2026.05.04ぶち上げインタビュー

ぶち上げインタビュー「分厚い人生をつくりたい」——平凡な田舎者が、決断と直感で切り拓いた広告マーケの最前線 株式会社Straxis 代表取締役 藤田雄也

「分厚い人生をつくりたい」——平凡な田舎者が、決断と直感で切り拓いた広告マーケの最前線 株式会社Straxis 代表取締役 藤田雄也

兵庫県の田舎町で生まれ、偏差値38の農業高校を卒業。専門学校を2ヶ月で中退してニートになり、体重45kgまで痩せ細った青年は、どうやって「広告運用会社の代表」になったのか。

この記事の要点

  • 01設立10日で10社の契約を獲得し、現在は約40社のクライアントを抱えるまでに成長させている。
  • 02「凡人でもここまで来れる」——自らをそう語る藤田雄也さんに、その軌跡と、これからの挑戦について聞いた。
  • 03——藤田さんがご自身のことを語ろうと思われた、そのきっかけから伺わせてください。

※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。

普通からの逆転劇。

兵庫県の田舎町で生まれ、偏差値38の農業高校を卒業。専門学校を2ヶ月で中退してニートになり、体重45kgまで痩せ細った青年は、どうやって「広告運用会社の代表」になったのか。

元警察官という異色の経歴を持ち、独立後は初月から月商100万円を達成。その後はスクール事業の社長として200人規模のコミュニティを立ち上げ、2025年8月に株式会社Straxisを設立。設立10日で10社の契約を獲得し、現在は約40社のクライアントを抱えるまでに成長させている。

「凡人でもここまで来れる」——自らをそう語る藤田雄也さんに、その軌跡と、これからの挑戦について聞いた。

会社名 株式会社Straxis(ストラクシス)

役職 代表取締役

氏名 藤田 雄也(ふじた ゆうや)

「凡人」だからこそ、伝えられることがある——起業家としての立ち位置

なぜいま、自分の物語を語るのか

——藤田さんがご自身のことを語ろうと思われた、そのきっかけから伺わせてください。

藤田さん:経営者って、ざっくり二つのパターンが多いんですよ。一つは、もう学歴バリバリの高学歴パターン。有名大学を出て、王道を歩んできた人たち。もう一つは、借金を抱えて、そこからの逆襲みたいな、どん底からの成り上がりパターン。

でも、僕のパターンはそのどちらでもないんです。どっちかって言うと「めっちゃ平凡な人が、ちゃんと変わっていった」というタイプだと思っていて。

だから、何か特別な才能があったわけでもないし、強烈な原体験があったわけでもない。周りに経営者が一人もいなかったし、学歴もない。最終学歴は高卒で、しかも偏差値38の高校です。そういう人が、ちゃんと会社を伸ばしていけたら、結構勇気を与えられるんじゃないかなって思っているんですよね。

「大したことない高校」から、勝ち癖が芽生えた高3の春

成功体験の入り口は、先生のひとことだった

——幼少期はどんなお子さんだったんですか?

藤田さん:本当にただの田舎者ですよ。兵庫県加古郡稲美町っていう、田んぼとため池しかないような場所で育って。缶蹴りとか、田んぼに飛び込んでファインプレーの練習とか、そういう遊びが楽しかった。

小学校はソフトボール、中学はソフトテニスをやってました。中学のソフトテニスは、弱小校だったんですけど、団体でも個人でも県大会まで行けて。ただ、めちゃくちゃ頑張ったかって言われると、別に普通に楽しくやっていただけで。

家庭環境も本当に普通ですね。虐待があるわけでもないし、ご飯が食べられないほど貧しかったわけでもない。ただの、何でもない平凡な家庭でした。

——高校時代に、大きな転機があったと伺いました。

藤田さん:はい。高校は県立の農業高校の生物工学科に入ったんですけど、もう誰でも入れるような学校で、偏差値38でした。高2までは相変わらず勉強もせず、部活もそこそこで、ただ遊んでいた時期です。

でも高3のときに、進路相談で先生に「このままだとまともな就職はできないよ」みたいなことを言われて。僕、実は結構負けず嫌いなんですよ。「馬鹿にされた」って感じて、無性に腹が立って。

それで、「じゃあ1週間だけ本気で勉強してみるか」って思い立ったんです。夜遅くまで、朝誰よりも早く教室に行って自習して。

結果、学年5位に入ったんですよね。主要科目は学年1位もいくつか取れて。

——劇的な変化ですね。

藤田さん:このときの学びが、今につながっていると思っていて。「やれば意外とできるんだ」って、本気で自分の可能性を信じられたのが大きい。

もう一つ、すごく大事なことに気づいたんです。戦う場所を間違えなければ勝てる。賢い学校に行っていたら、おそらくこの順位は取れなかったと思うんですよ。でも、自分のいる場所で上に行けば、成功体験になって、勝ち癖がつく。

後から言語化できたことですけど、「場所を選ぶ」というのは、その後の人生でもかなり意識するようになりました。

体重45kgまで痩せた、人生の底

専門学校中退からニートへ、そして警察官という選択

——その後、医療系の専門学校に進まれるんですよね。

藤田さん:はい。親が「安定が一番」というタイプだったので、神戸にある診療放射線技師の専門学校に行くことになりました。ただ、自分で決めた進路じゃなかったんですよね。「親が言ったから」「安定しそうだから」という理由で。

案の定、すぐに興味が持てなくなって、2ヶ月で辞めちゃいました。

そこからはもう、絵に描いたようなダメ生活ですね。バイトで稼いだお金はギャンブルに突っ込んで、夜は酒、昼はパチンコ。高校時代にお金を稼ぐ経験をしていたので、土方のバイトで月20万円以上稼いでたんですけど、全部ギャンブルと遊びで3日で消える、みたいな。

——体調も崩されたと。

藤田さん:そうなんです。高校のときにちょっといい成功体験を積んでしまっているから、「本当はもっとやれるはず」っていう理想と、目の前のポンコツな自分とのギャップがきつくて。

拒食症みたいになってしまって、ご飯を見ると吐き気がするんですよ。パンの耳をかじっただけで吐くような状態で。当時タバコも1日2箱以上吸っていたので、身体に入っているのは水とニコチンだけ。

身長170cmで、体重が45kgまで落ちました。骨と皮みたいな状態でしたね。

——そこから、どうやって立ち直られたんですか?

藤田さん:見かねた友人が「警察官になってみたら?」って言ってくれたんです。最初は「いやいや、自分みたいなのが受かるわけない」って思ったんですけど、その友人の紹介で現役の警察官と話す機会をもらって。話しているうちに、「あ、自分でもできそうかも」って思えたんですよね。

あとから振り返って大事だなと思うのは、ロールモデルが近くにいると、自分ごと化できるということです。あまりに遠い存在の成功話だとピンと来ないんですけど、手の届く距離にいる人が「こうやって歩んできた」と話してくれると、急に道が見える。

試験は一発目で最終面接落ち。ただそこからはもう意地で、大原(予備校)に半年通って、二度目で合格しました。

警察官としての「レール」と、組織への違和感

エリートコースを歩んでいたのに、なぜ辞めたのか

——警察官になってからは、どんなキャリアを歩まれたんですか?

藤田さん:兵庫県警で、明石、加古川、神戸エリアっていう、県内でも特に忙しい「三つのトライアングル」と言われる地域に配属されました。

ありがたかったのは、最初の上司が超優秀な刑事さんだったことですね。こういう立ち上がりで変なサボり癖がついちゃう人も多いんですけど、僕はしっかり鍛えてもらえた。そのおかげですぐにパトカー勤務にも乗せてもらって、職質や逮捕もガンガんやっていました。

昇任試験も、同期の中で一番早く一発合格して、巡査長を飛ばして巡査部長になって。警察学校を卒業するときも、学年2位でした。

自分で言うのもなんですけど、警察官としてはかなり優秀だった方だと思います。完全に「レール」を敷けていたんですよね。

——それなのに辞めようと思われたのは、なぜですか?

藤田さん:きっかけはいくつか重なっているんですけど、一番大きかったのは、オリンピックの警備派遣です。

40日間、ほぼプレハブみたいな宿舎に監禁状態で。ちょうどコロナ禍だったこともあって、外出も厳しく制限されていて、シャワーすら自由に浴びられないような環境だった。同じ時期に、妻が流産していたんです。でも、帰れなかった。

「何やっているんだろう、自分」って。すごくフラストレーションが溜まって。

それともう一つ。昇任して駐在所に異動になったタイミングで、妻が仕事を辞めざるを得なくなったんです。7年間勤めた会社を、こちらの転勤のために。手当は月7万円で、実質的に妻の仕事を奪う形になってしまう。この時代に、家族の人生まで組織に縛られる構造に、どうしても納得できなかった。

そして決定的だったのは、会社外のコミュニティで、フリーランスの方々と出会ったことです。警察とは全く違う世界の人たちと話して、「あ、こういう生き方もあるんだ」と。自分の知らない世界があると気づいてしまった。

辞める覚悟が決まってからは、早かったですね。

家賃4万円のボロアパートで、ゼロから始めた

独立初月で月商100万円、そのリアル

——退職されて、どう動かれたんですか?

藤田さん:妻と一緒に、拠点を兵庫から関東へ移しました。東京に住みたかったけど、お金がないので埼玉に。築50年超えの木造一戸建てで、脱衣所もない、洗濯機を回すと部屋が揺れるような物件で、家賃は4万円台。退職金も引っ越しでほぼ消えました。

でも、この逃げ道がないことがよかったんだと思います。もう後ろには戻れない。だから、とにかく死ぬ気で毎日SNSに投稿し続けました。

結果、退職した初月からSNS経由でクライアントを獲得できて、月商100万円を超えたんです。当時はボディメイクコーチとして、オンラインで指導するサービスでした。

——それ以降も、かなりスピード感のある歩み方をされています。

藤田さん:独立4ヶ月目くらいに、当時ライティングを教えてくださっていた方が立ち上げていたスクール事業の、社長としてオファーをいただいたんです。ほぼ箱の状態で、そこに僕がフロント、バックエンドのビジネスモデルを組み立てて、集客からセールスまで一貫して設計して。

半年で200人規模のスクールに育てることができました。都内電鉄への掲載、雑誌、新聞への掲載など、ブランディング面でも動かしていった時期です。

ただ、1年ほど経って、代表との経営方針の違いから離れる決断をしました。僕がいなくても回る仕組みはできていたので、後腐れなく。

——そこからまた、ゼロからのスタートだったんですね。

藤田さん:大阪に戻って、今度は店舗に対するマーケティング事業を始めました。これも、初月で400万円以上を受注できて、中には業界最大規模のチェーンさんも入っていました。

でも、やっていくうちに「売上を上げる」こと自体に満たされなさを感じ始めて。お金も、自分ひとりで使うぶんにはそんなに必要じゃないんですよね。僕、ギャンブルはもう完全にやめていますし、ブランドや美容にお金を使うタイプでもない。

そこで、「熱い仲間と一緒に、強い組織を作りたい」という想いが沸き上がってきて、2025年8月にStraxisを設立しました。

株式会社Straxis——戦略の中核を担う広告運用会社

設立10日で10社、今は約40社を支援

——Straxisという社名には、どんな意味が込められていますか?

藤田さん:STRATEGY(戦略)× AXIS(軸)。単なる広告運用の代行で終わるつもりは、微塵もないんです。クライアントの戦略の中核を担うという覚悟を、社名に込めています。

広告の支援だけでなく、ミーティングではセールスの話もしますし、ファネル設計やビジネスモデルそのものの話もします。これまで自分が、集客からセールス、組織運営まで全部自分でやってきた経験があるので、そこはかなり踏み込んだパートナーとしての関わり方ができる。

——設立直後から、ナショナルクライアントを含む大型案件を受注されていますね。

藤田さん:広告運用を始めて、すぐに2つの案件で結果が出たんです。

1社目は、月に1,000万円ほど広告費を使ってくださっている企業さんで、個別相談数を月60件から150件超まで伸ばせて、CPAは4万円近くから2万円を切るところまで改善できました。

2社目はナショナルクライアントの大手旅行会社さんで、14,000円のツアー申し込みをCPA1,600円で獲得、ROASは600%超え。

この実績を引っ提げて、設立10日で10社のクライアントとご契約いただくことができました。今は約40社まで増えています。

——受注の仕組みが独特だと伺いました。

藤田さん:広告業界って、正直、不透明な料金体系のところが多いなと感じていて。初期費で100万円取って、そこから成果報酬で……みたいな。僕、それにずっと違和感があったんですよ。

うちは、クライアントが成果を出したタイミングで、こちらも報酬をいただくモデルです。広告費に対する成果が出なければ、こちらも儲からない。だからこそ、本気でコミットできる。

資料も作っていないんですよ、実は。ご紹介ベースがほとんどで、直接話して、合う合わないで決めていただくので。

決断と直感——平凡な男が大事にしてきたもの

成功体験のない人ほど、直感を磨いたほうがいい

——藤田さんが人生で大事にしてきた価値観を聞かせてください。

藤田さん:一つは、決断と行動のスピードです。最初の頃は僕も遅かったんですけど、今はもうほぼ即決です。経営者って、基本的にはそうだと思う。この「決める」ことと「動く」までの速さは、本当に大事だと思います。

もう一つは、直感を磨いたほうがいいということ。論理で解決しようとしないほうがいいんですよ。論理って、結局は「今の自分のレベルの正解」を探すだけなんです。でも、自分のレベルが大したことないなら、その正解も大したことないじゃないですか。

だから、今の自分がまだまだだと感じている人こそ、直感を信じたほうがいい。直感で動いている人のほうが、絶対に伸びると思います。

——藤田さんの言葉には、とても実感がこもっていますね。

藤田さん:僕、どの時点を切り取っても、「これで楽観的に走ってるな」というところがあるんですよ。埼玉の4万円のアパートに引っ越したときも、「ダメだったら就職すればいい」くらいの感覚でしたから。

期間的楽観っていうんですかね。「最悪のケースでも、何日間で死ぬわけじゃない」と考えると、意外と動けるんです。

「分厚い人生」をつくりたい——これからの展望

経営者コミュニティで、マーケを本気で変えていく

——Straxisとして、これからどこを目指されていますか?

藤田さん:中長期的には、マーケターと経営者が集まるコミュニティをやりたいと思っています。広告を壁打ちできる場所、リアルな最新事例を持ち寄れる場所。

AIが進化している今だからこそ、一次情報を取りに行くのをサボる人が増えていると感じていて。代理店をうまく使うにしても、自社で運用するにしても、ちゃんと中身を分かっていないといけない。

僕自身、運用会社として回しているデータと、自分で所有しているコンテンツ事業のリアルな出稿データ、両方を持っているんですよね。このデータの質と量を武器に、一緒に学び合えるコミュニティを作りたいと思っています。

——個人として描かれているビジョンはありますか?

藤田さん:「分厚い人生をつくりたい」。これに尽きます。

筋肉的な「厚み」じゃなくて、「この人、人生に厚みがあるな」って感じてもらえるような人間になりたい。上場を目指しているわけでもなくて、ただ、経験として会社を創って、事業を育てて、最後まで終わらせるところまで一貫してやり切りたい。それが僕にとっての「分厚さ」なんです。

あと、僕みたいな凡人が会社をしっかり育てられたら、同じように「自分にも何かできるかも」と思ってくれる人が一人でも増えるんじゃないかなと。「藤田さんだからできるんですよ」って言われるのだけは、絶対嫌なんですよね。一段ずつ、ちゃんと歩いていきたいなと思います。

これから出会う人たちへのメッセージ

凡人が、凡人のまま切り拓ける

——この記事を読んでくださっている、若い世代や成長志向の方に一言お願いします。

藤田さん:学歴がないとダメとか、不屈の魂がないとダメとか、そういうのは本当に関係ないんです。

「凡人代表」と名乗る人でも、実は大学を出ていたり、家が裕福だったり、周りに起業家がいたりすることが多いんですよね。僕は本当に、何もないんです。学級委員長をやったこともないし、田舎で金もなかったし、パチンコ中毒の元喫煙者で。誇れるところが1ミリもない。

そんな自分でも切り拓いてこれたんだから、皆さんならもっと余裕じゃないですかって、本気で思います。

——では最後に、事業を通じてすでに藤田さんと繋がっている方々——仲間、クライアント、ご家族の皆さんへ。

藤田さん:うちの会社の関わり方は、パートナーシップなんですよ。クライアントに対しても、メンバーに対しても、うわべだけの付き合いはしたくない。損得抜きで、人生も仕事も深く関わっていきたい。

だからこそ、信頼できる人としかやらないし、そういう人との関係は本当に大切にしたいと思っています。

愛と感謝を忘れずに、いい人間でありたい。

これからも、そうやって歩んでいきたいなと思います。

項目

内容

会社名

株式会社Straxis(ストラクシス)

設立

2025年8月18日

代表取締役

藤田 雄也

事業内容

広告運用事業、マーケティング支援事業

文・取材:河本龍真

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