2026.05.31ぶち上げインタビュー

ぶち上げインタビュー「何者でもない人間が、何かになれるチャンスは絶対にある」——挫折を糧に、日本のセキュリティ業界を押し上げる男。株式会社YouGoo 代表取締役 本間裕悟さん

「何者でもない人間が、何かになれるチャンスは絶対にある」——挫折を糧に、日本のセキュリティ業界を押し上げる男。株式会社YouGoo 代表取締役 本間裕悟さん

野球少年は、グラウンドの代わりに、サーバールームの真っ黒な画面の前に立っていた。

この記事の要点

  • 01生まれた時には実家に16人住んでいて、なぜか家族以外の人も一緒に住んでいたりして、すごく賑やかでした。
  • 02あとは兄が保険代理店を経営していたり、地元の同級生が何人か起業していて、身近にそういう存在も沢山あり、常に刺激をもらっていたというのも大きかったです。
  • 03だからこそ、挑戦意欲があって、人生をぶち上げたい子を採用して、IT企業だけどゴリゴリの体育会系の会社にしていきたい。

※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。

野球少年は、グラウンドの代わりに、サーバールームの真っ黒な画面の前に立っていた。

サイバーセキュリティとシステム開発を軸に、法人企業のIT基盤を守る株式会社YouGoo。代表取締役の本間裕悟さんは、新卒で入社したITベンチャーで8年間、エンジニア・営業・人事・コンサルとあらゆる現場を経験し、2025年10月、29歳で独立した。

東京都板橋区出身、男5人兄弟の末っ子。父は天理教の教会長を務め、母も含めて家族は十数人が肩を寄せ合うように暮らしていた。小学校時代は重度の喘息に苦しみ、いじめにも遭った。それでも兄たちの背中を追って始めた野球は、肘の怪我で道を断たれ、夢は途中で終わった。

「もう野球は終わり。じゃあ、社会で何ができる」——東京に戻った彼は、長男の紹介でIT業界に飛び込む。理系出身の同期に囲まれ、勉強もままならない中で、彼が選んだのは「誰よりも長く会社にいる」という、野球で培った愚直さだった。そして今、彼は同じように「何者でもない」人たちに手を伸ばそうとしている。

会社名 株式会社YouGoo

役職 代表取締役

氏名 本間 裕悟(ほんま ゆうご)

「日本の企業を守る、最後の砦になりたい」——サイバーセキュリティで会社のリアルを支える事業内容

大手だけが扱えなかった領域を、中小企業へ。

——まずは、現在の事業内容について教えてください。

本間さん:事業は大きく二つあります。一つ目が、サイバーセキュリティの支援です。最近、企業へのサイバー攻撃のニュースを目にする機会が増えたと思いますが、それを様々な観点から防ぐお仕事です。私自身はサイバーセキュリティのコンサルティング領域がメインで、お客様の社内に入り込んでセキュリティ対策を強化したり、まだセキュリティのルールが整っていない会社さんに対してルールを整備し、社内の情報システム部門の構築を支援したりしています。これが全体の7割ほどを占めています。

もう一つが、システム開発とアプリ開発です。お客様が作りたいスマホアプリやオリジナルのオーダーメイドのシステムを開発する事業です。大手企業に依頼するとどうしても費用が高くなってしまうので、コストを抑えて中小企業様向けに実現していくことを意識しています。

「7割がセキュリティ、3割が開発」——独立から半年で見えてきた手応え

——半年で、どんな企業さんと取引が広がっていますか?

本間さん:そもそもセキュリティ自体が、ある程度規模の大きい会社じゃないと発注しない領域なんです。今お取引いただいているのは、100名規模の不動産会社さん、大手税理士法人——なかでもスタンダードの上場企業さんですね。あとはAIのスタートアップさんやマーケティングの会社さんなど、基本的には社員数50名以上の会社さんとありがたいことにすべての企業様と直接ご契約させていただき、ご一緒させていただいています。

ほぼ全部がご紹介でお仕事をいただいているので、本当に周りの方に恵まれているなと感じています。

「もうこれは、人生の中の3年分くらい濃い半年だった」——起業1年目の手応えと孤独

徹夜のハードワークと、人の温かさ

——独立から半年、振り返ってみていかがでしたか?

本間さん:そうですね、結構勢いをつけて、徹夜もしてハードワークをしてきたんですけど、全体で見るとかなり充実した半年でした。今までの人生の中でも、この半年だけで3年分くらいの濃さがあったなと感じていて。

何より一番感じたのは、本当に周りの人に恵まれているということ。最初はどうしても「ご祝儀発注なんじゃないか」って思われがちなんですけど、今までお取引のあった企業さんも、新規のお客様も含めて、本当に人が支えてくれているなと感じます。ほぼ全部、ご紹介でしかお仕事をいただいていないので。このご縁が生まれていること自体がありがたくて。だからこそ、もっと僕以外の周りの人たちにちゃんと貢献していかないといけないなと思っています。

「男5人兄弟の末っ子、家族16人で育った」——板橋区の天理教教会で過ごした幼少期

喘息といじめ、その向こうにあった家族の絆

——幼少期はどんなご家庭で育ったんですか?

本間さん:東京都板橋区出身で、家族がめちゃくちゃ多いんです。僕が男5人兄弟の末っ子で、父が10人兄弟、母が6人兄弟。甥っ子姪っ子が11人、いとこは40人くらいいるという(笑)。

生まれた時には実家に16人住んでいて、なぜか家族以外の人も一緒に住んでいたりして、すごく賑やかでした。父が天理教の教会長を務めていたので、信者さんが出入りされる教会で、家自体は決して裕福ではなかったんですけど、家族の愛情には恵まれて育ちました。今でも家族とはすごく仲がいいですね。

——でも、小学校時代はつらい時期もあったとか。

本間さん:そうなんです。体も小さくて病気もあったりメンタルも弱かったので小学校では2回いじめを経験しました。

男兄弟とはいえ、どうしても兄たちに甘えていた部分が多く、その時に初めて自分の弱さに気づきました。

それで「自分もスポーツをやらなきゃ」と思って、兄たちの影響で小2から野球を始めました。でも小学4年生の頃に重度の喘息になってしまって。大人用の吸入器を使ったり、ちょっとランニングしただけで発作が出てしまったり。野球ができなくなって、心も折れてしまった。当時祖父が亡くなったり、兄弟が家を出たりして、16人いた家族が5人くらいに減ってしまったことも重なって。

不登校にはならなかったものの、精神的にはかなり追い詰められていました。そんな時に僕を救ってくれたのが、親友のKくんでした。彼も私と同じように身体が小さかったのですが、当時から曲がったことが大嫌いで、誰に対しても正々堂々と立ち向かっていく強い心の持ち主でした。そして彼を見ているうちに、「このまま逃げてちゃダメだ。自分も変わりたい」と、心の底から前を向くことができたのです。

中学時代、「人にしたことは全部返ってくる」と気づいた瞬間

——中学では性格が変わったと聞きました。

本間さん:中学では、あれだけ威張っていた子たちが、今度は他校のやんちゃな子たちに立場を逆転されていて。そのとき初めて、「人にしたことって全部自分に返ってくるんだな」って学んだんです。

逆を言えば、人に喜んでもらうことをすれば、それも自分に返ってくる。中学1年生でそれに気づいてから、ガラッと性格が変わって、「誰かに喜んでもらおう」という発想に切り替わりました。少し心に余裕ができたんですよね。少しずつそこから人前に出て何かをするようになり、今まで合計30回以上漫才や芸だしをするぐらいになりました(笑)。

中学の野球部では、喘息は完治していなかったものの、親友のKくんとも同じチームでプレーできました。強豪校ではなかったですが、少しずつ体力もつき、本気で打ち込むうちに野球が心の底から楽しくなっていったんです。部活の枠を超えて同級生みんなと仲が良く、時には悪ふざけもしながら、最高の友達に恵まれた本当に楽しい中学時代でした。

「4年間学費も寮費もゼロ。野球漬けの定時制高校」——奈良・天理高校で過ごした高校時代

親に一番迷惑をかけない選択肢

——高校から奈良に行かれたんですよね。

本間さん:はい、奈良県の天理高校第二部に進学しました。実家が天理教だったご縁で、寮生活をしながら4年制の定時制で野球をやるコースに入ったんです。

なぜ4年制の定時制かというと、昼間は働いて夜に授業を受ける仕組みなので、4年間学費も寮費もすべて無料。親に一番迷惑をかけない学校だったからです。昼間は夕方3〜4時まで仕事をして、夜に授業を受けて、最後の1時間だけ野球の練習をする。寮で生活する。そんな日々でしたね。

定時制の野球部は、人数的にも一般の強豪校と比べれば少ないんですけど、2年生から全国大会のメンバーに入って、4年生のときにエースとして全国制覇を経験しました。レベルがすごく高いわけではないんですけど、それでもチームで掴んだ全国優勝は大きかったです。

全寮制の学校で男子寮では1年生のときは勤務先も寮の先輩からの暴力や厳しい指導もあって、本当にきつかったけどこの経験は僕にとって一番と言っていいほど有難い経験で、この時乗り越えたのは後の社会人人生でも間違いなく生きています。

高校生活も本当に沢山の友達に恵まれて、携帯も禁止の生活だったので毎日の楽しみは寮生活での夜の友達との時間でした。同じ釜の飯を食べた仲間との友情は、普通の高校とは比べものにならないくらい深いものになりました。

「もう野球は終わり。でも、すぐ稼ぎたい」——肘の怪我で断たれた夢、20歳でのキャリア再出発

大学野球の道を1年で諦めた決断

——高校卒業後は、福岡の専門学校に進学されたとか。

本間さん:天理高校で全国制覇したときに、たまたま福岡・北九州の専門学校の監督から声をかけていただいて、特待生として進学しました。社会人クラスに加盟している野球部のある専門学校でした。

ただ、ピッチャーだったんですけど、1年目最後のトレーニング中に肘を壊してしまって。プロを目指していたというよりは、「始めた野球を、できるところまで極めよう」というスタンスだったので、怪我で続けられないと分かったときには、わりとスパッと切り替えられました。中途半端な辞め方ではあったけど、感覚的には早く社会に出て稼ぎたい気持ちの方が強かったんです。

——東京に戻ってからは?

本間さん:渋谷のオリエンタルラウンジっていう相席屋でアルバイトしながら、就活もしなきゃなと思っていた20歳の頃です。そのときに、長男が前職の社長と昔から知り合いだったご縁で、「ITにチャレンジしてみないか」と声をかけてもらって。エンジニア未経験で雇ってもらえるということで、IT企業に入社しました。

「兄貴の顔に泥を塗るわけにいかない」——理系の同期に囲まれた新卒時代、武器は野球で培った忍耐力

高卒・体育会系・未経験。それでも誰よりも会社に居続けた

——新卒時代、苦労はありましたか?

本間さん:めちゃくちゃありました。とにかく僕は勉強ができなくて、野球しかやってこなかったので。入ったIT企業は理系の優秀な大学を出ている子たちばかりで、高卒は僕くらい。しかも兄貴の紹介で入社させてもらった手前、「兄貴の顔に泥を塗るわけにはいかない」というプレッシャーがありました。

ただ、効率よく仕事をこなすことは僕にはできなかった。でも、野球や高校の寮生活培った精神力と忍耐力で、「誰よりも働く」ことはできる覚悟があった。だから、土日も含めてとにかく会社に出社して、会社がやりたいことを全部こなせるよう、時間で勝負しようと決めました。

今でも左手の人差し指の形がおかしいんですけど、当時、仕事がしんどすぎて指をずっと噛んでいて、肉の形が変わってしまったんです。ITって真っ黒な画面に英語のコマンドを打ち続ける世界で、野球しかやってこなかった僕にはそれがしんどくて。でも、とにかく「兄貴の顔に泥を塗らない」、それだけで踏ん張れました。

2年目MVP、そして営業・人事・コンサルへ

——8年間、エンジニアだけをやっていたわけではないんですよね。

本間さん:そうですね。最初の3年間はガッツリエンジニアをやっていて、2年目で社内MVPを獲得させてもらいました。そのときに「自分はエンジニアだけでは、これ以上のMVPは取れない」と感じたんです。

そこから切り替えて、会社が課題に感じていることを考えたときに、「採用」だなと思った。高校生採用や大学生採用を始めたいというフェーズだったので、自分のツテを使って、地元の高校や大学に勝手に訪問して説明会をやらせてもらったり。社長の承諾を得ながら動いていて、エンジニア職以外でMVPを取ったのは僕が社内で初めてだったんです。MVP受賞式の時はスピーチではなく、社長に無茶ぶりして漫才したのもいい思い出です(笑)。

そこからの5年間は、営業・人事・ITコンサルにシフトしていきました。お客様先に行ってITやセキュリティを教えるコンサル業務も含めて、エンジニア実務よりも、後半はそちらに完全にシフトしていた感じです。

「社長の左足になって、思想を実現したい」——前職社長の理念を支え続けた8年間

直属下に名乗り出て、誰より理念を吸収した

——8年で役員クラスまで上り詰めた要因は何だと感じますか?

本間さん:とにかく、社長と役員の近くに自分から行って、社長の直属下にしてもらったことが大きいです。前職は理念や思想を非常に大切にする会社で、人を教えること、教育に力を入れていた会社だったんです。だから、その理念を「僕がもうとにかく社長の左足ぐらいになって実現する」というつもりで、社長の思いをずっと聞いて、それを全部実行に移してきました。

会社の近くに住んで、ハードワークで物量をこなす。それに加えて「いつか起業したい」という想いがどこかにあったので、20代で一番、仕事量はこなさないといけないという焦りもありました。「とにかくスキルを積まないと」という気持ちでしたね。

「日本のデジタル競争力を、僕たちの世代で押し上げたい」——独立を決めた本当の理由

前職への不満ではなく、業界そのものへの問題意識

——独立のきっかけは何だったんでしょうか?

本間さん:実は、前職への不満が独立理由ではないんです。正規の値段ではないぼったくりのIT企業が多かったり、業界として優良な会社が少なかったり、IT業界自体への課題意識がすごく強くて。

特に、世界のデジタル競争力ランキングで日本の順位が毎年下がり続けている。日本のDX化が進まない理由の一つに、サイバーセキュリティ業界の弱さがあると、ずっと感じていたんです。

前職である程度の中枢にはいたものの、200人規模の会社だったので、自分のやりたいことが思うように実現できないこともあった。それなら、自分でこの業界を良い方向に持っていきたいと思って起業を決めました。

「死ぬ時に、めっちゃ楽しかったって思えるか」——不安より好奇心が勝った瞬間

——8年積み上げてきたものを手放す怖さはありませんでしたか?

本間さん:もちろん多少はありましたよ。でも、僕は人生そのものをわりと楽観的に捉えていて。仮にもう一度どん底に落ちたとしても、死ぬときに「めっちゃ楽しかった」って思えるかなと考えたんです。

起業して、波乱万丈でいろんなことを経験する人生のほうが、自分には面白いんじゃないか。当時はちょっと考えが浅かったかもしれないですけど、「もっと面白いことをやりたい」と思ったとき、やっぱり起業しないとそれは実現できないなと。

あとは兄が保険代理店を経営していたり、地元の同級生が何人か起業していて、身近にそういう存在も沢山あり、常に刺激をもらっていたというのも大きかったです。

だから、不安というより「とりあえずやってみるか」という感覚に近かったですね。

「お前なら絶対成功できるから、起業してもいいよ」——背中を押してくれた前職社長の言葉

本間さん:あと、前職の社長が最後に背中を押してくれたのも大きかったです。営業責任者まで任されていたので、僕が抜けることで業務に絶対影響が出るのが分かっていた。本来なら絶対迷惑をかける状況だったのに、「お前なら絶対成功できるから、起業してもいいよ」と言ってくれて。本当にビビるくらいかっこいい社長で、今でも電話で教えていただいたり、相談に乗ってもらったりしています。あの一言がなかったら、踏み切れなかったかもしれません。

「何者でもない子こそ、何者かになれる」——本間さんが描く、これからのチーム像

100人体制で、日本のセキュリティを底上げする

——今後、会社をどう成長させていきたいですか?

本間さん:まずは100人の体制を作りたいですね。日本のセキュリティ業界は海外に比べると本当にまだまだ弱い。これからAIをはじめとするデジタル化がさらに進む中で、セキュリティは絶対に必要不可欠な領域です。日本という国、日本の企業を守るためには、このセキュリティ業界を押し上げないといけない。

そのために必要なのは、エンジニアを増やすこと、そしてこの業界を盛り上げること。僕自身、何者でもない状態から、こうしてセキュリティの会社をやれるところまで来られた。だから、同じように「これから」の人たちをどんどん育成して、業界に送り出していきたいんです。

優秀なスペシャリストを外から集めるのではなく、まだ技術力も知識もない、でも同じ思いを持った仲間を集めて、一緒に日本のセキュリティを守っていきたい。それが僕のやりたいことです。

「人生をぶち上げたい子と、ITで体育会系の会社を作る」——求める仲間像

エンジニアにも、営業にも、共通する一つの条件

——どんな方と一緒に働きたいですか?

本間さん:エンジニア職と営業職、両方を積極的に採用しています。

エンジニアに関しては、とにかく技術に対して貪欲な方と働きたいですね。やろうと思えば、頭の中で思い描いたものをシステムで形にできる仕事ですし、セキュリティの面でもお客様の高度な情報を扱う以上、できることの幅はすごく広い。だから、技術力の向上にとことん貪欲に取り組める方と一緒にやりたい。

営業に関しては、僕自身が前職で未経験から営業を始めた経験があるので、「自分なんて何もできない」と思っている子こそ採用したい気持ちが強いです。学生時代スポーツで熱を持って打ち込んでいたのに、社会人になってその熱が消えてしまう人ってすごく多いと思うんです。前職で見てきても、そういう子はたくさんいた。元はいいものを持っているのに、社会で活かせていない。前職の社長からよく言われていた言葉で、「中途半端だと愚痴が出る。一生懸命だと知恵が出る。知恵が出ると仕事が楽しくなる。」本当にこの通りで「仕事を極めると本当に楽しくなるよ」って伝えられる会社でありたい。

学生時代、僕も12年間野球をやっていて、IT業界はその真逆の世界でした。でも、前職は本当に僕の可能性を見出してくれた会社で、今でも感謝しかない。何者でもない人たちが、何かになれるチャンスは絶対にどこかにあるはずなんです。だからこそ、挑戦意欲があって、人生をぶち上げたい子を採用して、IT企業だけどゴリゴリの体育会系の会社にしていきたい。そう思っています。

「皆さんのおかげで、ここまでこれた」——身内に向けたメッセージ

想像していなかった姿を、これからも見ていてほしい

——最後に、これまで関わってくださったご家族・ご友人・一緒に働いてきた方々へメッセージをお願いします。

本間さん:本当に、皆さんが想像していなかった姿だと思います。僕自身、起業すること自体を想像していなかったので、おそらく99%の方が「まさか裕悟が」って感じだと思うんです。

でも皆さんのおかげで、こうして自分で会社を設立して沢山の企業を支援させていただけるころまで来られましたし、まだまだ安定はしていないですが、今は社会のため、日本企業の未来のために何ができるかを真剣に考えるようになりました。これからも、こんな僕の成長の姿を見守っていただけたら嬉しいです。突き進みます。

会社名 株式会社YouGoo

設立 2025年10月

代表 本間 裕悟(ほんま ゆうご)

事業内容 サイバーセキュリティ支援/システム・アプリ開発

所在地 東京都板橋区

URL https://yougoo.jp/

取材・文:河本龍真(株式会社One Rep)

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