2026.05.06 / ぶち上げインタビュー
【ぶち上げインタビュー】「死ぬこと以外かすり傷」——借金合計1億の家から這い上がり、少数精鋭の本物の集団を創る男。JM GROUP・上田陣義さん

千年代最後の日に、心臓が一度止まりかけた状態で生まれてきた赤ん坊がいた。 借金合計1億円を背負った家庭で育ち、いじめられ、保健室登校を経験し、唯一の希望だった野球の夢も家計の事情で断たれた——。それでも「絶対に成功者になる」と決めた18歳の青年は、フィットネス業界の最底辺から這い上がり、業界大手のフィットネスクラブで全店売上No.1、史上最年少リーダーまで上
この記事の要点
- 01それでも「絶対に成功者になる」と決めた18歳の青年は、フィットネス業界の最底辺から這い上がり、業界大手のフィットネスクラブで全店売上No.1、史上最年少リーダーまで上り詰めた。
- 02前職のパーソナルジム時代に初月100万プレーヤーとなり、表彰式でゼロを経験した翌年に全店売上No.1へと駆け上がった。
- 03「正義の心で価値提供する」という創業理念を掲げ、パーソナルトレーニング、オーダースーツ、ウェルネスコミュニティ運営、愛媛の挑戦者コミュニティという4つの軸で事業を展開する。
※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。
千年代最後の日に、心臓が一度止まりかけた状態で生まれてきた赤ん坊がいた。
借金合計1億円を背負った家庭で育ち、いじめられ、保健室登校を経験し、唯一の希望だった野球の夢も家計の事情で断たれた——。それでも「絶対に成功者になる」と決めた18歳の青年は、フィットネス業界の最底辺から這い上がり、業界大手のフィットネスクラブで全店売上No.1、史上最年少リーダーまで上り詰めた。
愛媛県松山市出身。地元の高校でスポーツ推薦により野球部のレギュラーを掴み、創価大学・駒澤大学からの声もかかった青年は、進学を諦めて地元のフィットネスクラブに就職。手取り11万円の生活と理不尽の中で実力を磨き、20歳で上京。前職のパーソナルジム時代に初月100万プレーヤーとなり、表彰式でゼロを経験した翌年に全店売上No.1へと駆け上がった。
そして2026年4月、26歳でJM GROUP(Justice Mind)を立ち上げた。「正義の心で価値提供する」という創業理念を掲げ、パーソナルトレーニング、オーダースーツ、ウェルネスコミュニティ運営、愛媛の挑戦者コミュニティという4つの軸で事業を展開する。今回は、独立1ヶ月目を駆け抜けたばかりの上田さんに、過去・現在・そして掲げる未来について話を伺った。
屋号 JM GROUP
役職 代表
氏名 上田 陣義(うえだ じんぎ)
「Justice Mind」——4つの軸で価値を届ける
パーソナルトレーニングから愛媛の挑戦者コミュニティまで、全方位で人を勝たせる
——まず、現在の事業内容を教えてください。
上田さん:今、軸になっているのは大きく4つあります。1つ目はパーソナルトレーニング。ボディメイク大会出場を目指す方や、ダイエットしたい方を本気でサポートする領域です。
2つ目はオーダースーツ。ゴルフコンディショニングスペシャリストとしてゴルファーや経営者、営業マンの体のサポートをしているのですが、そこに、徹底できるテーラーとしてオーダースーツの提案を組み合わせていきます。体を整えながら、自分史上最高に決まる一着を仕立てる——そんな提供価値を作っていきたいです。
3つ目がウェルネスコミュニティ。今56名ぐらいが入ってくれていて、朝動くのがきつい人、1人で運動するのが続かない人たちが居心地よく集える場所にしたい。そこからビジネスが生まれていくような関係性も作っていきたいです。
4つ目が愛媛の挑戦者コミュニティ。愛媛で挑戦したい熱い気持ちを持った若者や、くすぶっている20代を集めて、愛媛で1番熱い場所をつくりたい。そこで繋がりを広げてシナジーを生んでいける場所を提供することで、地方創生・地域の活性化に繋げていく——そういう目的で動いています。
——「JM GROUP」「Justice Mind」という名前にはどんな思いを込めていますか?
上田さん:JMはJustice Mind——「正義の心」の頭文字です。今、パーソナル業界を見ていると、正直、昨日トレーナーデビューしましたみたいな人が1万5000円取れちゃう世界なんです。それって本当に正義なのか、その対価に見合っているのか、と。
きちんとした実力もないのに数だけ揃えて高単価を取るのは、僕は絶対許せない。だからこそ、トレーナーの質を上げて、しっかりした対価をいただける——そういう正義の心を持って事業をしていく。それが「Justice Mind」に込めた意味です。
千年代最後の生まれ、借金合計1億の家
一度心臓が止まりかけた赤ん坊と、何かしらの使命
——幼少期、というか生まれる前のエピソードから壮絶だと伺いました。
上田さん:そうですね、生まれる直前に心臓の音が一度取れなくなったらしくて。母の前にいた子は流産で亡くなっていて、やっと授かったのが僕だったんですが、その時に心臓の音がなくなって、「1週間待って戻らなかったら諦める」という状況だったらしいんです。それで何とか持ち直して、無事生まれた。
しかも生まれた日が1999年12月31日。千年代の最後の日に生まれてきたので、自分には何かしら使命があるんだろうな、っていうのはずっと思っています。
——そこから幼少期はどんな環境で?
上田さん:3歳ぐらいからボールとグローブを買ってもらって、野球一家のような感じだったんですが、家庭は本当に裕福ではなかったです。父は運送系の仕事で全国出張ばかり。母は水商売をしていました。両親のお金の言い合いを子どもの頃から聞いていて、お金への不安はずっと自分の中にありましたね。
家もすごく古くて、ネズミにランドセルをかじられて穴が開いていたりしたので、そういうのでいじめられたこともありました。それでも母の愛は本当にすごく感じていて、母は今でも僕の中で偉大すぎる存在です。
父の失踪、母の倒れ、そしていじめ
救急車を呼んだ小学2年生の冬
——ご家庭ではかなり壮絶なエピソードがあったとか。
上田さん:父は小学校1年生ぐらいの時からいなくなったり戻ったりを繰り返していて、4年生の時に本格的にいなくなりました。借金を作って飛んでしまっていたんです。それを5回ぐらい繰り返していて、合計で1億円以上の借金がありました。
母はその借金返済のために水商売で朝3時まで働いていて、僕はおばあちゃんに妹と一緒に見てもらっていました。小学2年生のある日、母が帰ってきて畳の部屋で倒れているのを見つけて、僕が救急車を呼んだんです。十二指腸潰瘍で胃に穴が開いていて、後から食道がんも見つかっていたと、最近聞きました。本当に体の限界まで働いて家族を支えてくれていたんです。本当に偉大な尊敬できる母親です。
——いじめの経験もあったと。
上田さん:小学校4年生のときに、2個上の先輩からいじめを受けました。当時かなり太っていて、それでからかわれたり、掃除の時に雑巾を顔にぶつけられたりして、保健室登校を1年ぐらいしていた時期があります。
ただ、その時の自分はそこまで沈んでいた感覚はなくて。ちゃんと感情が動くのは、もう少し後の話なんです。
閉ざされたプロ野球の夢
駒澤大学のオファーを断った18歳、風呂場で泣いた夜
——野球の道を本気で目指していたんですよね。
上田さん:中学では1年生大会で優勝キャッチャーになれて、それが初めての成功体験でした。3年生になるころには3番センターや4番を打つようになって、高校はスポーツ推薦で進みました。甲子園優勝経験のある名将が指揮を執っていた愛媛県の県立校です。
そこは本当に厳しくて、3年間「牢獄」みたいな日々でした。体罰も普通にある世界でしたが、2年生からレギュラーになって、3年生では1番センターや3番を打つ主軸になりました。最終的には創価大学・駒澤大学から声がかかって、読売ジャイアンツの入団テストにも進めるレベルの身体能力の高さでした。
——進学を選ばなかった理由は?
上田さん:やっぱり、家計でした。学費は推薦や特待で免除でも、生活費・家賃・食費を考えると、愛媛の田舎の感覚では「東京なんて宇宙みたいなもの」で、「そんなお金、どこにあるんだ」と。
しかも、就職試験と独立球団のテスト日程がかぶってしまった。監督と部長に呼ばれて、「お前、どっちか決めろ。これは分岐点だぞ」と言われて、めちゃくちゃ悩んだ末に、就職を選びました。野球を諦めたんです。
その夜、風呂場で泣きました。本当に悔しくて、声にならない悔しさで。「こんな家庭に生まれたから……」と。そしたら、おばあちゃんが入ってきてあんた野球捨てるんかね?って。
僕はそこで苦しく辛い思いをおばあちゃんに泣きじゃくりながら『お前らが俺の夢を潰したんや!絶対自分の子にはこんな思いさせん!』と叫びました。この日のことは今でも鮮明に思い出します。
僕はあの時どん底を経験しました。野球は順風満帆だったぶん、夢を絶たれた瞬間の落差が、本当にきつかった。
手取り11万円、フィットネス業界の洗礼
鬼パワハラと、12万円で送る一人暮らし
——18歳で就職されたフィットネスクラブはどんな環境でしたか?
上田さん:愛媛のフィットネスクラブに就職したんですが、入社研修の段階から超体育会系で、トレーナーが研修生に怒鳴り散らかすような世界でした。「やばいところに来たな」と思いましたね。
実際にプールやスタジオでインストラクターをやり始めると、一部の上司の指導も非常に厳しかった。僕も入社3日目で理不尽だなと思って反抗したら、「お前、社会人っていうのを教えてやるよ」と。それで「あ、これは飲み込むしかないんだな」と覚えました。
手取りは11万円。額面16万円ぐらいの会社で、実家暮らしだったから生きていけたものの、彼女に何も買ってあげられなくて。仕事のストレスを筋トレで発散する日々でした。
——19歳で広島に転勤されますよね。
上田さん:はい、自分から転勤を希望しました。広島に行ってみたら、店舗のなかで1番筋トレの知識を持っているのが僕だったんです。ここでの成長が難しいと感じ、転職を決意しました。
そこから1年かけて勉強や経験を積み、大会にも出て実績をつけて、店長に転職を伝えました。
「東京行け」の一言で人生が変わった
修学旅行で見た丸の内の景色を、目指して
——転職先は山口県のパーソナルジムが決まりかけていたとか。
上田さん:はい、先輩経由でほぼ確定していました。引っ越しのために家まで何件か内見も行っていたんです。そんなときに最初の店舗の店長から「飯行こう」と誘われて、「お前、山口で何したいんや?」って聞かれて。話を聞いて店長は、「お前の人間力なら東京で成功できる。絶対東京に行け」と言ってくれた。
その日のうちにLINEで山口の話を断って、東京で求人を探し始めました。広島で勤めながら、夜行バスで往復24時間かけて東京の面接に通って、3回の面接を経て採用が決まりました。
——東京に行きたかった理由は?
上田さん:中学・高校の修学旅行で東京に来たことがあって、丸の内のキラキラした景色がずっと頭に残っていたんです。「ここで働いてみたい」って思っていた。でも当時は本気で目指せる対象じゃなかった。それが店長に「東京行け」と言われた瞬間、急にスイッチが入って、飛び込んだ感じです。
旅行とかも家族で全くできなかったので、東京に着いた瞬間は本当に圧倒されました。「全部が違う」と感じた。
初月100万プレーヤー、そして翌月13万へ
コロナ禍で迎えた前職時代の最初の山と谷
——前職のパーソナルジムでの新店舗オープンは、いきなり結果を出されたんですよね。
上田さん:板橋の新店舗に配属になって、内覧会の時点でいきなり結果が出ました。新規契約の継続率の指標で、同期のメンバーが5/16や6/16ぐらいの中、僕は15/16という数字でした。
パーソナルトレーナーの世界では、初月で月商100万円を超える「100万プレーヤー」が一つの目安なんです。当時付き合っていた彼女と毎日ロープレを重ねて、店舗オープンから絶対100万円を超えると決めて挑んで、初月113万円ぐらいで着地しました。
ただ、店舗内では3位。1位が大学院卒の先輩で130万、2位の女性トレーナーが120万。「これだけやっても勝てないのか」と思いながらも、初月で100万を超えられたのは大きな自信でした。
——その翌月にどんでん返しがあった、と。
上田さん:はい、翌月の売上が13万円まで落ちました。回数券消化の月になってしまって、新規が取りづらく、何より初月で燃え尽きていたんです。
ある日、新宿に向かう駅のホームで、当時の店舗リーダーから「リーダー候補だと思ったのに、残念だわ。エースで4番のキャプテンと、3塁コーチャーのキャプテン、お前はどっちなの?」と言われた。それが本当に効いて、「絶対やってやる」とギアが入りました。
その後入社1年目に物販プロテインの売上で全店No.1を取って、表彰してもらえました。
失恋、コロナ、自律神経失調症
「自分が大嫌いになった」人生最大のどん底
——2022年に再びどん底を経験されたと聞きました。
上田さん:3年半付き合って同棲していた、結婚しようとしていた彼女と別れました。本当にきつかったです。
その時、「オールジャパンJr.」という大会で日本一を取ろうと減量に入っていたタイミングで、最初は「絶対見返してやる」と練習に集中していたんですが、いざ仙台での大会本番、予選落ちしました。隣に並んでいたのが東京選手権1位の選手で、僕は審査でほぼ見られずに落ちた。「今までの努力が全否定された」と感じました。
大会が終わって冷静になったら、「彼女もいないんだ」と全部が一気に押し寄せて、コロナにもかかってしまって。そこで自律神経失調症を併発しました。本当に初めて、自分のことを大嫌いになったんです。
それまで僕はかなりポジティブな方だったので、うつや精神障害の人の気持ちを正直あまり分かってあげられなかった。でも、そのとき初めて「これは本心で動けなくなる病気なんだ」と気づけました。今になって、いろんな人の気持ちに寄り添えるのは、あの経験があったからだと思います。
全店No.1、史上最年少リーダー
「絶対あそこに立つ」と決めた、表彰式で何ももらえなかった日
——そこからどう這い上がったんですか?
上田さん:自律神経失調症は2か月ぐらい続きました。翌年の2023年は「仕事の年にする」と決めて動きました。
転機になったのは、その年の表彰式です。1年目・2年目は物販で表彰されていたのに、3年目は何ももらえなくて、50人ぐらいの中で何の名前も呼ばれなかった。本当に恥ずかしくて、穴があったら入りたかった。「絶対来年あそこに立ちます」と上司に伝えて、全店売上No.1を目指して死ぬほど働きました。
朝9時の出勤から夜まで、1日13本セッションを入れることもありました。単価6,600円のレッスンを、とにかく数で勝つ。月商はほぼ毎月100万円を超え、年間で1,160万円ぐらいの売上を出して、全店1位になれました。
会社の歴史の中でも、トップ5には入る数字だったと思います。
——その評価で、史上最年少リーダーに任命されたんですよね。
上田さん:はい、24歳でリーダーに任命していただいて、そこから2年間マネジメントを経験させてもらいました。
独立の決断
祖母のがん、そして「俺が見せてやる」と言ってくれた社長
——独立を考え始めたきっかけは?
上田さん:実は20歳の時にも独立を考えたことがあって、22歳でも2回ぐらい独立を考えました。でも当時、お客様に経営者の方が多くて、「お前、出世街道にいるんだから、その会社で見える景色を一番上まで見届けてからにしろ」と言ってもらって、踏みとどまっていました。
リーダーになってから、「会社の仕組みでは部下にきちんと対価を返せない」というギャップを強く感じるようになりました。最優秀新人賞を取ってくれた部下もいて、本当に嬉しかったんですが、僕から渡せるのは称賛の言葉だけ。「自分についてきてくれる人を、自分の力で勝たせたい」という思いがどんどん強くなっていきました。
——そこに家族の事情も重なったと。
上田さん:はい、僕は「死」をすごく意識していて。大好きだったおじいちゃんが今、植物状態のような状況になっていて、もう会話ができない。さらに去年、おばあちゃんががんになってしまったと聞きました。
同じ時期に、知人のご家族が2人、続けてがんで亡くなりました。「この人たちは強すぎる、自分なんてちっぽけだ」と思った。同時に、「おばあちゃんに今やれることを今やらないと、絶対後悔する」と確信しました。
トレーナーという職業なら、毎月愛媛に帰れる。夜はおばあちゃんと両親をご飯に連れていって、好きなことをさせてあげられる人間になりたいと思って、社長に独立を伝えました。
——前職の社長との別れはどんなものでしたか?
上田さん:社長に独立を伝えたとき、「最年少リーダーに任命したのは俺の責任もある。今のお前を世に出したら、社長として成功しないから、一回俺の元で全部学べ。俺が見せてやるから」と言われました。
僕は社長のことが本当に大好きで、「分かりました、お願いします」と一度引き戻りました。おばあちゃんの進行もまだ早くなさそうだったので、社長に全振りしようと思って12月末退職を希望していたところ、「3月末まで頑張れ」と言われたので、そこまでやり切って、最後はいい形で送り出してもらいました。
独立1ヶ月目のリアルと、これから創る未来
少数精鋭の本物集団と、紳士たちの居場所をつくる
——独立して1ヶ月目、いかがですか?
上田さん:最高ですね。ただ、独立前夜に内省したときに、めちゃくちゃ涙が出てきて、「絶対やってやる」と覚悟を決めて紙に書きました。
そこからは朝6時台に起きて、夜中までずっと働く30日間。お酒もほぼやめて、夜遊びは完全にゼロ。自分の遊びの予定を青色で入れているんですが、4月は0回でした。覚悟を決めきった結果、売上もちゃんと立った。これまで作ってきた土台が一気に花開いた感覚があります。
ただ慢心はせず、しっかり仕組み化して組織として大きくしていきたい。「社長」と呼ばれることに違和感はあるし、社会的信用もまだまだ低い、もろ刃の剣の状態だという自覚はあります。ここからどう大きくしていくかが本番ですね。
——今後の展望を教えてください。
上田さん:1つ目は、少数精鋭の「本物の集団」をつくること。先ほどの「Justice Mind」の話につながりますが、価値に見合わない高単価を取る業界の現状に違和感があるので、本気でこいつらを勝たせられると胸を張れる、本物だけのチームを育てたい。
2つ目は、「ジェントルメンズクラブ」というコミュニティです。世の中の男性たちと話をしていると、浮気をしたり自分の大切な人を大切に関わっていなかったりと、漢としてカッコよくない人が多いなと感じます。女性をきちんと1人の人間として真摯に関わる紳士の集団をつくりたい。スーツをバチバチに決めて集まって、質の高い交流ができる場所——そんなクラブを構想しています。
少数精鋭の本物の集団と、自分史上最高の紳士たちのコミュニティ。この2つを軸に、これから大きく仕掛けていきます。
読者へのメッセージ
「死ぬこと以外かすり傷」——挑戦したい全ての若者へ
——最後に、地元でくすぶっている方や、これから挑戦したい若者へメッセージをお願いします。
上田さん:一歩踏み出すのって、めちゃくちゃ怖いし、勇気がいることだと思うんです。でも僕は、本当に「死に際」を意識して生きていて。明日地震が来て死ぬことだって全然あり得る。今こうして自分が生きている時間って、当たり前じゃないんだ、と。
「常識を疑え」とよく言われますが、自分が今死んだとして、後悔しないかどうか——それを言葉にして書き出すと、自分の本心が見えてきます。ジャーナリングが流行っているのも、そういう理由だと思っています。自分を見つめ直して、自分の生き方が本当にかっこいいか、正しいか、しっかり問い直してみてほしい。
そして、自分に正直に行動すること。死ぬこと以外、かすり傷です。本当にそれだけ。挑戦してみてほしいですね、若い人には特に。
——身内の方やこれまで支えてくれた方々へも一言いただけますか?
上田さん:身内、そして応援してくれている仲間には、本当に感謝しかありません。今、東京で生きていられているのも、その人たちのおかげ。今の僕があるのは、出会ってくれたすべての人のおかげです。本当に、出会ってくれてありがとうございます。
屋号 JM GROUP
設立 2026年4月(年内に法人化予定)
代表 上田 陣義
事業内容 パーソナルトレーニング、オーダースーツ、ウェルネスコミュニティ運営、愛媛の挑戦者コミュニティ
公式SNS instagram @jm_jingi
取材・文:河本龍真(株式会社One Rep)
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