫌いで、気も強い子でした。 小学生の頃は、兄と遊んでいる時も野球をしている時も「絶対に負けたくない」という気持ちが強くて、1人でたくさん練習していました。 また、女の子特有の理不尽ないじめや嫌がらせを見つけると、見て見ぬふりができず、いじめている側に「しょうもないことするな」とはっきり言いに行くタイプでした。 初めていじめを止めたとき、クラスで静かなタイプの子が泣きながら「ありがとう」と言ってくれたんです。その時のことがすごく嬉しくて、気づいたら「人を守ること」にやりがいを感じるようになっていました。 今振り返ると、あの頃からそういう自分をどこか誇らしく思っていたのかもしれません(笑)。
——習い事はされていましたか?
ななみさん:小学校3年生で母が再婚してから、いろんなことをやらせてもらえるようになりました。姫路時代から兄と一緒にソフトボールはやっていて、それに加えて書道、ピアノ、英会話、塾、バレーボール……本当にたくさんやっていました。中学では部活でバレーボールを始めて。 「やりたいことを我慢しなくていい」と思える環境になったのは、母の再婚以降でしたね。
「お前は所詮、2回戦負けのマネージャーやねん」——引退式で言われた、忘れられない一言 プライドを引き裂かれた17歳の冬。次の日、自分でプロ野球の現場に飛び込んだ
——高校・大学では野球部のマネージャーをされたそうですね。
ななみさん:高校・大学と7年間、野球部のマネージャーをやらせてもらいました。私的には、人生のターニングポイントは小さい頃の経験と、大学のマネージャー時代の2つだと思っています。本当にやってよかったなって。
——一番つらかったエピソードはありますか? ななみさん:高校で引退したとき、指導者から「お前は所詮、2回戦負けのマネージャーやねん」って、みんなの前で言われたんです。スタッフで負けたわけじゃないのに、引退自体もすごくショックなのに、それを言われた瞬間、もうプライドが許さなくて。「絶対に見返してやります」って指導者に言いました(笑)。
その日の夜、家でずっと泣きながら、日本一のマネージャーとは何かとずっと考えました。 次の日には自分でプロ野球の現場で働ける運営会社を探していました。「無給でもいい、ちょっとだけでも働きたい」って連絡して、たまたまウグイス嬢の会社にお世話になれることになって。それが17歳のときです。
——10代でプロ野球の現場に出たとき、周りの反応はどうでしたか?
ななみさん:最初の現場は18歳のとき、広島東洋カープの本拠地、マツダスタジアムでの場内アナウンスでした。 案の定言われましたね。「18?何しに来てんの?」「あんな若い子が何ができるん?」って、いろんな方に。 会食に同席させてもらうと、「こんな若い子と飲めて嬉しいわ」みたいな扱いを受けることもありました。それがすごく嫌で。
「自分はキャラとして呼ばれているのか、仕事として呼ばれているのか」って、正直モヤモヤしながら過ごしてた時期です。 ただ、その経験があったから、実力で黙らせてやろうって、大学に入ってからのマネージャー活動も腹をくくれたし、卒業して大学に残るという選択肢も生まれたんだと思います。
「女のくせに、何言うてんねん」——野球界で出会った、性別の壁 男社会の前に立つことの意味と、部室の前で3人に囲まれた日のこと
——マネージャー時代、性別による壁を感じることもあったそうですね。
ななみさん:野球界に限らないと思うんですけど、女性が前に立つこと、トップに立つことに対して、すごく嫌な反応をされる方は一定数いるんです。「女のくせに、何言うてんねん」って言われることが結構あって。 ある日、他の野球部の先輩の彼女、ソフト部の先輩たちに、部室の前で3人がかりで「お前、最近ちょっと調子乗ってるんちゃうか」みたいに詰められたことがありました。私は別に悪いことしてないんですよ。
野球が好きでマネージャーをやっているだけなのに、「男がいいから」「目立ちたいから」やってるんだろうって決めつけられて。 そのときは「なんでこんな事実じゃないことで責められないといけないんだろう」って、すごくしんどかったですね。
——部員のみなさんとの関係はいかがでしたか?
ななみさん:部員のことは、本当に家族のように大事にしていました。私はどっちかというと「マネージャー」というより「組織の中で部員を預かっている人間」っていう感覚で。1日の中で部員と過ごす時間のほうが家族より長かったので、いろんな気持ちに気づいてあげなきゃいけないし、適当に接することは絶対にしちゃいけないって思っていたんです。
ただ、私は思ったことをズバズバ言うタイプなので、部員ともぶつかり合うこともあったし、大学生の部員や先輩を泣かせたこともあります(笑)。「ナナミさん、めっちゃ怖かった」みたいに言われるくらい、ケチョンケチョンに怒ったこともあって。それでも、今でも仲良くしてくれるのが本当にありがたいなって思います。
大学職員、4ヶ月で退職——「9時出社、17時退社」が耐えられなかった 1年目から賞与満額、超ホワイトな環境を捨てて、上京を決めた日
——大学卒業後の進路を教えてください。
ななみさん:実は卒業後、大学にそのまま職員として残ったんです。プロ野球の球団職員も4球団からお話をいただいて、他にもメーカーやメディアからもオファーがあったんですけど、現役時代の野球部の監督から「大学に残ってほしい」と言っていただいて。お世話になった方の頼みだったので、お引き受けしました。
——大学職員のお仕事はいかがでしたか?
ななみさん:仕事内容は、現役時代に近いんですけど、もうちょっと優しいバージョンの野球部のサポートとメンタルケア。それと、自分のSNSをやっていたので、チームの発信を担当したり、大学のパンフレットや冊子に「うちにはこういうマネージャーがいます」みたいな形で掲載してもらったりしていました。 大学側からは「特に何かをしてほしいわけじゃない、名前を使わせてもらえれば」と言われていたので、業務としてはほぼ自由業務みたいな感じで。9時出社、17時退社で、大学の近くに住んでいたから17時10分には家にいるんですよ。 それが、もうありえなくて。
——マネージャー時代との落差ですね。
ななみさん:マネージャーをしていたときは、夜中の1時、2時に終わるのが当たり前だったので、「私、何してるんだろう?」「これからの人生、何したらいいんだろう」って急に分からなくなっちゃって。 待遇は本当に良かったんです。1年目から賞与満額、超ホワイト環境。安定としては最高でした。でも、「自分の人生これでいいのか」って気持ちが強くなって、4ヶ月で辞めました。
——退職を決断したとき、周囲の反応は?
ななみさん:本当にスパッと決められました。野球部の監督に「私、辞めようと思っています」って伝えたとき、止められると思ったんですけど、「いいんちゃう」って言ってくださって。「残ってほしい気持ちはあるけど、お前の人生だし、無理に止めるのは違う。お前ならどこでもやっていける」って。 その一言で背中を押されて、3ヶ月勤務+1ヶ月有給で、夏に大学を離れました。
「不安はなかった、むしろ解放された」——上京、フリーランス1年目 看板が全部剥がれた日、人脈と覚悟だけで歩き始めた
——上京してフリーランスになったとき、不安はありませんでしたか?
ななみさん:不安はなかったんですよ、本当に。むしろ「やっと解放された」って感覚でした。 私はゲームみたいな感覚で人生を捉えているところがあって、「やるかやらないか」「やり切るか」だけで決めるタイプなんです。新しい環境に飛び込んで、また壁が来たら、それを越える楽しみがある。それが楽しくてしかたなかった。
それに、17歳のときから経営者の方々にたくさん会わせてもらってきたので、人脈にはめちゃくちゃ自信がありました。「野球界の中で築いた顔だけに頼る人間にはなりたくない」って思っていたので、それ以外のフィールドを攻めていこうと決めていたんです。
——応援してくださる方々への思いもあったんですね。
ななみさん:そうですね。お世話になっている方々に「あの子、ちゃんと自分の足でやれてるな」って、かっこいい姿を見せたい。それが一番のモチベーションでした。
「人間関係が整理されていった3年間」——変わるとき、必ず誰かが離れていく 「お前、お金持って偉そうになったな」と言われた日に気づいたこと
——フリーランスになってから、苦労したことはありますか?
ななみさん:当初は本当に必死で、ただただやっていた感じです。大変だったのは、人間関係が整理されていったこと。「前までの感じがなくなった」「お前、お金持って偉そうになったな」って言われることが結構あって。 でも、それってきっと避けられないんですよね。3年目を迎えて思うのは、「人として、仕事として、まだまだ足りないところはあるけど、こんなところからこんなお仕事につながるんだ」って驚くことが本当に多いんです。仕事を取りに行こうと思って会っていなかった相手から、3人もお仕事につながった、みたいなこともあって。 その積み重ねが、自分の中ではすごく面白いし、素敵な世界だなって思っています。
現在の事業——MC、マネージャー育成、SNS運用、学生コミュニティ、そしてアパレル 9年目のアナウンス業から、来月立ち上げるブランドまで
——現在のお仕事を改めて教えてください。
ななみさん:大きく4つの事業を運営しています。 1つ目がアナウンス業。 ウグイス嬢としては今年で9年目になります。プロ野球イベントのMC、企業イベントの司会、ブライダルMCなど。自分が現場に立つだけじゃなく、MCを目指す方たちに現場経験を積んでもらうための派遣もやっていて。あとは、アナウンスの講習会も定期的に開催しています。
2つ目がマネージャー育成業務。 東海大学九州キャンパス硬式野球部にて、マネージャー育成・広報アドバイザーとして外部指導者をやっています。主務やマネージャーの育成、SNSの運用、そして広報活動から連盟の運営指導まで、幅広く行っています。 3つ目がSNS運用代行。 野球教室や野球チームのSNSを運用するお仕事です。 4つ目が学生コミュニティの運営。 お世話になっている方と一緒にやっているもので、学生さんが進路でも、人間関係でも、恋愛でも、何でも相談できる場です。私の人脈の中でつなげられることがあれば、つなぐ。指導者・アドバイザーという立ち位置ですね。
——来月から新しいチャレンジもあるとか。
ななみさん:はい、自分のアパレルブランドを立ち上げます。何か育てていきたいなって思いがあって、その手段としてアパレルブランドを選びました。 いつも尊敬してくれる学生の皆さんやファンの方々に「マネージャーも主役なんだよ」っていうのを、ブランドという形で示していきたい。 詳細はこれから発表していきます。
「自分に嘘をつきたくない」——これからの展望 男女平等を、口だけじゃなく形にしていく
——今後の展望を聞かせてください。
ななみさん:私はこれから、自分に嘘をつきたくないんです。誰もいなくても「絶対に誰かが見ている」って思っているので、自分に正直に生きていたい。マネージャー時代は自分のことを後回しにして大事にしてこなかった分、これからは自分が思うことを全部やってやろうって思っています。貪欲に、欲張りに生きていきたい。 それと同時に、誰かのために何かをするのが大好きな人間なんです。求めていなくても、巡り巡って自分に返ってきた経験が今までの人生でめちゃくちゃあったので。
——その先に見えているビジョンは?
ななみさん:野球界での経験から、女性が前に出ることに対するハレーションを何度も浴びてきました。「男だから偉い」「女が同じことをして評価されるのは女だから」みたいな目線、私は本当に好きじゃない。男女平等って言うんだったら、本当に男女平等であるべき。 だからこそ、女性のキャリア形成のきっかけになれるような活動を、野球を入口にしてやっていきたい。そして、私を育ててくれた野球に、シンプルに恩返しをしたい。 兄ともよく話すんですけど、私たちは小さい頃に父と離れ離れになったり、いろんな経験を「与えられて」きたんです。その経験があるから挑戦できる人間になれた。だったら、その挑戦の場を自分で作っていきたい。 年内には法人化も予定しているので、これからも一つひとつ、立ち向かっていきます。
読者へのメッセージ 「つらいことが起きたら、ラッキーと言ってみてください」
——「人生ぶち上げch」を読んでくださっている、成長意欲の高い方々へメッセージをお願いします。
ななみさん:一つひとつの出来事に、絶対に意味があると思っています。つらい経験ができるのも、今の自分だから。「こういう試練があるんだ」って、楽しいと思った方が絶対にいいです。 うまくいかないときは、私も17、18歳の頃にもありました。「2回戦負けのマネージャー」って言われたとき、「なんだよそれ」って思ったときもあったんですけど。 でも、これは経験できるだけで幸せだし、小さな幸せとか感謝とかがなくなると、人間は絶対にダメになっちゃうって思っているんです。だから、つらいことがあったときこそ「ラッキー」「ありがとう」って、誰にかは分からないけど、口に出して言ってみてほしい。 それを進めていけば、絶対にうまくいくと思います。私自身、今までの人生で「これだからうまくいく」みたいな決定打があったわけじゃない。ただ、目の前のことに本気で取り組んできたら、ここまで来られた。それが私からのメッセージです。
——最後に、ご家族・身内の方へ一言。
ななみさん:本当に家族には、めちゃくちゃ感謝しています。母にはずっと「申し訳ない」って言われていたんですけど。 こうやって自分を大事にしながら、いろんなことに挑戦できるようになったのは、両親がどんな選択をしても、ずっと応援してくれたからです。これからも、もっといい景色を見せられるように頑張るので、楽しみにしていてください。 「お母さんはもう十分やってくれたから、自分のことを大事にしてね」って、伝えたいです。
取材・文:株式会社One Rep 河本龍真
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