2026.04.24 / ぶち上げインタビュー
【ぶち上げインタビュー】「心配するな、俺がついてる」——書類選考を無くし、日本の人材業界を変える漢 株式会社ハミダシ 代表 松田崇冬さん【人生ぶち上げch】

佐賀の港町育ち、柔道一筋だった少年が、船乗り・ITと渡り歩き、「ヤンキー転職」を立ち上げた。 福岡を拠点に人材紹介・飲食・イベント業を展開する株式会社ハミダシの代表・松田さん。SNSでは「ヤンキー転職」の顔として福岡の街を歩けば指をさされるほどの知名度を誇るが、もとは誰もその名を知らなかった。そんな漢の人生に迫る。 佐賀県唐津市に生まれ、中学から始めた柔道で
この記事の要点
- 01佐賀の港町育ち、柔道一筋だった少年が、船乗り・ITと渡り歩き、「ヤンキー転職」を立ち上げた。
- 02福岡を拠点に人材紹介・飲食・イベント業を展開する株式会社ハミダシの代表・松田さん。
- 03親父が高校時代に柔道をやっていて、結果も残していて、それで僕に「やれ」ってハッパをかけてきたのがきっかけです。
※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。
佐賀の港町育ち、柔道一筋だった少年が、船乗り・ITと渡り歩き、「ヤンキー転職」を立ち上げた。
福岡を拠点に人材紹介・飲食・イベント業を展開する株式会社ハミダシの代表・松田さん。SNSでは「ヤンキー転職」の顔として福岡の街を歩けば指をさされるほどの知名度を誇るが、もとは誰もその名を知らなかった。そんな漢の人生に迫る。
佐賀県唐津市に生まれ、中学から始めた柔道で県大会上位入賞を果たしながらも「柔道で飯は食えない」と見切りをつけ、船乗りの短期大学へ。20代前半には高級車を手にし、安定した船乗り生活を謳歌するも、26歳で突如退職。転職活動→半年で管理職→社内独立という異色のキャリアを駆け抜け、現在「書類選考廃止・ペーパーレスの人材業界」を目指して走り続ける。
「書類の向こうに人間がいる」——その信念を武器に、くすぶる若者たちの背中を押し続ける松田さんの人生に迫った。
1. 「誰にでも平等にチャンスがある社会へ」——日本の人材業界を変える、その覚悟
ヤンキー転職とは何か。どんな人たちのために動いているのか。
——まず、ヤンキー転職について教えてください。どんな事業ですか?
松田さん:有料職業紹介、いわゆる人材紹介がメインです。ほかにも飲食店やイベント業、SNS活動も合わさって今の「ヤンキー転職」という媒体になっています。キャリアドバイザーは今のところ社内では僕一人で、候補者さんの方々と1対1で向き合っています。
——どんな方が相談に来られるんですか?
松田さん:現場でバリバリ働いているのに給料が全然上がらなくてくすぶっている人。大学を家庭の事情でやめざるを得なかったけど、その後どうすればいいかわからない人。「何かしなきゃとは思うんですけど、やり方がわからない」って人が多いですね。相談というか、もうゼロから「何をやりましょうか?」のレベルからスタートすることもあります。
2. 「欲しいものがギリ買ってもらえない家庭」——佐賀の港町で育った少年
柔道との出会いと、最初の挫折
——松田さんの出身や幼少期について聞かせてください。
松田さん:佐賀県の唐津市っていう港町の出身です。うちは裕福でもなく、かといってすごく貧しいわけでもなく——欲しいものがあってもギリ買ってもらえないくらいの家庭でしたね。父親が橋の点検・整備をやる土木系の専門職で、母親が介護職。共働きでした。
——小学校時代はどんなお子さんでしたか?
松田さん:クラスの前線でわーわー言うタイプで(笑)。一部の子からは一線引かれてたと思います。地元は治安がよかったかって言われると、そうでもないですね。中学から酒・タバコは当たり前みたいな感じで、後々半グレになった仲間もいましたし。
——柔道はいつから始めたんですか?
松田さん:中学からです。親父が高校時代に柔道をやっていて、結果も残していて、それで僕に「やれ」ってハッパをかけてきたのがきっかけです。やってみたらけっこう強くなっていって。最終的には県大会で上位入賞できるくらいまでいけた。「俺、強いじゃん」ってなりましたよね。
——その後、高校は?
松田さん:柔道の名門校に進みました。佐賀市の高校で、地元から電車で1時間半くらいかかるところです。俺ここでてっぺん取るわ、って意気込んで行ったら——先輩たちにゴリゴリにやられて、「俺って大したことないんだな、、」と現在地を知らされました。それが人生で初めての挫折でしたね。
3. 「柔道で飯は食えない」——夢を探して選んだ、海の仕事
5校からのスポーツ推薦を断った、26歳の決断
——高校を卒業してからのキャリアを教えてください。
松田さん:高校では柔道だけやっていて、勉強は一切やってなかったので(笑)。大学からは4〜5校くらいスポーツ推薦のオファーが来てたんですけど、全部断って、愛媛の船乗り養成の短大に進みました。寮生活で2年間過ごしましたね。笑
——なぜ柔道推薦を断ったんですか?
松田さん:柔道で飯食えないだろうって思ったから、それが一番です。見渡してみると、柔道の選手って最終的に先生やったりしながら副業として柔道やってる人ばかりで。じゃあ柔道1本で稼ぐって無理だなと。それなら、今の自分が背伸びしてもちょっと届くくらいの、稼げる仕事を選ぼうと思ったんです。
——船乗りを選んだのはどういう経緯だったんですか?
松田さん:柔道を俺から取ったら何が残るんかな、って考えたとき、何も残らないなってなって。夢を探そうってなったとき、ちょうどワンピースが流行っていたので(笑)。海賊王になるわ、って。まあ本当にミーハーな動機なんですけど、フェリーの運転手として20歳から26歳まで6年間、船乗りをやりました。
——船乗り時代の収入は?
松田さん:手取りで30万あるかないかくらいですが、船乗りの特権で、20日間は船の上にいて陸には10日間しかいないんですよ。だから実質、10日間で30万使えるっていう感覚で。皆さんの感覚でいくと、月90万くらいの手取りに近い使い方ができていたと思います。23歳のころには1,300万くらいかけてBMWに乗っていましたし、一人暮らしで広い家に住んで、バイクにも乗って。何不自由ない生活でしたよ。
4. 「上司の未来を見てしまった」——安定を手放した、26歳の決断
コンフォートゾーンから抜け出すきっかけ
——そんな恵まれた環境をなぜ手放したんですか?
松田さん:上司の話を聞いたからです。俺が高校時代に夢を追いかけて、寝る時間を削って練習していたあの感覚——今の俺には全然ないな、かっこ悪いなって思っていたところに、上司から「お前も嫁と子供できたら今みたいな生活はできなくなるぞ。車売って、家を引っ越して、バイクも手放して、俺みたいに小遣い数万で軽自動車乗ることになるから」って言われたんです。
それを聞いたとき、だったらやめればよくないって思いました。ただダラダラ仕事をしている自分がかっこ悪い、っていう気づきと、その上司の言葉が重なって。辞めることを決めました。
——大きな決断だったと思いますが、不安はありましたか?
松田さん:漠然と独立したいっていう気持ちがずっとあったので、むしろ退職してからずっとワクワクしています。雇われる身をやめてから、挫折とか、そういう感覚は一切ないですね。
5. 「半年で管理職、それでやめた」——独立へ向けた最短ルート
船乗り→IT系→社内独立という異色のキャリア設計
——辞めてからの転職活動はどうでしたか?
松田さん:2ヶ月間のんびりやって、20社くらい書類を出して、面接まで進んだのが2社。そのうちの1社に2ヶ月後に入社しました。PayPayの企業登録情報を確認・修正するIT系の会社です。
——なぜ半年でやめたんですか?
松田さん:半年で管理職のポジションを任されて、「それがその部署の一番上です」って言われたんです。もうここで学べることはやり切ったな、と。「半年で管理職になった」っていう称号も手に入れた。だったら、いよいよ独立のタイミングだろうって。
——その後の流れを教えてください。
松田さん:ITの仕事をやりながら独立の準備を進めて、友人が立ち上げた会社に専務として参加しました。創業メンバーみたいな形です。そこで3年ほどやって、4年目に株式会社ハミダシとして社内独立しました。今はゼロクエストホールディングスというグループの傘下で毎日全力で候補者の方に向き合っています。
6. 「履歴書で落とすな」——人材業界の風習を変えるという使命
ペーパーレスの採用が、日本を変える
——ヤンキー転職という名前に込めた想いは何ですか?
松田さん:日本の人材業界の風習を変えたいんです。頑張っているやつが後ろ指さされる雰囲気って、日本にすごく多いじゃないですか。勉強頑張ってたら「ガリ勉」、部活一筋だったら「勉強できないから」って言われる。社会人になっても、学歴がないからとか、見た目が奇抜だからって、書類だけで「ダメだ」ってはじかれる。
見ず知らずの面接官に、自分のことを評価されてNG扱いされる——それはおかしいと思っていて。人の目で見て、自分の耳で聞いて判断しないと、人間性なんてわからないはずです。だから僕は、最終的にはこの業界をペーパーレスにしようと動いています。
——それが「ヤンキー転職」というブランドに込められているんですね。
松田さん:そうです。学歴も見た目も関係ない。うちの社員、中卒もいますし、大学中退もいます。僕と一緒に働きたいって言ってくれる人、うちの理念に共感してくれる人なら誰でもいい。「俺の目で見て判断する」というのが一番の軸ですね。
7. 「何者でもなかった俺が、何者かになれた」——くすぶる若者へのメッセージ
「ビビるな」という言葉の真意
——今まさにくすぶっている若者、松田さんが26歳のときに船乗りをやめるかどうか迷っていた。そんな悩める状態にいる人へ、どんな言葉をかけますか?
松田さん:ビビるな、それしか言えないですね。やっぱり人間って、何かしようとするときに安定に引っ張られるんですよ。今の仕事辞めたら収入がなくなるとか、次の職場が自分に合うかどうかわからないとか、不安要素がどんどん出てきます。でも、やってみないとわからないし、好きこそものの上手なれって言葉があるじゃないですか。本当にやりたいことならうまくいくし、どんな環境に置かれても花を咲かせられる人間になれよ、って。
——過去の自分に声をかけるとしたら?
松田さん:「遅い」って言いたいですね。船乗りを6年やったけど、業務は3年でほぼ覚えていて、そこからの3年は惰性でやっていただけでした。その3年間、もったいなかったぞ、って。今みたいに動けていたら、もうひとつ先のステップに行けていた。唯一、過去の自分に声をかけるとしたらそれくらいです。
——最後に、自分の人生に悩める方へ一言お願いします。
松田さん:何者でもなかった僕が、今は街を歩けば指さされるくらいの知名度がついてきました。でも俺も、もともとは誰も知らない人間でした。そんな俺でもここまで来れた。だから「心配するな、俺がついてる」それだけです。
8. 「10年でグループ1000人規模へ」——はみ出した先にある未来
全国展開と、仲間と飲む酒のために
——今後の展望を教えてください。
松田さん:グループ全体で10年で1000人を目指しています。うちの会社はまだ1期目なんですが、同じグループの会社が今年で4期目に入っています。事業は今4つあって、人材紹介、飲食店、イベント業、SNS活動。全国各地に拠点をつくって、それぞれを全国展開していくのが当面のビジョンです。
——仲間への思いは?
松田さん:社員総会をやりたいんですよ。何百人、何千人規模でみんなを集めて、「よくやった」ってみんなでうまい酒を飲んで、うまい飯を食う。それをやりたいがために走っている部分もあります(笑)。
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取材・文:河本龍真(株式会社One Rep)
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