2026.06.28 / ぶち上げインタビュー
【ぶち上げインタビュー】「自分の一時間の価値を、もっと考えてほしい」——訪問販売の最前線で、くすぶる学生に"稼げる場所"を差し出す21歳株式会社FUKULINK 代表取締役 金子 直央さん

株式会社FUKULINKは、訪問販売を主軸にしたBtoC営業の会社だ。代表の金子 直央さんは、東洋大学準硬式野球部(東都大学準硬式野球連盟1部)のエースとして白球を追ってきたが、2026年6月に引退。現在は経営にフルコミットし、5人ほどのメンバーを率いて事業を伸ばしている。以下、金子さん。 福島市に生まれ、幼稚園の卒園を目前に東日本大震災を経験。商業高校で「
この記事の要点
- 01商業高校で「経営コンサルタントになりたい」という輪郭をつかみ、親の反対を押し切って上京した。
- 02その経験があるから、同じように「お金がないことによって何かを諦めた人」や「くすぶってる学生」、「何者かになりたい若者」に挑戦できる、稼げる環境を作りたいと考えたからです。
- 03また、toBの営業だと、日中に授業の多い学生では取り組めず、諦めてしまう理由になってしまいます。
※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。
東洋大の元エースが、グラウンドを降り、いまは経営にフルコミットしている。
株式会社FUKULINKは、訪問販売を主軸にしたBtoC営業の会社だ。代表の金子 直央さんは、東洋大学準硬式野球部(東都大学準硬式野球連盟1部)のエースとして白球を追ってきたが、2026年6月に引退。現在は経営にフルコミットし、5人ほどのメンバーを率いて事業を伸ばしている。以下、金子さん。
福島市に生まれ、幼稚園の卒園を目前に東日本大震災を経験。商業高校で「経営コンサルタントになりたい」という輪郭をつかみ、親の反対を押し切って上京した。焼肉店のアルバイトから営業の世界に飛び込み、テレアポ、M&A仲介の営業を経て、2025年11月に自分の会社を立ち上げた。21歳の一期目だ。
掲げるのは、「学生に稼げる環境を」「いつか福島に恩返しを」という二つの旗。順風満帆に見える今の手前には、いじめ、挫折、成果ゼロの一か月があった。その全部をくぐってきた金子さんに、これまでの道のりとこれからを聞いた。
会社名:株式会社FUKULINK 役職:代表取締役 氏名:金子 直央(かねこ なお)
まずは、いま手がけている事業から
——いま、どんなお仕事をされているんですか?
金子さん:BtoCの通信事業や不動産の賃借・売買仲介、地方で学生と企業様をお繋ぎするイベントなどを行っています。メンバーは、地元のメンバーや、SNSを見て入ってきてくれる子、居酒屋などでたまたま出会った学生と話していたら、やりたいです!!と飛び込んできてくれる子もいます。
"稼げる場所"をつくるという発想
——なぜ「訪販の会社」だったんでしょう?
金子さん:一番は、若い世代が稼げて、学生の時以上に熱中できてワクワクできる環境をつくりたかったからです。自分がテレアポから営業を覚えて、学生のうちに学業と部活を両立しながら、普通の会社員の3〜4倍は稼げるようになった。その経験があるから、同じように「お金がないことによって何かを諦めた人」や「くすぶってる学生」、「何者かになりたい若者」に挑戦できる、稼げる環境を作りたいと考えたからです。
高校まで本気で部活をやってきたのに、大学に入ってなんとなく過ごしてしまう子っているじゃないですか。部活や学業と両立して取り組める働き方だし、頑張った分だけ返ってくる。学生でも結果を出せる場所をつくりたかったんです。
また、toBの営業だと、日中に授業の多い学生では取り組めず、諦めてしまう理由になってしまいます。より多くの学生にきっかけを与えるために、あえて平日の日中の時間に縛られにくいtoCの営業を選びました。
「焼肉屋のシフトに人生を握られるのが嫌だった」——上京とアルバイトの日々
時給に見合わない、という違和感
——上京して、最初はアルバイトからだったと聞きました。
金子さん:実家がそんなに裕福じゃなかったので、上京した時点で家賃も生活費も自分で払わなきゃいけなくて。最初は焼肉屋でバイトしてました。時給は1,000円ちょっと。
でも働いているうちに、「この業務量に対して、この給料は見合ってないな」って思うようになって。飲食ってシフトを削られたら収入が一気に減るじゃないですか。自分の生活を他人のシフトに握られるのが、すごく嫌だったんです。月に最低でも10万は稼がないと家賃も払えない。このままじゃダメだと思って、求人アプリで営業の仕事を探しました。
はじめての営業
——そこで見つけたのがテレアポだったと。
金子さん:そうです。求人広告のテレアポでした。完全に未経験から。営業ってものを、そこで初めてやりましたね。
30日間、成果ゼロ——「なんで俺だけ獲れないんだろう」
6月30日に、はじめて1件
——営業を始めて、最初はどうでしたか?
金子さん:最初の一か月、成果がほぼゼロだったんですよ。周りは普通にアポを獲り、成約までしているのに自分だけ獲れない。「なんで俺だけ」って、いろんな人に聞きまくって、それでも出なくて。きつかったですね、あの30日は。
初めて1件獲れたのが、6月30日。月の最終日でした。そこからちょっとずつ上がっていった感じです。
厳しい管理者と、トークスクリプト
——途中で伸び方が変わった、と。
金子さん:管理者が変わったタイミングがあって。これがめちゃくちゃ厳しい人で、トークスクリプトを一言一句変えるなって。架電中もモニタリングされていて、喋っている最中に後ろから「違う」って聞こえてくる(笑)。毎日ピリピリしていて、正直「今日は行きたくないな」って思う日もありました。
でも、その人のもとでアポの取り方、見込みの作り方、見込みの捕まえ方を全部やり直したら、一気に伸びたんです。最終的には時給プラスインセンティブで、月100万くらいいただけるようになりました。初めて口座に振り込まれたときは、気持ちよかったですね。
「お金がないことで、選択肢を奪われたくなかった」——上昇志向の源
家庭環境という原体験
——その上昇志向は、どこから来ているんでしょう?
金子さん:根っこは家庭環境だと思います。実家が裕福じゃなくて、お金がないことで選択肢を奪われる経験がすごく多かったんですよ。中学校も強豪のシニアやクラブチームでやりたかったけれど、親の時間とお金による不自由から、中学校の部活に所属していました。高校も強豪の私立に行き、野球をしたかったが、金銭的に厳しいことから県内の1番野球の強い公立校へ進学しました。
そんな経験から、両親のことは好きですし関係も良好ですが、反面教師として見るようになりました。
お金で選択肢が削られるのを、自分の子どもには経験させたくない。経済的に豊かな生活をしたいという気持ちの土台は、全部そこにあります。だから貯蓄も堅実なほうで、稼いだお金は浪費せず残高が増えていくのが嬉しいタイプですね。
進学も、半ば強行突破だった
——大学進学のときは、どんな心境でしたか?
金子さん:商業高校だったので、就職と進学が半々くらいの環境でした。親には「学費は出せないから働け」と言われていて、行くなら近くの国公立、という条件で。最終的に、国公立と同じ学費で通える東洋大学のイブニングコースを見つけて進学しました。
福島に残る選択肢もあったし、東京に出るのは正直怖かった。でも、自分の人生を考えたときに「このタイミングで東京に行かないと絶対に後悔する」と思って。学費は自分で払うから、と半ば押し切る形で上京しました。
いじめ、厳しい監督、そして震災学習——一番きつかった時期に救われたこと
「明日、生きたくても生きれなかった人がいる」
——これまでで、一番きつかった時期を聞かせてください。
金子さん:金子さん:小学5,6年生の頃です。クラス内でいじめられていたことや、当時やっていた野球も、すごく厳しい監督のもとでこの時期からピッチャーを始めてチームを勝たせることができず、本当にしんどくて。正直、生きているのが辛く、自殺しようかと考えていた時期がありました。
そのときに思い出したのが、東日本大震災での経験でした。福島で育ったので、東日本大震災のことは小さい頃からずっと学んできて。明日を生きたくても、生きられなかった人がたくさんいたんだって、改めて気づいたんです。そう考えたら、「俺はその人たちの分まで一生懸命生きないといけないし、人生を楽しまないといけないな」と思えて。あの学びに、ある意味救われたんだと思います
福島という原点
——福島への思いにもつながっているんですね。
金子さん:はい。福島は震災の被害だけじゃなく、原発の風評被害もある中で、それでも地域を盛り上げようと頑張っている人がたくさんいる土地なんです。そういう企業さんや地域に、いつか恩返ししたい。高校生のときに、漠然とそう考えるようになりました。
ヨーロッパ二週間——「モノより、経験に投資したい」
貯めるけれど、使うときは使う
——堅実に貯めるタイプとのことですが、思い切って使った経験はありますか?
金子さん:高いモノが欲しいというのはあまりないんですけど、経験には投資したい派で。一度、兄と二人でヨーロッパに2週間行きました。イタリア、フランス、バチカン市国。イタリアが一番よかったですね。
本当は一人で行きたかったんですけど、海外が初めてで、飛行機の乗り方すらわからなくて怖くて。8歳上の兄に「旅費を半分出すから一緒に来てほしい」と頼んで。結局、兄の分も含めて60万くらいかかりましたけど、行ってよかったです。営業をやっていなかったら、たぶんあの旅もできていなかった。
「自分で、納得できる組織をつくりたい」——独立という決断
経験を重ねて見えてきたこと
——独立を決めたのは、どんな思いからだったんですか?
金子さん:テレアポのあと、M&A仲介の営業を7か月ほどやって、その後いくつかの環境で営業や人材の仕事を経験しました。そうやって現場を見ていく中で、「この働き方では、一緒に働く人が幸せになれないな」と感じる場面があったんです。
それなら、自分が納得できる組織を自分でつくろうと思って。ちょうどそのタイミングで、いまの事業のきっかけになる人との出会いもあって、独立に踏み切りました。学生でも、日中に学校へ行きながら挑戦できる。くすぶっている学生にチャンスを渡せる。そういう会社にしたかったんです。
騙された人を、減らしたい
——会社をやる理由は、ほかにもあると伺いました。
金子さん:上京したての頃、僕自身が危うく詐欺に引っかかりそうになったんです。SNSのDMで勧誘されて、価値のない高額な商材を買わされそうになって。兄に相談して止めてもらえたから助かったけど、相談できる人がいなかったら、学生なんて簡単に騙されてしまう。
そういう学生を減らしたいし、何より、稼ぐことで人生の選択肢を増やしてほしい。営業をやっていなかったら出会えなかった人にもたくさん会えた。だから、もっと学生に挑戦してほしいんです。
福島へ、下ろす——一期目に描く未来図
東京で土台をつくり、地方へ広げる
——今後の展望を教えてください。
金子さん:まずは売上1億を目指しています。その中で、社内の従業員の平均月収40〜50万まで持っていくつもりです。人生を変えたい、何者かになりたいならFUKULINKに行けば間違いないと言われる会社にします。ただ、組織としてはまだまだ成長途中で、規模感をもっと増やしていきたいです。新人の子が入ってきて、成長できる環境はあるので、これからその子達をどれだけ幸せにできるかだと思います。
これからは東京だけでなく、地方でも学生や新社会人と企業を繋げるようなイベント・事業なども仕掛けていく予定です。また、福島でもプロスポーツチームさんと共同して地方創生に繋げる活動をしていきます。福島は10〜20代の県外流出が全国でも多い地域で、ワクワクして働ける場所や、起業という選択肢の認知度がまだ低い。そこを変えるために、地元の企業や地域に恩返しできる事業も増やしていきます。
一緒に走る仲間に求めること
——どんな人と働きたいですか?
金子さん:周りよりも自由な人生を生きたい人、稼ぎたい人、素直な人や周りのために動ける人、社会に対してより多くの幸せを届けたい人ですね。今後、地方にも多くの幸せを届けるために活動していくので、地方創生に興味がある方は、全員、自分に連絡してきてほしいです。
将来は、頑張ってくれた従業員を海外に連れて行くのが夢なんです。パリの凱旋門から見た景色が本当によくて、いつかメンバーと一緒にあそこに立ちたい。それも、僕の目標の一つです。
読者へのメッセージ——「一歩目を、どう楽に踏み出すか」
自分の価値を、自分で決めつけない
——これから何かを成し遂げたい読者へ、一言お願いします。
金子さん:結局、人間って踏み出す一歩目に一番労力がいる生き物なんです。でも、その一歩さえ踏み出せば、あとは慣性の法則で進んでいける。だから、「一歩目をどう楽に踏み出すか」を考えてみてほしい。勇気が出ないなら、いろんな人に頼ればいい。
あとは、自分の価値をもっと考えてほしいですね。たとえば月25万で週5日働いているなら、月の20日間を25万で売っているということ。本当に自分は時給1,200円の人間なのか?って。自分の一時間の価値は、もっと変えられると思うんです。
部活をやっている学生も、「部活があるから」で止まらずに、インターンや営業に一歩踏み込んだほうがいい。しんどいとは思うけど、絶対に人生はよくなる。一緒に頑張りましょう。
僕と出会ってから3ヶ月後には、見る世界が変わってきます。少しでも何かを変えたいと思ったら、連絡してきてください。
取材・文:河本龍真(株式会社One Rep)
ぶち上げch noteインタビュー希望の方はこちら
人生ぶち上げch出演希望の方はこちら
この会社が気になったら
この会社に興味があります
読み込み中…



